20年ほど前、同じスポーツクラブのメンバーだった橋本和子さんに「お茶会にいらっしゃらない?」と声を掛けられ出かけた家庭集会が、私にとって初めてのキリスト教との出会いでした。

当時、宗教について考えた事のない無宗教の私が礼拝中の会堂に入る事は、興味本位で不謹慎な事だと考えていましたので一年近く家庭集会のみ出席していました。クリスマスイブ、この日は信者でなくても教会の礼拝に参列する事が出来るのではないかと思い主人と二人、初めて東神戸教会を訪れました。その日から二人は何の違和感もなく日曜礼拝に参列するようになっていました。そして2001年のクリスマス、主人は受洗、気がつくと私は完全に取り残されていました。

  話は変わりますが、2015年当時同じマンションの住人の高村勲さんが六甲アイランド病院に入院され治療を受けられた後、最後を自宅で過ごしたいと退院されました。それからまもなく川上智永子さんから「奥さまのマツ子さんが御自宅で御主人立ち合いのもと、受洗される」と聞き立ち会わせて頂く事にしました。ベツトに横たわり、奥様が受洗されるのを静かに見守っておられた高村さんの姿は忘れる事が出来ません。幸せそうに微笑んでおられたのは、天に召される2週間まえの事です。この事を考えると、主人もきっと私の受洗を待ち望んでいると感じます。この事が受洗をした理由です。

 以前川上盾牧師が、私が受洗に踏み切れないのは小学生の時、教科書を墨で塗りつぶさせられた、からではないかと言われた事があります。

第二次世界大戦、日本は1945年8月15日敗戦となりました。夏休みが終わり登校、先生のお話を聞くのですが、まったく理解する事が出来ませんでした。先生から突然アメリカは民主主義の国で人々は自由と平和を愛する大きな国ですと言われても、私は混乱するばかりでした。

小学校3年生の私にとって先生の話される事は絶対的なもの、正しい事と、とらえていました。教科書を墨で塗りつぶさせられた上、今まで教えられてきた事の正反対の事を平気で話す先生を信じる事が出来ませんでした。

 今、北朝鮮の子供たちの事を思うと心が痛みます。あの軍事パレードやミサイルの打ち上げを見てきた北朝鮮の子供達が、トランプ大統領と親しく握手する金委員長を見てどのように感じたでしょう。今、この北朝鮮の子供達がアジアの平和の担い手として、今まで学んできた事を捨て、正しい道を探りながら生きていく事を願っています。