品切れで手に入らなかった絵本「いつのまにかの まほう」は、アサガオの成長を見たい女の子に、母親が「しばらく見ない」よう勧め、「いつのまにか」の魔法で成長することを教える内容だ。
大事なことを学ぶのは、時間がかかる。
テキストは「5000人の給食」の出来事。その気になれば容易に解決できたかもしれないが、イエスは弟子たちに群衆たちを回らせた。それは食べ物の量を調べるためではなく、人々の様子を見させるためだった。
梅雨の季節。傘をさす機会が増える。石垣や道路のひび割れに目を向けて見よう。そこにも小さな花や草が生えているはず。スキマにスイッチ。視点を変える大切な訓練となる。

<メッセージ全文>
今日、みんなに「いつのまにかのまほう」っていう絵本を読みたかったんですが、残念ながらもう品切れになっていて、手に入れることができませんでした。

知り合いの牧師が紹介してくれた絵本ですが、福音館書店が2005年の7月に出した「ちいさなかがくのとも 40号」に掲載されたお話です。大橋政人さんが文を書き、小野かおるさんが絵を担当しました。当時380円で売られましたが、今古本屋では550円で売られているそうです。古本なのに新品の時より高い!

ということで、本を買うのを断念してネットで調べてみたら、ももかちゃんという女の子がアサガオを育てるお話でした。ももかちゃんは、あさがおが大きくなるところを見たかったので、鉢の前に座り込んでじーっと見つめるのです。でもちっとも大きくならない。それでお母さんに相談すると、お母さんは「しばらく見ないでいるように」とアドヴァイスします。ももかちゃんはお母さんに言われた通り、見るのを我慢して何日かしたら、お母さんが言ったとおり、大きくなっていたのです。驚いたももかちゃんは、どうしてなのかお母さんに尋ねます。するとお母さんは、それはね「い・つ・の・ま・に・か」の魔法なんだよって答えるのです。

「い・つ・の・ま・に・か」って、何だか「お・も・て・な・し」っぽいけど、それよりいい感じがしますね。遠くにいる親戚の子が、たまに会うとびっくりするくらい大きくなっていたりします。あれも「い・つ・の・ま・に・か」の魔法です。

絵本を紹介してくれた牧師は、「この絵本を読むと、早く・早くといつも急き立てる自分を、また何度同じことを言わせるのと苛立つ自分を反省させられる、と書いています。そこに欠けているのは、わたしたちの目には見えない神の働きに対する信頼だ、とも書いています。視点を変えてみましょう、そしたら神さまの働きが見えてくるということです。

中村圭子さんという研究者がいます。「早くできる、手が抜ける、思い通りにできる。・・・ありがたいことですが、困ったことに、これはいずれも生き物には合いません。」と言っているのです。折々のことばという或る新聞のコーナーに載っていたのですが、その日の解説では、「便利さ」とそのために開発された機器の「豊かさ」を進歩の徴と思い込む人は多い。が、生の充実とはまさにこの逆。思い通りにならないものを天塩にかけて育むこと、時間を「飛ばす」のではなく「紡ぐ」こと。自分もいきものの一つという原点を見据えるためにも、農業を学べと生命誌研究者は言う、とありました。

ちょっと子どもたちには難しいかもしれません。もうちょっと分かりやすく言うと、大事なことを学ぶのは、時間がかかる、ちょちょいのちょいではないということでしょうか。今日読んだ聖書の箇所は、まさしくそのことを示した出来事でした。「五千人に食べ物を与える」という小見出しがつけられた、有名な話です。

五千人と書かれていますが、当時人の数を数えるのは、大人の男性に対してでした。大人の男性だけで5000人いた、ということは、女の人や子どもたちを入れると、もっとたくさんの人がいたということです。

イエスは弟子のフィリポに「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と尋ねました。こう言ったのはフィリポを試みるためであって、ご自分では何をしようとしているか知っておられたのである、と続けて書かれています。

ちょっと意地悪な質問だったかもしれません。そこはガリラヤ湖の向こう岸、そして山だったと最初にあります。つまり辺鄙なところで、パンを売っている店などないのは初めから分かり切っていたからです。

それなのにそんな質問をした。大体、5000人もの人に食べ物を与える力があるなら、面倒なことをする必要はないので、ぱっとその力を使ったら済むことでした。でも一気に解決したら、たとえ5000人が満腹しようが、何にもならないお話でした。

やろうと思ったらできたのでしょう。にも関わらず、イエスは弟子たちに問いかけ、弟子たちがどう考えるかをわざわざ見ようとしたのです。その結果一人の少年が5つのパンと2匹の魚を持っていることが分かりました。何故分かったのでしょう。それは弟子たちが大勢の人たちに食べ物を持っていないか呼びかけたからです。またその呼びかけに少年が素直に応じたからです。5000人もの人たちにこの呼びかけをするのは手間がかかったでしょう。マイクやアンプなどあるはずはありません。みんなで手分けして回らなければなりません。手間暇がかかるのです。

ただし、イエスが弟子たちにわざわざ面倒なことをさせたのは、食べ物がどれくらいあるかを調べるためではなかったのです。そこに集まって来た大勢の人たちがどんな人たちだったかを見させるためだったと思います。過ぎ越し祭という、ユダヤでは大きなお祭りが近づいているのに、お祭りどころではない、その人たちはガリラヤ湖の向こう岸の山にまでやって来たのです。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである、と2節にあるように、この人たちもそれぞれ色々な問題を抱えて、自分も癒して欲しい、直して欲しいと願ってやって来たのです。そういう切ない事情を抱えている人たちのことを本当に知って欲しかった、分かってあげて欲しかった。だから弟子たちを使ったのです。

ところが、少年のことを告げたアンデレは、たった5つのパンと2匹の魚では「何の役にも経たないでしょう」とすげなく報告しました。群衆というひと固まりを見て、一人の少年を見ませんでした。

わずかな食べ物ですが少年にとっては、とても大切な食糧だったに違いありません。その大切な食べ物を少年は、素直に、正直に呼びかけに応えて差し出した、その心をアンデレは受けることができなかったのです。弟子たちの視点はズレていました。

さて、皆さん。先週梅雨入りしました。ちょっと憂鬱な季節です。雨が多いので、学校に行くのに傘をさす日が多くなります。天気が良くて、傘がなかったら、皆さんは通学路で何を見ますか?お店の看板や町内会のポスターや、色んな家を見ながら登下校していることでしょう。目に入るものはついつい目立つものが多いのではないかと思います。そんな時にどんなことを考えるでしょうか?もしかしたら、余り何も考えないかもしれません。私なんかは、今日の給食は何だろうなんて、いつも考えていたように思います。

これからのシーズン、傘をさしてどちらかというと下をうつむいて歩くことになります。中村圭子さんは、農業を学べと言われましたが、みんなにはなかなかそんな機会がありそうにないですね。だから、どこかの家の石垣だとか、橋のらんかんの付近にある割れ目だとか、いつもはあまり見ないところに注意して見て下さい。スキマにスイッチを入れるのです。視点、目線を変える訳です。そうすると、そんなとこ、何もないわって思い込んでいたところに、案外名も知らない花や草が生えているはずです。それも小さくても思いがけずきれいな花だったりします。アスファルトのひび割れにでさえ、何かが生えているのです。

植物って案外にすごいです。い・つ・の・ま・に、こんなところにっていう発見をして下さい。それは視点を変えるための楽しい訓練になるのです。

スキマにスイッチですよ。

天の神さま、あなたの力は思いもかけないところに現れます。知らないところにまで神さまの働きが及んでいます。決して人間だけで生きているのでも、世界が回っているのでもありません。そんな不思議を発見することができますよう、お導き下さい。