例えば毎日の犬との散歩の中にもあった小さな楽しみ同様。マンネリに思われるようで、毎年訪れるクリスマスから、毎年新しい喜びを与えられる。
 テキストは、そのような小さな幸せが奪われたイスラエルの民のバビロニア捕囚が背景にある。半世紀のうちに、もはや帰還の望みは消え失せた。諦めの悪循環。東日本被災者、とりわけ原発事故被災者の無念が重なる。
 その諦めの民にかけられた神さまの声。真実はわたしから出るのだ、と。恐れるな、と。
 神さまの長い時間から見れば、昨日・今日・明日は同じではなく、恵みに満ちている。今日の痛みと悲しみは、明日、喜びと楽しみに変わると信じたい。
 「はじめは/ 同じ道を散歩するのが/
つまらなかったが/だんだんと/同じ道に親しむと/同じ道を歩くのが楽しくなった/同じ道でありながら/毎日何か新しいものを見せてくれる/それが新しい道でなく同じ道であることによって/楽しいのであった/今朝は/アレチノキクのはびこった寂しい踏切に/ちんちんちんとベルがひとりで鳴っていて/楽しかった」  
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