7年前東北教区被災者支援センターエマオを立ち上げた片岡謁也牧師は、キリスト教の愛は名詞ではなく、動詞でと語った。支援の中にその姿を見たからである。
 パウロはコリントの教会の信徒たちに「無報酬で働く」ことを宣言した。それは偽使徒たちが出現し、パウロらの福音とは別の福音を語り出したからだ。教会が別物になってしまう危険性があった。それ故、自分たちの立場の信ぴょう性を強く訴えるために無報酬宣言をなしたのだ。パウロの信仰から来る矜持だった。
 現代の教会にも同じ危険性がある。福音とは別物の価値観に重きを置くならば、教会は別の道を歩むことになる。
 神殿にいた商人たちをイエスは追い出した。特にヨハネ福音書は衝撃の記録を残す。何故だったのか?
 復旧にはフットワーク(行動・機動性)、ネット
ワーク(つながり)、パッチワーク(手当て)の3つ
のW(ワーク)が必要だ。その働きは信仰生活にお
いても等しく大事。それも普段から意識すること、
それが偽福音を見抜く力を養うに違いない。神殿
にそれが欠けていた。
 愛と新生の場所が教会(現代の神殿)なら、やはり3つのWが要条件。一人で持つ必要はない。皆で補い合って。その姿を神はよしとして下さるに違いない。その3つを抱いてバザーに臨もう。

<メッセージ全文>
 若松栄町教会の片岡拝謁也牧師が、東日本大震災の折に、復興に当たって「名詞ではなく動詞で語ろう」とよく言われていました。復興支援の働きの中で、動詞つまり現実に動いて働く姿を幾つも見たからです。私もそうだとおもっています。そしてそれは、復興だけでなくキリスト教の伝える愛も同じで、名詞ではなく動詞だと思うんです。福音は、何かの文言やモノを通してではなく、人格を通して伝えられるものだからです。例えば「神の愛」ではなくて、「神の愛に生きる」ことを語るのです。

 さて、本日のテキストにおいて、パウロはコリントの教会の信徒たちへ一つの決断を伝えました。それは「無報酬で宣教活動を行う」という宣言でした。ただし、これまでも彼はコリントの教会から報酬を得ていた訳ではありませんでした。

 御承知のようにパウロは皮なめしの技術を持っていて、テント作り職人として、必要なお金を自分で稼ぐことができた訳です。けれども、それですべて必要が満たされたのではありません。で足りなかった。だからコリント以外の諸教会からは、或いは信徒たちからは報酬を貰いました。またイスラエル本国の教会の支援のための献金も集めました。

 必要だったからです。お金がすべてではもちろんありませんが、さりとてお金がなければ活動できません。同時にお金を集めることは大変困難なことでもあり、苦痛を伴うことでもあります。相手によっては頭を下げてでもそうしなければならない時もあります。8節で「わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました」とパウロは書いています。それなのに、コリントの教会の信徒に対して、コリントにおいてはこれからも自分は報酬を得ずに宣教すると宣言したのです。

 なぜかというと、偽使徒が出現したからです。11章の始めに「偽使徒たち」という小見出しが付けられています。今日のテキストの前章を読むと、彼ら偽使徒たちが、パウロたちが語り伝えて来た福音とは全然別物の福音を伝えたことが記されています。ですが、それを偽使徒たちは福音として伝えたし、信徒たちがそれを誤って受け入れたので、教会が違う道を歩み始めてしまいました。

 この事態に対して、パウロは自分の語って来た福音、これからも語って行く福音の真実、信ぴょう性を主張するために、この無報酬の宣言をなしたのです。やけくそで口にしたのではありません。コリントの教会が具体的にどのように違う道を歩み始めたか、このテキストにおいては定かではないのだけど。でも上辺だけの宣教、つまり名詞にとどまる働きを自分はよしとしない。我はキリストの道に立たん。自分は金ではなく神に仕えるのだという強い矜持がパウロを突き動かしました。動詞の矜持です。
道を誤る危険性はいつの時代も、どこの場所でも起こり得ます。自分たちの立場だけを絶対視する時、戦争を「聖戦」などと呼ぶようになります。神さまを自分たちの側に引き寄せ、戦いの勝利を祈ったりするのです。

 何が私たちを真に幸せに導くのか、例えばそれを経済や軍備や世の流行と間違えてしまうと、教会は愛を失うでしょう。口先だけで、名詞で語られる福音は、偽の福音と言わざるを得ません。

さあ、今日私たちはこれからバザーを行います。かつて神殿で商売をしていた人たちをイエスが追い出した出来事がありました。4つの福音書すべてが記していますが、中でもヨハネによる福音書の記述は衝撃です。2章の15節・16節をちょっと読みます。「イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」以上、普段の彼とは思えない強い怒りをイエスはぶつけたのです。本当に強烈な出来事でした。

 大きな災害が起こった時、復興・復旧のためにフットワーク、ネットワーク、パッチワーク、3つのワークが大切だと言われます。フットワークは行動、ネットワークはつながり、パッチワークは手当てと言う意味です。この3つのW・ワークを大切にして支援することが肝心だというのです。

 今年も災害がたくさん起って、もはや災害が日常のようになっています。だからこの3つのWは、もう災害時、非常時だけのものではないと思うのです。むしろ普段からこの3つを大切にしていなければ、緊急時に動くことは難しいでしょう。私たちの信仰生活においても、普段からこの3つのWを意識することは、きっと偽福音を見抜く力を養うこととなるでしょう。
元々の歩みに戻ることを復興・復旧と言うのなら、神殿、現代で言えば教会も、本来の人の歩みに戻る、新たな道のり、再生と言う意味で同じです。私たち、今日のバザーで、3つのWを大事にしたいと思います。フットワーク、ネットワーク、パッチワークです。あの時、神殿にこの3つが欠けていたからイエスは怒ったのです。一人が3つを備える必要はありません。みんなで補い合い、3つを満たすのです。それがあれば、神さまはきっと今日私たち東神戸教会のバザーを赦し、祝福して下さるに違いありません。

天の神さま、私たちをあなたの愛の福音の只中を生きる者として下さい。