Tさんは13歳の時、勤労動員中に広島で被爆した。その時友人を助けられず、自分は生き延びた負い目。語らずにいるのは卑怯と考えて、60歳を過ぎてから証言するようになった。耐え難い悲しみを抱えての証言である。(キリスト教在日韓国朝鮮人問題活動センター機関紙「であい」68号より)
その時から変わった「ターニングポイント」。弟子たちにとって、それは主イエスのオリーブ山での祈りの時だろう。ルカは「いつものように」と書く。弟子たちは主がもだえ苦しみ、汗が血の滴り落ちるような祈りをささげた光景を目前で見た。その時は理解できなかった。悲しみの果てに眠り込んだ、とはそうとしか言い得なかった言い訳。
誘惑に陥らぬよう祈れ、とイエスは語った。その誘惑とは何を指すか?単純に睡眠の弱さへの誘惑ではなかろう。逮捕しに来た者へ剣で対抗するような、この世の力をもって簡単に解決を急ぐことへの誘惑。あったのに、見たのになかったかのことにしたい身勝手な言動への誘惑。
弟子たちは十字架と復活の出来事を通して、やりきれない悲しみを抱えつつ歩んだイエスを覚えた。そしてやりきれない悲しみを抱えて赦された自らを感謝し、ざんげし告白し続けた。

<メッセージ全文>
 先日、キリスト教在日韓国朝鮮人問題活動センターの「であい」と名付けられた機関紙が送られて来ました。名前のとおり在日韓国朝鮮人問題の活動センターですから、だいたいいつも中身はその問題に関わることが書かれています。
ところが今回の号には、被爆証言として、Tさんという女性の、広島での原爆体験の文章が掲載されていました。この機関紙としては珍しいですし、8月でもないのに、とちょっと不思議に思いつつ読みました。
それで分かったのは、この女性が活動センターの委員をなさっている方のお母さんで、教団・広島教会の信徒であったこと、そしてこの証言は二年前2017年9月に亡くなる直前の8月6日に、広島教会で語られたものということでした。
原爆の日、Tさんは13歳、市内の鉄道局へ勤労動員に出かけておりました。「いつものように、40名ほどの級友とガヤガヤおしゃべりしながら、作業開始の合図を待っていました」と文章にあります。
そこに原爆が投下されたのです。「ふと、誰かが「あっ、B29!」と叫びました。みんなが空を見上げた瞬間、ピカッと辺り一面が光りました。写真のフラッシュを何百何千もいちどに焚いたようでした。また、稲妻を何倍にもしたような烈(はげ)しい光でした。と同時に、耳をつんざくようなドーンという爆音がして、電柱も家屋も吹き飛ぶのではないかと思うような爆風が過ぎていきました。私は、地面に叩きつけられ、腕の上に鉄の階段が落ちて来ました。朝だというのに、なぜか辺りは真っ暗でした。しばらくは気を失っていたのではないかと思いますが、その辺りは定かではなく、ただ音のしない、死の世界はこのような所ではと思うような時間が続きました」と綴られています。
Tさんは、60歳を過ぎてから当時の牧師に勧められて、この被爆体験を語る活動を始めたのだそうです。その決意の思いをこう語っておられます。
「食べる物もない、着る物もない、どんなに暑くても夏休みもない時代、汗まみれ泥まみれの労働の最中の原爆投下でした。あの日のことだけは生涯思い出したくない、誰にも触れられたくないという思いで、隠れるようにして生きてきました。思えば、誠に卑怯な無責任な生き方だったかもしれません。けれども、二度とあのようなことが起こらないためにも、私は皆さんにあの日のことを語る決意を固めたのです。」
何も語らないとしても許されると言いたいです。触れられたくないと思うほうが普通ではありませんか。でもそれを卑怯で無責任だったとTさんが振り返るのは、一人の友人のことがあったからでした。
「あの日から70年以上が経つ今も心に突き刺さって離れないこと、それは、私の前に立って髪を編んでくれていたOさんと、そのご家族のことです。あの場所に残してきた彼女と家族にとうとう伝えることができないできたこと、ぬぐい得ない罪を背負って」と告白されるのです。
爆風で倒され、気が付いた時の、そのOさんのことをこう語られます。
「私は、さっきまで私の前に立って髪を編んでくれていた、友人のOさんを探しました。彼女は10メートルくらい先に飛ばされ、大の字になって、白い目を見開いたまま倒れていました。一緒に逃げようとしましたが、小さな私の力では、どうすることもできませんでした。「ご免なさい、ご免なさい」とつぶやきながら、メラメラと燃える火の中をとにかく通り抜けました。」
想像するだに、涙なしには読めない文章です。ともかく、友を見捨てて逃げる他はなかった、そうして自分は生き残ってしまったその罪悪感をTさんはずっと抱えて生きて来られたのでした。
あの日あの時までは、戦時中とは言え、それまでと何も変わらない時間の流れの中にいた。そのことに特別な意識もなかったし、ましてや罪悪感などかけらもなかった。「いつものように」出かけた、1945年8月6日午前8時15分前までのTさんでした。しかしその時から人生が否が応でも変えられ、無理やり背負わされてしまったのです。何という理不尽で、耐え難い悲しみであることでしょうか。
その時から変わったという地点のことを英語で「ターニングポイント」と言います。
まさにTさんのターニングポイントが被爆でした。そして今日読んだテキストが、弟子たちにとってのターニングポイントだったと思うのです。
ルカは二度同じ言葉を使って、その日その時までのことを強調しています。平行記事によれば、それはゲツセマネと呼ばれるオリーブ山にあった園のことです。39節、イエスがそこを出て、「いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。そして40節の「いつもの場所に来ると」に続けられます。
 あの日あの時、イエスは弟子たちを連れ、「いつものように」、「いつもの場所」で語ったのでした。その時までは弟子たちは、特別なことは意識していなかったでしょうし、ましてや何も罪悪感を抱いてはいなかったでしょう。弟子たちには、主(あるじ)イエスの感じていた危機感は理解することができなかったからです。
 イエスはそこで「誘惑に陥らないように祈りなさい」と語りましたが、それでもその意味が分からなかったし、知ろうともしなかったのです。ルカはあくまでも、そのターニングポイントの状況を淡々と記します。41節「そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた」。
 この「石を投げて届くほどのところに」という表現がとても意味深長だと感じます。
屈強な男性が全力投球で石を投げる距離というのと違うのです。祈る声が聞こえるような、軽く石を放ればそこに意識が集中させられるような距離ということではなかったかと思います。ですからもちろん、弟子たちからイエスの姿は非常によく見えるのです。実際、祈りの文言も聞こえたことでしょう。
 イエスは「ひざまずいて祈られた」とあります。当時、祈りは通常立って行うものでした。ひざまずいて祈るとすれば、それはよほど火急の場合、深刻な課題がある場合だったのです。その姿を見つつ、「父よ、御心なら、この杯をわたしから取り除けてください」との、普段にない祈りが記されている訳ですから、彼らは主(あるじ)の声も聞いたのです。
 ルカはこう記します。44節「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」。これほどの主(あるじ)の有様を、弟子たちは確かに見聞きしました。
 でも、その危機感を弟子たちはなお身に負うことはできませんでした。平行記事では、「目を覚ましていなさい」と三度言われたが、三度ともできなかったと記されています。ルカは、弟子たちが悲しみの果てに眠り込んだと書いています。恐らくそれは、そう書くしかなかったからでしょう。と言うより、後から弟子たちがそう言わざるを得なかったからだと想像します。悪く言うなら、偽りです。本当に完全に眠り込んでしまったら、誰もイエスの祈りを聞くことはなかったはずだからです。つらくて眠ってしまった、そうとしか言えない出来事が起きてしまいました。
この祈りの後で、イエスは兵士らに捕らわれるのです。その時、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げ去ってしまうのです。あれほどに慕い、従って来た主でした。でも我が身可愛さで裏切り、逃げ出したのでした。弟子たちにとって、その後の十字架の出来事は、ある意味もう関係なかったかもしれません。直接見てはいないのです。彼らは、処刑が決まる前、このオリーブ山でイエスが逮捕された時に、すべてが終わってしまったのです。
この苦渋の出来事は、あの日あの時まで特に意識もせず生きて来た時から完全に変わってしまったターニングポイントの出来事として、生涯弟子たちの記憶に残り続けたものと思われます。そして事あるごとに、それを告白し続けたに違いないのです。あれほどの様を目の前で見聞きして、何も言わず見なかったことにして口を閉ざすなど絶対にできなかったことでしょう。
あの時、主は「誘惑に陥らぬよう、祈っていなさい」、「起きて祈っていなさい」、そう言われました。その「誘惑に陥らぬよう」とは、一体どのような「誘惑」を意味しただろうか?思いだすもつらく悲しい出来事の中から、弟子たちは問いかけられました。その誘惑とは、単に疲れで眠り込んでしまうような弱さに対してであったろうか、そうではなかったのです。
この後、イエスを捕らえに来た大祭司の手下に、ある者が剣で切りかかって、右の耳を切り落とした、と書かれています。ヨハネによる福音書では、それはペトロだったとあります。真偽のほどは分かりません。ただ、暴力でことを解決しようと行動してしまったこと、少し言い換えるなら、直前まで受け入れがたい事態に対して、汗が血の滴り落ちるような祈りを捧げた主に対して、それとは真逆の、この世の力で簡単に解決を目指してしまうような誘惑ということではなかったでしょうか。或いは、知っているのに、あったことをなかったことのようにしてしまいたい、都合の良い言動への誘惑ということもあったかもしれません。
それらの誘惑にいとも簡単に陥ってしまった弟子たちの現実。その、とてもやりきれない悲しみを抱えて、イエスは十字架への道を歩みました。その十字架と、復活を通して赦された弟子たちは、自らのとてもやりきれない悲しみを、弱さの言い訳としてではなく、当然負うべき自身の十字架として感謝とざんげのうちに告白して行ったのです。
さてこうして次週、喜びのイースターがやって参ります。

神さま、私たちはたくさんの弱さを抱えています。逃げてしまうこともある。それが事実です。でもその弱さを当然のこととし、逃げる言い訳としてしまう誘惑から、私たちを遠ざけて下さい。現実のことだけに埋没してしまわず、目を覚まして祈る者として下さいますよう。