昨年のクリスマスに日本キリスト教団 東神戸教会へ転籍しました長谷部です。8月の信徒奨励の第1回目となりますが、神様からいただいたこの時間、私にとりましても皆さんにとりましても貴重な時間ですので、しっかりと努めたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。

改めて自己紹介をしますと、私は1958年 昭和33年生まれで今年の4月で61歳になりました。建設会社に36年務めて定年を迎え、現在は引き続き嘱託として勤務しています。一般的なサラリーマンが定年を迎え、「これからの人生、今後どうしたらいいのか。」と迷いつつ生きているという状況です。

この教会にご縁をいただいた理由は、一つに私の友人が日本基督教団の大阪の教会に転籍したこと。そして二つに私の住む東灘区にある数多くの教会のなかで、昔からこの東神戸教会が、私の意識の中にずっとあったということです。私の家が渦森台で、実家が石屋川を渡った灘区楠丘町5丁目でSさんのお家の一本北側の通りにありますが、50年ほど前からこの2つの家を往復するのに、この教会の前の道路を何度も何度も通っておりました。この道は今では抜け道のような扱いですが、山手幹線ができる前は主要幹線でしたし、昔の教会は確か赤い洋風瓦の建物であったようなこともかすかに覚えています。現在の教会の建物が震災前に新築されていたのもこの道を通りながら見ておりました。

キリスト教への入信は、1974年中学校3年生 16歳の時に学校の聖堂で、同級生何人かと一緒に洗礼を受けました。1970年の大阪万博の翌年に高羽小学校から六甲中学入学に入学しておりました。

六甲中学はカトリックのイエズス会が創設した学校で、同じグループに上智大学、栄光学園、広島学院等があるカトリックの学校ですが、当時は意外なほどキリスト教の授業やミサの類は、ほとんどなかったように記憶しています。それよりも行儀作法に厳しい学校で、中学時代は当然丸刈りの坊主頭でしたし、今は時々テレビでも紹介されていますが、2時間目終了後に上半身裸になってクラスごとに校庭をランニングする。また上半身裸、短パン一丁、裸足でトイレ掃除をすることにこだわりを持っている学校でした。

カトリックの学校ですから当時はスペイン、ドイツ、アメリカ、日本出身の神父さんが数多くいて、英語や数学、物理の授業を担当していました。でも最近は神父さんもあまりおられないようです。当時からもう50年近く経ち、日本は布教のために使命感を持って行きたくなる国ではなくなったのかもしれません。

そうした環境の中で受洗したきっかけは、中学1年~2年にかけて受けたドイツ人神父シュワイツェル校長の倫理社会の講義ではなかったかと思っています。たどたどしい日本語でしたが、今も覚えているのに「赤方偏移(せきほうへんい)」という言葉があります。宇宙から来る光のスペクトル線が、赤い方すなわち波長が長い方向にずれる現象のことで、宇宙が今現在も拡大している証拠となるのですが、このあまりにも壮大な宇宙を創造したのは「神」しかおられないということにつながります。また精神を持つ人間と動物とは全然違ったもので、この素晴らしい人間を創造したのは「神」しかおられない。等々。このように理系頭の10代の少年にいかに「神」という存在が偉大であるか、人間ではかなわない大きな力を持った唯一絶対の「神」という存在を理詰めで叩き込まれました。実家はクリスチャンホームではないのでキリストや旧約聖書に出てくる神様のことは全く知らなかったのですが「絶対的な神の存在」みたいなものが、この時期に心の中に確信として出来上がったのだと思います。

今日の讃美歌として「くすしき恵み。Amazing Grace」をリクエストさせていただきました。「くすし(奇し)」は霊妙だ。不思議だ。という意味だそうですが、歌詞は「驚くばかりの恵みなりき この身の汚れを知るわれに」のほうが、自分にはしっくりときます。この歌詞を聴くたびになぜか涙が出てきます。先ほど言ったように、少年の頃に「神の偉大さ」、「驚くべき神の恵み」を確信した影響があるからかもしれません。

実家は父方も母方も仏教で、それでもあるとき洗礼を受けたいと打ち明けたところ、特に反対もなく、すんなりと入信できました。両親弟の4人家族の中で一人キリスト教信者となりました。45年前の私の人生における「神の時」だったのではないかと思います。それからは聖書研究会にも何度か参加したように思いますが、部分的な勉強だったため、聖書の中身についてはほとんど分かっていなかったと思います。またカトリック六甲教会や夙川教会に通いましたが、海星や聖心の女子が多く華やかだったので、遠いけれどもどちらかと言えば夙川教会に行っていたのを憶えています。しかしながら結局のところ、高校2年ぐらいに教会から遠ざかってしまいました。明確な理由は憶えていませんが、やっぱり受験勉強のためだったと思います。結局たった2~3年のキリスト教生活でした。

そして大きく時が流れ、2017年7月2日にこの教会の礼拝に、はじめて来させていただいた時が59歳でした。またその数年前から、聖書解説を中心としたハーベストタイムという中川健一牧師が主宰されている大阪の集会に出席したり、会社の往き帰りにネットによる聖書解説を聞いたりしていました。新約聖書の4つの福音書を同時並行で時間軸に並べ、キリストの生涯を追ったり、創世記のいろいろな物語が新約聖書に密接に関わっていることを確認したり、聞くたびに新鮮で新しい発見がありました。改めて聖書の学びを始めたいと思いました。定年という私にとって人生の大きな節目を迎えるにあたり、「神の存在」であり、「キリスト教」をもう一度と渇望する意識が大きく膨らんだのではないかと思っています。これが2度目の「神の時」だと思います。その時にキリスト教に戻ってきたとすると、少年のころからそれまで40年以上世俗(せぞく)的な生活をし、荒野(あらの)をさまよっていたことになります。いわば40年間「中抜き」の信者です。

これからはすこし荒野の話をします。その間神様との接点は思い返しても「あまりなかったかなあ」と思います。その後、名古屋工業大学、大学院と進学し、建築を勉強し、建設会社に技術者として入社しました。
今ではあらゆる企業がコンプライアンスで締め付けられていますが、昔の建設業においては全般的に緩かったと思います。大手といえども3K業界であり、日々しんどかったけれどもいい時期を経験させていただいたのではないかと思っています。

携わった建物で皆さんが知っているものでは、大阪駅前のヒルトンホテルの工事現場で新社員明けの2年半の間、現場監督として過ごしました。下っ端の現場監督は辛いもので、大学院出の新人社員が、職人さんに仕事をお願いしても、「こちらが言うことは全く聞いてくれない。」という悩みを持ちながら、休みなく、残業も一杯して一生懸命に働きました。その代わりお酒を飲みにはけっこう連れて行ってもらいました。

会社で一番の華やかな記憶としては、2009年から5年間京都支店の支店長をつとめました。2008年末にリーマンショックで不況となり、企業の投資環境が冷え込んだ時だったので建築の工事を受注するのに大変苦労しました。現在建設業界は好景気で忙しいと言われておりますが、当時は全くの逆で、仕事があまりない環境の中で工事を受注していかざるを得ない厳しい時代でした。その中で恵まれた経験としては、京都なのでいろいろな宗教法人の施設や学校の建築工事に数多く携わらせていただきました。仏教の様々な宗派や新興宗教、もちろんキリスト教もありました。キリスト教では同志社や近江八幡の近江兄弟社学園(今のヴォーリズ学園)の工事に携わりました。礼拝とともに行う竣工式では学校関係者や多くの学生さんから感謝の言葉をいただきました。

本日の聖書箇所はルカの福音書15章を選びました。この章はイエス様がパリサイ人と律法学者に対し、3つのたとえ話を使って反論するところです。

1つめは羊飼いが飼っている100匹の羊のうちの1匹がいなくなる話。2つめは女の人が銀貨を10枚持っていて、そのうちの1枚がなくなる話。3つめはある人に息子が2人いて、弟のほうが父親のまだ生きているうちに自分の財産の分け前をもらって遠い国に行き、その財産を使ってしまうという放蕩息子の話です。

自分はいなくなった羊です。100匹のうちたった1匹のいなくなった羊のために、羊飼いであるイエス様は探して歩いてくれます。見つかった羊は羊飼いのイエス様の肩に担がれて帰って来ます。そして帰ってきた羊に対し、羊飼いや隣人、みんなが喜んでくれます。悔い改めてイエスを受け入れた罪びとはイエス様と親密な関係となるのです。

また、自分はなくなった1枚の銀貨です。なくなった銀貨を見つけるため、女の人は明かりをつけて、家を掃いて、念入りに探してくれます。女の人とともに周りのみんなも銀貨を見つけだしたことを喜んでくれます。なくなった銀貨を探す女の人は聖霊です。

また、自分は放蕩息子です。財産を遊女に貢ぎ、全部なくして帰ってきても、父親は喜んで駆け寄ってきて抱きしめ、靴を履かせ、最上級の着物を着せてくれます。この息子の父親は父なる神です。

さてこれまでお話ししてきましたように40年間荒野をさまよっていた中抜き信者で放蕩息子の私に対して、神様から祝福をいただき、「これからの第2の人生、もう一度神様の道を歩んでみないか。」と誘っていただいたのではないかと思います。「神の選び」をいただいた者として自らに与えられた賜物を使い、今後何をやっていくか。世の中に何を返していくかを述べます。

まずは聖書を読んで理解を深めていくことを自らはやっていきたいです。今はまだ理解できていませんが自信を持って御言葉を人に伝えられるようになりたいと思います。私のように若いころに洗礼を受けたものの、教会から遠ざかってしまっている人が数多くいるでしょう。そんな人に伝道をしていきたいと思います。

また私の専門は建築ですが、それにとどまらず世俗において、時には人には言えないような色々な経験もしてきました。建築のことなら一番いいですが、世の中のこと全般の相談相手であり、勇気づけていく人になりたいと思います。

この東神戸教会で、皆さんとともに、恵みを受けたものとして信仰による応答はもちろんのこと、神の計画の一部となっていきたいと思っています。
以上で私の信徒奨励を終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

お祈りします。
天のお父様、本日東神戸教会の皆様の前で無事奨励をすることができましたこと感謝いたします。神様から祝福をいただいたものとして、御言葉を理解し、社会への貢献をしていくための知恵と勇気をお与えください。また、このような私を温かく受け入れていただき、猛暑の中、私のつたない話をお聞きくださった教会員兄弟姉妹の変わらぬ健康をお守りください。
このお祈りをイエス・キリストの御名によってお捧げします。
アーメン