誰でも「わたしらしく」生きたいと願う。が、それを阻害するものがしばしばある。
テキストは、先週13章の出来事とよく似ている。イエスが癒しの業を、安息日に行ったという点。
しかし13章と違うのは、そこがファリサイ派の議員の家であったこと、食事に招かれたはずなのに「見張られて」おり、しかもイエスの面前に水腫の患者がいたという点。これらは意図的に用意されたとしか思えない。
ただイエスは、即座に行動を起こした。水腫の患者を癒し、そこから「去らせた」のだ。恐らくは無理やり連れて来られたその人を、イエスはあるべき場所へと戻したのだった。その上で語られた言葉に、ファリサイ派の人々から返答はなかった。余りにも全うだったから。
 彼らは自分の都合によって律法を曲げていた。そこには他者への視点や観点が抜け落ちていた。
 イエスの福音は誰にも等しく届けられる。命の重さは皆同じだからだ。
「わたしらしく=(イコール)あなたらしく」である。

〈メッセージ全文〉
私たち、誰でも「自分らしく」生きたいと願っています。なかなかすべてのことで自由にはなれませんが、本来そのために、色々な手立てが保証されています。例えば憲法13条で「すべて国民は、個人として尊重される」、14条では「すべて国民は、法の下に平等であって」と規定します。その具体的な規定が19条の「思想・信条の自由」、20条の「信教の自由」、そして21条の「集会・結社・言論・出版その他一切の表現の自由」であり、2項として「検閲は、これをしてはならない」と定められているのです。ちなみに22条は居住・移転・職業の自由、23条の、学問の自由と続きます。逆に言えば、これらが規定されるまでは、自由が保障されなかったことの証しでもあります。
ですから愛知県が中止に追い込まれたトリエンナーレ展は、明らかにしてはならない検閲による圧力をかけられたものでした。某国会議員が「戦争」を口にするのを「発言の自由」などというのは、はき違えた発言で、それを言う前に憲法を尊重し擁護する義務を規定した99条を守れ、と言いたいと思います。憲法9条は戦争を永久に放棄すると明記しています。

さて、今日与えられたテキストは、先週読んだ13章の箇所と極めてよく似ています。これまたルカだけが記述した出来事です。
何が似ているかといって、イエスが病人を癒したこと。それが安息日であったこと。この大枠が同じであるのです。それでいて、伝えようとしたことはかなり違います。それを見て行きますと、同じ安息日の癒しの出来事ですが、13章は場所が会堂でしたが、14章ではファリサイ派のある議員の家での出来事でした。13章では、会堂で教えていたら、たまたまそこに18年病を患った女性がいたという設定になっていて、いかにも偶然起こされた出来事かのような印象を与えられます。最も、病人が会堂にいたというのは、当時の常識としてはあり得ないことで、会堂の中にいたというより、その近辺だったと考えるほうが妥当です。

一方、今日の14章では、ファリサイ派の議員の家だったことが、たまたまというより敢えてそこを選んで入ったとしか思えないのです。多くの方はご承知のように、ファリサイ派というのは、当時のユダヤの社会の中で大きな勢力をもって、自分たちはユダヤ教の教えをしっかり守って救われれるべき存在だと自負していた人たちでした。イエスをわざわざ食事に招くような間柄にはなかったはずです。

ただしルカ福音書には7章にも、イエスがと或るファリサイ派の家で食事をした記録があります。イエスだけでなく、テレビやら娯楽や情報提供の道具がなかった時代ですから、会堂長だったり、議員だったり、その町の指導者層の人々は、預言者らや占い師やら、あちこちを巡って様々情報を得ている者を食事招いて話を聞くということは珍しくなかったのです。

しかし、今日の場合は明らかにただの食事会ではありませんでした。1節後半に、「人々はイエスの様子をうかがっていた」とあります。少し上品な訳になっていますが、原文の単語通り直訳をすると、「見張っていた(パラテーレオー)」となります。イエスは食事に招かれながら、見張られていた訳です。
しかも、その席に、2節には「イエスの前に」とありますが、水腫を患っている人がいた、というのです。水腫とは、体のあちこちに組織駅が溜まる病気で、むくみなどが起る、お腹がひどく腫れたりするので、外から見える状態だったと想像されます。
問題は、この水腫と言う病気が、神からの呪いによると考えられていたことにあるのです。旧約・民数記などには、姦淫を犯した女性に与えられる病気のように書かれていて、もちろんそんなことは全く関係ない訳ですが、少なくとも水腫を患った人が、誰かを招いての食事会の席に出席するとは到底考えられない。ましてその人はイエスの前にいたというのですから、偶然などではなく、計画的に用意された出来事だったでしょう。しかもその様子を、彼らは見張っていたのです。

彼らの目論見をすぐに感じ取ったが故に、イエスはすぐ「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか」彼らに問いかけました。無論、彼らの考えでは、当然それは許されないことでした。
にも関わらず4節、「彼らは黙っていた」とあります。言おうと思えば、すぐ答えられることだったでしょう。ですが、彼らの意図は、イエスの言動を見張ることにあったので、ぐっと堪えて押し黙ったということでしょうか。

その病人も何かの目論見があって、そこに座らされていたことは分かっていたに違いありません。自分の意思ではなく、恐らくは強制的にそこに連れて来られたのでしょう。何も言わなかった人々の前で、イエスは即座に行動しました。4節続き、病人の手を取り、病気を癒してお帰しになった。びっくりするほど、迅速で簡潔な行動です。お帰しになった、とはもう少し直訳すれば「去らせた」となります。無理やり連れて来られた訳ですから、癒した上で、そこを去らせたのです。

そして「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」と間髪入れずに語りました。13章の記述にも似たような言葉が記されていました。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか」(13章15節)。

これは反論のために考え出した文言ではなく、ただ現実でした。安息日に働いてはならないと力説するファリサイ派や会堂長や律法学者たちでしたが、家畜の世話まで放棄することはありえないのです。今日のテキストでは、「自分の息子か牛が井戸に落ちたら」とイエスは語りました。これも仮定の話なのではなく、蓋をしていない井戸もたくさんあって、子どもや家畜が誤って井戸に転落することは、いつも十分あり得る出来事だったのです。

だからこそ、今度はイエスの言葉に誰も口を開くことができませんでした。反論などできる訳がありませんでした。イエスの言葉こそ、余りにも全うでした。
もともと、安息日に食事に招くということ自体が、彼らのいう安息日の規定に反することでした。安息日に料理を煮たり焼いたりしてはならないという禁止規定がありましたから、本来食事会の日ではないのです。要するに、戒めを守る・律法を守るということ自体が、彼らの都合の良いように曲げられていたのが現実でした。

悲しいかな、「自分たちの都合の良いように曲げる」という現実は、今も続いています。戦争を永久に放棄すると書かれているのに、自衛のためには許されるなどという解釈がまかり通るのです。
今日はその憲法のことは脇に置くとして、今日のテキストは、自分らしく生きるためにどうしたら良いかが描かれた箇所だったと思います。ファリサイ派たちは、自分の都合の良いように律法を曲げて自らを誇っていました。きっと自分たちは、いかにも「わたしらしく」生きていると勘違いをしていたのでしょう。

ゆがんだ自分らしさを誇示するために、水腫の病人が連れて来られました。イエスがなしたのは、この人を即座に癒し、自分らしくいられない場所から去らせることでした。
自分らしく生きるためには、他者もまた、隣人もまたそうであらねばならないのです。イエスと水腫の病人は、この時一体でした。ファリサイ派の人間たちに、その視点・観点が抜け落ちていました。

 神さまが与えてくれた自分らしく皆が生きようとする時、もしかしたら、少しずつ互いに譲り合うことも現実の工夫として必要になるかもしれません。しかし、自分のために誰かが何かを奪われたり、押し付けられてはならないのです。勝手に限定しても、閉じ込めてもなりません。

 パウロは、イエスが示した福音の自由を生きることができない人を「信仰の弱い人」と呼びました。しかし同時にその「信仰の弱い人を受け入れなさい」と呼びかけました。「こうでないとならない」という決めつけは、イエスの福音ではないのです。イエスの福音は誰に対しても平等に届けられます。命の重さは同じだからです。そうであるならば、「わたしらしく=あなたらしく」です。イエスに従い、互いを模索しながら、わたしらしさとあなたらしさを測り合いながら歩みたいと思います。

天の神さま、あなたこそ私たちを私たちらしく生かされる源です。自分だけでなく、隣人の存在を思いながら、互いに喜んで人生を送る者とならせて下さい。