アルノ・グリューンは、「従順な人間が観念的になり、自身の行動に責任を感じなくなる。歴史の中で常に従順の名において残酷な犯罪が行われて来た」と書く。
私自身の家庭環境にも、従順を強いる父権主義を思い出す。
さて、テキストは神殿で暴れたイエスを描く。普段の温厚な人柄を覆す出来事。商売人を追い出し、台や椅子をひっくり返した過激な行動だった。本来、彼らは公認された商売だった。
 彼らにはイエスの行動が理解できなかったが、身体の不自由な人たちには分かったろう。彼らこそ最も癒され、救われるべき存在だった。だが、忘れ去られていた。
 その一部始終を見ていた子どもたちが「ホサナ」(今、救って下さい!)と声を挙げた。この叫びこそ大声ダイヤモンドだった。
 湯浅誠さんは「私たちはどんな悪政にも黙って付き従う羊の群れではないと示さねばならない」と書いた。MITのダワー教授は「国を愛することが、人々の犠牲に思いをいたすのではなく、なぜいつでも国家の行為を支持する側につく事を求めるのか」と。
 イエスは「私は良い羊飼い」だと語った。そして彼こそは羊飼いでありながら、人々(羊)の側につかれる方だった。蔓延する排外主義の時代、 私たちも「ホサナ」と大声を挙げる者でありたい。