かつて、いずみ教会で部落解放青年ゼミの高校生が亡くなった。「つらい。が、神さまが悲しみの側に立っておられると信じたい」との池上牧師の言葉に励まされた。
パウロたちは、ピシディア州のアンティオキアに到着し、会堂長の依頼に応じて『励ましの言葉』を語った。それはイスラエルの歴史と救い主イエスについての話だった。
だが再度与えられた機会の折、ユダヤ人たちからの反対に遭った。真実は、時に片方の当事者には怒りとなる。
それでもひるまずパウロたちがなしたのは、「異邦人伝道への宣言」だった。それは多くの人々の喜びとなった。
そもそもパウロたちが出発したシリアのアンティオキア教会は、黒人や教会への迫害者を親戚に持つ者など様々な違いを抱えた人々で構成されていた。パウロたちにはそこで違いを受け入れる素地が育てられたのだ。励ましと訳された『パラクレーシス』とは宣教とも訳される。宣教は、励ますことなのだ。
ラグビーでなされるエールの交換。私たちにも互いに、また違う者に真実の言葉をかける励ましが求められている。


<メッセージ全文>
先週、後輩のある牧師から電話がありました。1歳の子が亡くなって葬儀を担当することになった。どんな説教をしたら良いか、アドヴァイスを求める電話でした。1歳の子どもと聞いただけで、つらい葬儀です。アドヴァイスを求められても、私も経験がないもんですから、咄嗟にどう答えて良いか、言葉に詰まりました。でも、結局、葬儀ですから、年齢のことを脇へ置いて基本的に考えるなら、第一に「命の尊さ」のことと、そしてただただ遺族への慰めと励ましを語るしかない、そうと思うと返答しました。

先週は地震が起きて、また幼い小学生が犠牲になったこともあり、会ったこともないその子や遺族のことを思い浮かべることが多かったです。そして今週は、部落解放全国活動者会議が大阪であって、久しぶりに友人であるI牧師と再会できるのを楽しみにしています。そうしたら8年前、いずみ教会で部落解放のためのコンサートがあったことを思い出しました。そのコンサートに出演したのは、いすみ教会の当時のY牧師、東神戸教会のK牧師とSさん、そして愛媛からI牧師。云わずと知れたこれも讃美歌委員会、略称これさんのメンバーでした。

日曜の夜だし、遠いし、しんどかったんですが、メンバーがメンバーですし、内容が内容なので、思い切って出かけました。記録を見ると61名も集まった、素晴らしいコンサートになりました。ただ歌だけが良かったのではありません。その時の池上牧師の話が胸を打ちました。自分の幼稚園の卒園生で、被差別部落の出身の女性の結婚式に出た時、新郎の側の親戚がほぼゼロだった時の歌を歌う前に、自分のことを短く話されました。

I牧師は、先天性の障害で、両手両足の指が不自由なのです。特に右手の指は生まれつき4本しかありません。それで「四つ」とからかわれて来ました。「四つ」とは部落差別の象徴の言葉でもあります。彼は差別を恐れてずっと右手をポケットに隠して過ごされたのだそうです。そういう痛みや悲しみを持ちながら、ところが一方で自分は部落を差別して来たと話されたのです。それは重い、つらい告白でした。

素晴らしいコンサートが終了した翌日、いずみ教会CSに通っていた高校3年生の男の子がガンで亡くなりました。彼もまた被差別部落の人で、部落解放青年ゼミナールの委員を引き受けて一生懸命活動していました。司式を務めたY牧師は、葬儀でI牧師が作った歌を泣きながら歌ったのです。池上牧師からメールが届けられました。「つらい。この世に神さまはホントにいるのかと思う。けれども、この哀しみの側に神さまが立っていらっしゃることを信じて、これからも部落解放の働きに関わって行きたい」と。あの時も私は慰めの言葉を何も持っていませんでしたが、でも神さまが哀しみの側に立っておられると信じるというI牧師の言葉に強く頷かされ励まされたのでした。

さて、今朝与えられたテキストは、先週のテキストの続きです。つまりパウロの第一回目の伝道旅行の始まりの部分に当たります。最初の到着地がキプロス島でした。そこで魔術師と出会い、悪だくみを阻止して、次の場所へ移ったのです。それが今日の出来事の場所、アンティオキアでした。ここでパウロは「励まし」の言葉を語ったのです。

アンティオキアというと、シリアのアンティオキアを思い浮かべます。それはパウロやバルナバが送り出された場所で、異邦人伝道の拠点となった町で、よく知られていました。聖書の後ろについている地図7を見ていただきますと、キプロス島から対岸のベルゲという町を経て、ピシディア州の上の方に、アンティオキアという町があるのが分ります。こちらが今日の場所になります。聖書に登場するアンティオキアは二つあるのです。

このピシディア州のアンティオキアに到着したパウロとバルナバは、安息日に礼拝に出かける訳ですが、さっそく会堂長から「何か会衆のために励ましの言葉を語って欲しい」と頼まれ、応えてパウロが語ったという訳でした。

その話が13章の16節から41節までに記されています。内容については脇に置いて、パウロの話を聞いた人たちは、次の安息日にも同じ話をして欲しいと頼んだのでした。ローマからの迫害が続く中です。異邦の地での信仰生活の中で、イスラエルから来た人から生の声を聞いて励ましを得たいと願ったのは、当然のことだったでしょう。同じ話で十分だったし、また同じ話こそを聞きたかったのです。

一方、伝道を開始したばかりのパウロでした。まだまだ慣れていなくて、上手くは話せなかったかもしれません。でも気持ちは燃えていたことでしょう。で、今日のテキストに続くことになりますが、一週間後パウロたちは再び出かけて話そうとしたのです。多くの人々の期待がありました。しかし、一部のユダヤ人たちは、それを不満に思ったのです。45節にこうあります。「しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した」。

一週前に頼まれてパウロが話した内容は、イスラエルの歴史と救い主イエスについてでした。この内容はまたどうぞ読んで下さい。16節から41節までです。多分、私たちには何の問題もなく受け入れられるスピーチだと思います。神さまが繰り返し導かれたイスラエルの歴史、そしてイエスが与えられるけれども、イスラエルから認められずついには死刑に至らしめられる。にもかかわらず神さまはイエスを復活させられ、福音を告げ知らされたという内容です。それはパウロにとってすべて真実であり、パウロは淡々とそれを語ったに過ぎないのでした。

でもそれがここにいたユダヤ人たちの逆鱗に触れたのです。真実は、真実だけにしばしば片方の当事者にとって怒りや不満を生み出します。頑なに真実を受け入れないユダヤ人たちに向かって、パウロとバルナバはひるむことなく宣言をしました。46節には「勇敢に語った」とあります。その宣言とは、異邦人伝道への決意でした。46節の途中から読みます。「見なさい、私たちは異邦人の方に行く。主は私たちにこう命じておられるからです。私はあなたを異邦人の光と定めた。あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。」

これを聞いた異邦人たちはきっと拍手喝さいしたに違いありません。48節には「異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した」とあります。
昨日23日は沖縄慰霊の日でした。膵臓癌の手術をし、闘病中である翁長沖縄県知事が、戦没者慰霊式だけは出席したいと調整して、平和宣言をしました。安倍首相も挨拶しました。同じように犠牲者の御霊に哀悼の誠を捧げるとしましたが、方や翁長知事の一言事に大きな拍手が沸いたのに比べ、安倍首相が「私が先頭に立って沖縄の振興を前へ進める」と語っても何も反応はありませんでした。冷ややかでした。むしろ中学3年生の女の子が行った「生きる」という平和の詩の朗読が余りにも素晴らしくて、首相の挨拶はみすぼらしくさえ感じました。何が違うのでしょう。真実の励ましの思いがこもっていないからだと思います。

パウロとバルナバの異邦人伝道への宣言を聞いた現地の異邦人たちは、大いに喜んだことでしょう。いつもローマ人やユダヤ人が中心で、片隅に追いやられていた彼らでした。その痛みと悲しみの側に立つ、パウロの宣言は彼らにとって真の励ましであり、命の回復でした。だからこそ救い主の言葉を賛美したのです。そして多くのが、信仰に入ったというのです。

ここでパウロとバルナバは異邦人伝道の宣言をしたのです。一週前の安息日にした話も、先ほど云いましたように、イスラエルの歴史とイエスについての話をしたのであって、そこではイエスが語った言葉を述べ伝えたのではありませんでした。にも関わらず、聞いた人々はそれをイエスの言葉として受け入れたのです。そもそも、パウロが頼まれたのは、アンティオキアの人々を励ます話しをして欲しいということでした。それに応えてパウロがなしたのは、云わば真実の告白だったと言えます。その真実が、彼らの心を打ち、揺さぶったのです。

彼らが聖霊に導かれて伝道の旅に出発したのは、シリアのアンティオキアでした。その教会にどんな人たちがいたかが、13章の冒頭に記されています。バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど預言する者や教師たちがいた、と1節にあります。バルナバはユダヤ人ですが、キプロス島出身でした。シメオンはニゲルと呼ばれていたとあります。ニゲルとは黒という意味です。これが転じて英語のニガーとなりました。黒人系の人だったのです。ルキオはリビア人。マナエンは何と教会への迫害者だったヘロデ王の親戚です。そしてサウロはご存知パウロのことです。こうして、そもそも出発してきたアンティオキアの教会は初めから様々違う立場の人々で構成されておりました。エルサレムの教会がほぼすべてユダヤ人で構成されていたのとは、全然違うのです。彼らには出発の時点から、違うことを受け入れ、認め合う素地が与えられていました。それを一つにまとめたのは、ただイエスによって救われ、招かれ集められたという一点にあったのです。

その思いがピシディア州のアンティオキアで真実の言葉として証しされ、異邦人伝道の宣言となって結集しました。まさに違う人々へ励ましの言葉として用いられたのでした。

今、私たちにもその多様性が大切な働きとして求められています。ここで『励ます』と訳されているギリシャ語はパラクレーシスという単語です。パラクレーシスは今日、宣教というふうにも訳される言葉です。宣教とは励ますことなのです。ただ口先だけで慰めることではありません。自身の人生にも確かに注がれ、そして違う人々の命を見つめて、そこにもまた注ぎかけられる神の思いを真実に語ること、これが励ましであり、応援なのです。自分や自分たちへのみ、一部の人だけに向けられるものではないのです。

大学ラグビーを観戦しに行くと、応援団が途中相手チームへの応援を行います。エールの交換です。私はほぼ毎年、同志社と関学の試合を見に行きますが、試合と同様以上に、互いの応援団が交わすエールを楽しみにしています。聞く度・見る度にいつも胸が熱くなり、嬉しくなります。メールの交換よりずっといいです。交換日記よりもいいです。口先だけの言葉ではなくて、まして相手への悪口などではなくて、心の底からの真実の励ましの言葉を掛け合いたい。それは神さまのみ心に適って、お互いを元気づけ、更に成長させる豊かな力となることでしょう。そう固く信じる者です。

天の神さま、私たち主にあって、互いに励ましあい、助け合い、覚え合い、祈りあって歩むことができますよう、力を注いで下さい。