《友よ》 岡林信康作詞・作曲
友よ 夜明け前の闇の中で
友よ 戦いの炎を燃やせ
夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の向こうには
友よ 輝く明日がある

法政大教授・湯澤規子さん著「7袋のポテトチップス」(晶文社)。遊びに来た7歳の息子の友だち7人は、全員ポテトチップスを持参。それぞれ各自が自分のポテトチップスを食べ続けたという。
テキストはイエスの遺言、決別説教の一部。イエスは弟子たちを「友」と呼ぶと言いながら、「互いに愛し合え」と「命令」した。
「友のため自分の命を捨てること」と訳された「いのち」の原語プシュケーは、元来、呼吸とか魂とかの意味。
自分がそうして来たように、自分の持っているものを相手のために差し出すことをイエスは命じたのだ。弟子たちは、互いに友ではなかった。
 若い岡林に確たる根拠はなかったろう。共にいることだけが希望だった。持っているものを差し出し合える関係。それが夜明けへ向かう誓いだ。

<メッセージ全文>
 法政大学の教授をなさっている湯澤規子さん。専門は人文地理学、地域経済学で、食の文化や歴史について研究をされています。今春「7袋のポテトチップス」という本を出されました(晶文社)。
本のタイトルにもなり、執筆の契機にもなった体験が最終章に書かれています。それは湯澤さんの息子が7歳になった時の出来事でした。7人の友だちが家に遊びに来たのです。彼らはそれぞれ一袋のポテトチップスを持参して来ました。そして、それを互いに分け合うこともなく、ただ自分の分だけを食べ続けたというのです。
湯澤さんはその光景を見て、愕然としました。食べるということが何かと共に、誰かと共に在る、ということを教えて来た彼女だったからです。思わずクッキーを自分で焼いて子どもたちに食べさせたそうです。最初は手を出さない子どももいたそうです。それは知らない人から食べ物をもらってはいけないという指導をされていた子どもでした。まあ、やり過ぎです。でも、やがてみんなで食べるようになって行きました。一緒にあるという感覚を取り戻すことができたと実感したと書かれています。

この7人の子どもたちが何か特別だったのでは、きっとないでしょう。むしろそれぞれの親は、友だちの家に大人数で押しかけて迷惑をかけてはならない、ということでたまたまですが皆がポテトチップスをおやつに持たせたのです。それは或る意味、しっかりした対応ですし、実に常識的と言って良い配慮だったと言えます。
しかし、その常識が、時に「共にある、一緒にある」ことを遠ざけてしまう。もし仮にポテトチップスが2袋しかなかったら、一人の取り分は少なくなっても分かち合うことができたはずでしょう。友だちとは、そういう関係であるに違いありません。

さて今朝与えられたテキストは、イエスが弟子たちに向って語った最後の言葉の一部に当たります。いわば遺言の箇所です。決別説教とも呼ばれています。この中でイエスは弟子たちを「友」と呼ぶと宣言したのです。短い一段落の中に、よく知られた言葉が幾つも語られています。そして不思議な箇所でもあります。

何が不思議かと言って、弟子たちを「友」と呼ぶと言われたのにも関わらず、命令したのです。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」有名な文言ですが、「これがわたしの掟である」と続くのです。掟とも訳せますが、戒めとか命令とかとも訳される言葉です。この単語が17節の最後でも使われていて、ここでは「命令」と訳されています。

12節の「これがわたしの掟である」の掟は単数で語られていて、これが唯一最大のものとの思いが込められていることでしょう。そして「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と続きます。イエス自身は、この後十字架にかかり、確かに命を捨てました。そのことは心に刻んでおきたいと思います。友のために、命を捨てることができるとしたら、それは本当に最大の愛の行為だと思います。

しかし「友のために自分の命を捨てること」と、ここでイエスが語った「命」とは、現実の命、人生のことではないのです。ここで用いられたのは「プシュケー」という言葉でした。「いのち」と訳されましたが、本来は、「息」、「呼吸」であるとか「魂」と訳されることがほとんどの言葉です。そこから転じて「生きること」「いのち」という意味合いが生まれました。

少し乱暴かもしれませんが、そもそも意味で置き換えると「友のために自分の呼吸を捨てること、自分の魂を捨てること」となります。言い換えたとしても自分の呼吸、魂を捨てるとは、やっぱりそうそうできない難しいことだろうと思います。でも要するに、自分の意見や自分のしたいことがあって、でも友だちのためにそれを少し我慢し、遠慮するということであるのです。最初のポテトチップスの話に戻れば、自分の分のポテトチップスを自分だけで食べたいし、自分の物なんだから自分で食べても良いのだけど、しかもこの時の場合はみんながそれぞれ持っていた訳だから、それこそそれぞれ各自食べても何ら構わなかったのだけど、でも7つの袋はみんなでと考えることも選択できたのです。開けた袋を隣の人、目の前の人に差し出すこともできたのです。それは7歳の少年にだってできることでした。

翻って、大の大人だった弟子たちはどうだったでしょうか?それぞれが満たされていたとは到底言えない過去を持ち、かつ引きずっていたでしょう。ガリラヤ湖の漁師、徴税人など、そのままその人生を続けていれば、どんな未来が待っていたでしょうか。きっと相当に「見える」将来が待ち構えていたでしょう。例えばペトロたちで言えば、その先も日々漁に明け暮れ、与えられる出来事に一喜一憂しながら、淡々と漁師の暮らしを繰り返していたに違いありません。
それが悪い訳ではありませんでした。良いも悪いも、生まれながら与えられたその生活を、運命として受け入れ、同時に嬉しいことも不満なことも、運命に含まれるものとして飲み込んで行くだけのことだったのです。

しかし思いがけず弟子としての新たな日々が、本人の努力とは全く無関係なところから与えられました。この先、ではどんな具体的展開が待っているか、それは分からないにせよ、漁師をずっと続けていたのとは違う世界が待っている。それに向けて、できることはなすべきであったでしょうし、それを夢見ながら従って来たのです。
だからこそ、12弟子たちには互いにライバル意識がありましたし、いつか与えられる栄光の日には我こそがイエスの最も近くに立ちたいと密かに画策もしたのです。弟子ではありましたが、友ではなかったのかもしれません。彼らには人には差し出すことのないそれぞれのポテトチップスがありました。それはイエスの思いから著しく離れていあした。

そういう個人的な人間的な欲望を隠し持ちながらの弟子の日々を送ったのです。まさに主イエスの心と正反対のものでした。どうしたら褒められるか、チャンスをものにできるかばかりが先行しました。悪い意味での「忖度」しか頭になかったと言えます。

その弟子たちに「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである」とイエスは正直に痛烈に指摘したのです。その上で「友」と呼ぶという宣言をしました。イエスは彼らに何も隠して来ませんでした。このことは弟子たちにはどうせ理解できないことだから、脇に置いておこう。無理に言わなくてもきっと困らないのなら、黙っていても構わないだろう。そんな打算をしませんでした。十字架の予告さえ再三に知らせて来たのです。イエスこそ、自分の持っているもの、物質的なものだけでなく、考えや思いや時間、それらを弟子たちに、また群衆たちに、そして出会う人たちにいつも差し出して来たのでした。

友と呼ぶのは「父から聞いたことをすべてあなた方に知らせたからである」と説明しました。まさに「友」のあり様です。友だから語れる「ため口」です。ため口とは、口調のことだけなく、語る中身のことをこそ言うのです。友だからこそ「わたしがあなたを選んだ」のだと言い切れたのです。仮に「私は神の子で、その高邁な計画と精神とによって、あなたがたは選ばれたのだ」とでも言われたら、この後起こる十字架と復活の出来事の際、弟子たちの立つ瀬はまるでなかったことでしょう。友だから、「互いに愛し合いなさい」と命じられたのです。

かつて岡林信康は「友よ」という歌を歌いました。デビュー曲「山谷ブルース」のB面の曲でした。1968年のことです。学生運動の結束・象徴の歌として、多くの若者に歌われました。
この歌を私は鳥取の学生時代に知りました。そしてコンパのたびに皆で歌いました。
やがて1986年、岡林から20年遅れて同志社神学部に入りました。編入生歓迎コンパが開かれるというので、嬉しくていそいそ出かけました。みんなで岡林を歌えると期待したからです。そしたらそこはカラオケボックスで、みな延々自分の一人歌を歌い続けました。岡林の歌を歌う人は誰ひとりいませんで、誰かが歌っている間は、皆次に歌う自分の歌探しに没頭していました。

 と或る音楽評論家の方が、この歌は「敗北」の歌で、「明日が来る」という根拠のない希望を歌った歌で、どうして学生運動のさ中にあんなに歌われたのか分からない、と書いていました。
 当たり前です。若干22歳の神学生が作った歌なのです。「必ず明日がまた来る」確たる根拠など持ち合わせていたはずはありません。そうではなくて、あったのはみんなで共にいる、そして歌う、それこそが、それのみが「希望」だったのです。激しい学生運動のあと、今日は逮捕されずに済んだけど、明日になれば官憲が大挙してやってくる可能性も十分ある不安の中で、でも何かを信じて肩を組み、そこに立ち続け、歌った訳です。友のために、自分の息、自分の魂を差し出したのです。

 私も自分のしでかした失敗にへこんでいる時、「何があっても友だちだから」「俺はあんたの味方だよ」と声をかけてくれた何人かの友の言葉に、本当に慰められ、励まされました。若かりし時のことではありません。牧師となり、え~年齢になってからのことです。ちょっと聞いたら気恥ずかしくなるような青臭い言葉をかけてくれる人がいました。そして自分もそんな言葉をかけられる人になりたいと心から思いました。それは夜明けへ向かう誓いでした。

 岡林のデビューから半世紀が経ち、学生運動だけでなく、労働運動も著しく変改し、社会全体が随分と変わりました。岡林自身も何してるんだかよく知りません。でもイエスが弟子たちを「友」と呼んだ転換点、その思いは今も何も変わらず通用します。友とは差し出し合える関係です。夜明けを信じ、自分の息と魂をちょっぴり差し出す誓いを共にしたいと思うのです。

天の神さま、あなたは足りない私たちを友と呼んで下さる方です。励まされます。ありがとうございます。その呼びかけに応えられる人へと成長させて下さい。