吹雪の中の満開の桜を飛騨高山教会で見た。そこで一つの素敵な再会を与えられた。間違ってはいなかった。かつて桜を観るのがつらかった時期がある。浪人を続けた末、初志を果たせなかった過去があるからだ。
本テキストも、似た状況。ペトロたちにとって、ガリラヤ湖で漁をせざるをえなくなった事態は、故郷や肉親や仕事を打ち捨ててイエスに従ったのに、心に秘めていたであろう初心を果たせなかったことをつらく思い出させることだった。間違いを受け入れるのは甚だ難しい。
そこにイエスは復活した。そして生前、そこでイエスに従ったのと同じ大漁がもたらされた。
獲れた大きな魚153匹とは、ガリラヤ湖で獲れるすべての魚だと言われる。それは、弟子たちにとってイエスに従った3年間が何も無駄ではなかった、ということを示す。
しかもイエスは、まるで何事もなかったかのように、これまで同様、食事の用意をした上で、弟子たちと食を共にした。間違いではなかった。
この方に出会うことが出来たことこそが、神さまから与えられた人生最高の贈り物であったということを弟子たちは悟ったに違いない。
それを著者は伝えようと加筆したのだ。戻るべき真の故郷を教えられた弟子たち。私たちもそこに帰ろう。それを「悔い改め」という。

<メッセージ全文>
先月、飛騨高山教会の創立50周年記念礼拝に招かれ、行って来ました。2泊3日、桜が満開の中、ずっと雪が降り続いていました。幻想的な世界でした。その礼拝の中で、岐阜の各務原教会時代に出会った一人の青年と20年ぶりの再会が与えられました。

N君は、獣医学部を卒業したものの、獣医師の国家試験に何回も落ちてしまって、すっかりやる気を失っていました。いっそ、今から違う大学へ入り直して、全然別の仕事に就こうか、などと言っていましたが、それは希望が見えず、なげやりで言っているのは間違いありませんでした。

私にできることは、一つ、ただただ初心を貫いて、獣医師国家試験に受かるよう頑張ることを勧め励ますことだけでした。幸い遂に合格し、しかし以後彼との連絡は一切ありませんでした。どうしているだろうか、忘れたことはありませんでしたが、まさか高山に住んでいるとは思いもよりませんでした。

獣医として岐阜県庁に勤め、高山市にある県農政部に所属して、部下7名を率いる飛騨牛の食肉検査のトップになっていました。残念ながら飛騨牛を御馳走にはなれませんでした。それも嬉しかったのですが、日曜は飛騨高山教会に通って、教会を支える重要なメンバーともなっていました。彼は「僕の人生の一番しんどい時でした」と言いましたが、私にそこまでの理解があった訳ではなかったのです。獣医をあきらめるなと繰り返しただけで、それ以外何もしてはいないのでした。でも間違ってはいませんでした。

一方の私、高校の先生から進学先に進められたのは、鳥取大学農学部でした。でも私は医学部に行きたかったので、お勧めを蹴りました。その頃は随分指導がおおらかでしたので、学力がどうあれ、どこを受けようが本人の自由でした。先生から「お前が医学部に受かるのは、中国の揚子江に泥で橋を作って渡るようなものだ」と言われました。それは絶対無理、と言われたに等しかった訳ですが、私はさすが先生、うまいことを言う、とのんきに思っていました。

NHKの連続ドラマに「梅ちゃん先生」というのがありました。主人公・梅ちゃんが町医者となって頑張るドラマでしたが、医学専門学校を受けようとした時、お父さんから、それは「竹やりで米兵に立ち向かうようなものだ」と言われていました。凄い例えでした。

ともかく当然の結果として3年浪人する羽目になりました。そうして入学したのは鳥取大学農学部でした。つまり、3年浪人して、何にもならなかったのです。振り出しに戻ってしまいました。それは私にとって耐えがたいトラウマになってしまいました。例えば、カルト宗教に入信した人を脱会させるのに、最もしんどいことは、それが間違いだったと気づかせることにあります。その人が真面目に没頭していたなら、それだけ、自分を否定すること、自分の間違いを受け入れることは恐ろしく怖くて、つらいことなのです。だからなかなか簡単にはそこに導けません。

私もそれに近かったのです。ですから春になって桜を見ると、全く無駄に終わった3年間を思い出してしまいます。お花見など行く気にもならず、空しさから脱却するのに何年もかかってしまいました。今はさすがに平気になりましたが。高山で吹雪の中の桜を眺めながら、N君のとの再会を心から感謝したことでした。

今朝与えられたテキストも、それに極めて似た弟子たちのことが想像される箇所でした。すなわち空しさについてです。ペトロたち、もともとガリラヤ湖で漁師だった者たちが、イエスの死後、再び戻って、そこで漁をしていた時の場面です。

実はヨハネによる福音書は、そもそも20章で終わっていました。今日の21章は後代の加筆です。書いたのはヨハネの弟子の一人でしたが、彼はエフェソの教会に務めていたと思われます。

時は既に1世紀後半でした。ペトロも殉教しました。長生きしたと言われるヨハネも天に召されていました。すなわち、直接イエスと出会った弟子たちは、みんないなくなってしまっていたのです。

その一方で、教会、或いはキリスト教に対する迫害はひどくなるばかりでした。一体、キリスト教を信じて何になるのか、信仰を持つことの疑問や不安がエフェソの教会でも、もちろん他の教会でも広がっていたのです。

恐らく、このエフェソの教会にいたヨハネの弟子は、そのような現状を深く憂え、直接の師であるヨハネから、生前繰り返し聞かされたであろう、このガリラヤ湖での出来事をどうしても記録し、伝えなければならないと強く思ったのでしょう。

現実の様々な不安の渦中にあって、やはりイエスともう一度出会うという事、それを伝えなければならないという強い思いを指していました。

ペトロたち、イエスの死後、故郷ガリラヤに戻るに当たっては、いかにも意気消沈していたと思います。彼らはイエスと出会い、招かれて、漁師にとって命とも言える舟や網などを一切捨てて、従ったのです。家族さえ顧みず、故郷を後にしたのです。

その時は、それで構わない、はっきりとは分からないけれど、この方イエスに従うのだ、という固い思いを抱いていたに違いありません。傍から見れば、何者とも分からない人物に、すべてを打ち捨てて従うなどと言う事は、まさに揚子江にかけられた泥の橋を渡るようなものだったでしょう。人によっては、家族を捨て、故郷を捨てた彼らに、親不孝だの、裏切り者だの厳しい非難をした者もいたのではないでしょうか。

そして当のペトロたち弟子も、それだけの決意で故郷を後にしたからには、いつの日か成功して、ふるさとに錦を飾れる日を、いつも心に願い、秘めていたことと思われます。そうでなければ報われません。

そしておよそ3年が経ちました。心に願い、秘めていた夢は、すべて打ち砕かれてしまいました。あの3年は何だったのか、今さらおめおめと故郷に顔を出すことは、本当はできない相談でした。さりとて、彼らは他のどこにも行くあてはなかったのです。また違う仕事に就くこともできませんでした。恥を忍んで戻るしか、道は残されておりませんでした。

3年離れているうちに、漁師の技術が鈍ってしまっていたというようなことはないでしょう。その意味では、わずか3年です。勘を取り戻すのに、さしたる時間は必要なかったと推測します。にも関わらず、力は沸かないのです。もっと言えば、うれしくないのです。漁師だった頃は、大漁を期待して漁に没頭することができたのです。でも今、何としても力が沸かない。ちょうどイエスと出会ったあの日のように、何をどうしようとも魚を取ることができないペトロたちでした。

その虚無感と敗北感のただ中に、イエスが立ったのでした。あの日あの時と同じように、網を打つ場所を指示しました。そしてその通りにしたら引き上げることができないくらいの魚が獲れたのです。たちまち喜びと力が戻って来ました。この時、弟子たちはあふれる涙にまみれていたと思います。

陸に上がると、イエスは食事の用意をして待っていました。パンを取り、魚を取って彼らに分け与えました。12節に、「弟子たちはだれも、あなたはどなたですか、と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。」とあります。うれしくて胸がいっぱいで、もはや言葉にならなかったでしょう。恐らく弟子たちは泣きながら食事をしたのです。イエスとの出会いは、間違いではなかったと噛み締めたことでしょう。

陸揚げした魚は、153匹もの大きな魚だった、とあります。諸説ありますが、153とはティベリアス湖、すなわちガリラヤ湖で撮れる魚の全種類だと言われます。それは、イエスと歩んだ3年のすべてが無駄ではなかった、ということの表現なのです。

金持ちになる。偉い人になる。そのようなこの世的な成功は、得られませんでした。けれども、自分たちの一切を知り、受け入れて下さる方と共に生きる、再び一緒に食事をすることができる、これに勝る幸せも喜びもありませんでした。この方に出会うことができたことこそが、神さまが下さった最高のプレゼントでした。

ヨハネが、或いはペトロが生前何度も語ったであろうこの思い出の告白を、聞かされたヨハネの弟子が記しました。例え直接目に見えなくても、エフェソの教会の信徒一人一人が、信仰を与えられるに当たって、イエスとに出会い、イエスと共にあったのです。それがなかったら、立つことができませんでした。もう一度思い出そうや、と。

医学部受験に夢破れ、或る意味仕方なしに入学した私を待っていたのは、学生YMCAとの出会いでした。そこで与えられたたくさんの人たちに後押しされ、卒業後同志社へ進むこととなりました。自分で努力して得たのではない出会いが、今を形づくる大きな基となりました。もちろん、私は今、医学部に行けなかったことを後悔などしていませんし、むしろそうでなかったらこの道はなかった、と感謝しています。

多分、誰にとってもそうだと思うのです。ひとたびイエスと出会い、お金や学歴や地位など見えるこの世の価値観ではない、しかし心を包まれ、熱くされた命の価値観を教えられたならば、それはその後を生きる原点に必ずなるのです。残念ながら時々、現実に疲れて、そのことを忘れてしまうことはあるにせよ。信仰生活に意味や意義を持てなくなることが時にあるにせよ。

幸い信仰生活は、一人で耐え、一人で頑張るものではありません。誰よりもイエスと共に歩み行き、イエスと共に生きるものです。イエスは私たちの疲れや弱さをよく承知していました。弟子たちは戻るべき真の故郷を教えられました。私たちもまた、そこに帰りたいと思います。間違いを受け入れることはもちろん悔い改めです。ですが、それだけが悔い改めではありません。間違いではなかったと教えられ、そこに戻ること、悔い改めとは、戻るべき真の故郷に立ち帰ることを指すのです。

天の神さま、弟子たちと同様に私たちもイエスと出会っていなかったら、どうなっていたでしょう。イエスとの出会いをもう一度思い起こす者として下さい。その喜びで東神戸教会の一人一人を用いて下さい。