木安茜さんは「障がいの有無にかかわらず、生命はみんな尊い」と娘の事例を挙げて訴えられる。7月に起こった事件を思い起こし、賛同する。
テキストは山上の説教の一部分。しかし「誓うな」との項は、マタイだけが記したもの。
前後に、到底実行不可能(ミッション・インポッシブル)と思われるお勧めや命令が相続いている。当時できない(しない)のに、より大きなものに誓う人たちが大手を振るい、その前で小さくなって生きる喜びを失っていた人たちがいた。
できる、できないではなかった。神に対しても、この世に対しても、はっきりと然り、否を語れと、イエスは励まして下さったのだった。違う表現で言うなら、「命に寄り添うかどうか」だった。
 偉ぶる人々が台頭する世界。力を振るい、一掃したい思いにかられる。が、イエスはそうされなかった。不可能な命令を語りながら、自分自身が「命に寄り添う」場に立ち続けた。
 「一生のお願い」ではない。私たちもイエスの問われた場に立ち続けるため、この方に、神に「一生お願い」するのである。