「Gショック」
牧師 横山順一

 今年もまた予想外の災害が起きた。岡山・広島を中心とする西日本の広範囲で豪雨に見舞われた七月初頭。
被害が大きかった倉敷市真備町。災害に見舞われる直前、そのと或る家の危機一髪の様子がスマホで撮られていた。それがニュースで流された。
既に街には避難指示が出ていて、その地区のほとんどの人は、指定された場所に避難していた。
だが、頑なに拒んで、自宅に居座っていた父親を、心配して迎えに行った息子が、一部始終を録画していたのだった。
三十五歳とは言え、息子にとっては両親のいる実家だ。玄関を開けるなり、父親に向って「早く逃げよう」と呼びかける。
ところが、父親は完全拒否するのだ。全く現状及び以降の事態に対する危険の認知がない。電化製品等、水没しては困るものを二階に運び上げることだけが、彼の脳裏を占める喫緊の課題である。
「もう近所のみんな避難している。」、「危ないから、とにかくすぐ逃げよう」、そう再三呼びかける息子の言葉は、彼には聞かれない。
「あんな、ここの海抜知ってるか?」
「知らない・・」
「○○メートルや!」
などという息子との会話には、つまり安心への何の根拠もないが、「だからきっと大丈夫」という期待だけがあり、そして「俺は避難しなくて構わない」という強情な思い込みが表現されていた。
息子はいったん、諦めて実家を出た。そして三十分後、思い直してもう一度玄関を開いた。
その時には、三十分前にはなかった危機が迫っていた。もはや玄関から相当に濁流が入って、上り口は水没していたのだった。
さすがに現状を見て、父親は避難を受け入れた。玄関を開けると、成人男性の胸の高さまで水が押し寄せていたが。幸いにも、その水量の中を歩いて、避難先にたどり着くことができたのだった。
「周りはみんな大人でした」と答える父親の年齢を見て、驚愕した。私と同い年の五十九歳だった!おおG(ジジイ)ショック!
父親は、そのまま私。根拠ない自信に包まれた、ただの頑固・迷惑者だと認めざるを得ない。
数日、落ち込んだ。

「こころの友」誌八月号に、博多で薬物依存症からの回復を支援する働きを続けるコース・マルセル神父の記事が載っていた。「神さまの居場所はどこに?」との見出しで。
「弱い人たちがいなくならないことは幸いなこと。けんかをするのは強い人たちだから。弱い人たちは団結できる。それに、弱く貧しい人の中には、神さまの場所がある」。マルセル神父の揺らがない信念だ。―そう書かれていた。
またまた衝撃を受けた。今度もGショック。でも今度はG(ゴッド)ショックだった。 
そうだった、弱さの中にこそ、神さまがいて下さるのだ。いつの間にか強くなって(と思い込んで)、傲慢になっていた。だけど、打ち砕かれて、良かった。