「新年(信念)の誓い」
牧師 横山順一

 先月の或る日、郵便受けに一通のチラシが投函されていた。郵便ではなく、裸のチラシだから、間違いなく誰かが入れたものだ。
それは、某教会の集会の案内だった。おいおい、これは掟破りでしょう?教会に教会の案内をするなんてルール違反!
と憤慨したが、つい中身も読んでしまった。表紙に「なーんだ。キリスト教のチラシか。自分には関係ないわ」と思われる方も、ぜひ一度、内容を読んでいただけないでしょうか?とあった。
「自分には関係ないわ」と正直思った。けれど後の文章を読んだら、とてもそうは言えなくなった。
最初に「鮭」が人間のみならず他の動植物にも寄与する、生態系に欠かせない存在だと書いてある。
それは間違いない。問題はそこからだ。ざっとまとめると、『鮭のような無駄のない秩序が世界には数多くあって、それは神さまの知恵による。その偉大な神さまに対し、人間は無関心で身勝手で、数多くの罪を犯し続けている。神さまは愛であると同時に罪を憎む方。だから人間は一度死ぬこと、死後に裁きを受けることが定まっている。罪の赦しを得ずに死を迎えるなら地獄に行くしかない。そんな罪深い私たちのために、神さまはひとり子イエスを遣わされ、代わって十字架で罪を負われ、復活された。これは歴史的事実。悔い改める人は拒まれない。イエスを信じる者は、死後天国に迎えられ、神の子どもとされる。聖書にそう約束されている。あなたにもこの救いが必要。罪人であると認め、イエスを救い主と信じ、神さまのもとに立ち返る方であって。』―以上のように展開するのだ。
そして自分たちは「聖書を誤りのない神のみことばと信じ、書かれてある通りに受け入れる主義に立つ教会」だと紹介している。
 あ~あ、と嘆息。他教派、他教会の信条をとやかく言うつもりは毛頭ない。
 お宅様が、「聖書に書かれている通りに受け入れる主義」に立たれることは、どうぞご自由に、だ。
 だけど、つい呟いてしまう。聖書って、人間が書いたんだから、謝りも間違いも少なからずあるんだけどなって。
 それより何より、「罪の赦しを受けずに死ぬと地獄行き」という訴えが、死ぬほど耐え難い。
 ほんじゃあ、キリスト者以外はみんな地獄行きですか?悔い改めをしないで死んじゃった人は、例えば幼子だったり、病気だったりで、理解や実行が難しい人であっても、やっぱり地獄に落ちるんですか?
 なんて突っ込みたくなる。「地獄に落ちないために、死後天国に入れてもらうために、キリスト教へ」という道筋が私にはない。それは「脅し」だと思う。しかも「見たことがないくせに」。
 いや、私だって「天国」を語りつつ、見たことはないのだ。だけど神さまの愛の大きさを信じるから、天国を信じる。死んで天国もいいけど、生きて地上に天国が実現したらもっといい。
 脅したりせずに、笑顔で、喜んで、希望の「救い」を語りたい。それが新年(信念)の誓いである。