「二〇四五年 苦渋の旅」
牧師 横山順一

SF映画の金字塔と称されて来たのが、一九六八年のアメリカ映画「二〇〇一年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督)だ。
物凄く簡単に言うと、宇宙船ディスカバリー号に搭載された最高の人工知能HAL九〇〇〇型が暴走して搭乗員を殺害するという衝撃のストーリーである。
観たのは中学生の頃だったろうか、とにかく高性能コンピュータの暴走をどうにも止められない恐怖を味わった。だが、その時ははるか未来の出来事だったし、何よりあくまでSF小説の出来事に過ぎなかった。ところが、もはやそれは空想や妄想のレベルでなく、現実の問題となっている。映画の舞台、二〇〇一年から二十年近くが経った今、AIの進化は映画以上に目覚ましい。

 ヘブライ大学の歴史学者ユヴァル・ハリル教授は、今後二十~四十年の近未来を警告している。最近よく聞く「シンギュラリティ―」なる単語は、人工知能AIが人間の知能を超える転換点を指す。その転換点は、もう間近いのだ(二〇四五年までに)。

 かつて学生時代、銀行に就職できれば、それはエリートであり、将来の保証が約束されたものだった。それが、AIの急速な進歩により、銀行員は絶滅危惧種の職業だという。株価の予測など、朝飯前なのだから、人間は到底太刀打ちできない。既に一部のスーパーでは、客自ら購買したものをスマホ等で決済し、レジ担当が消えている。カードすら必要でなくて、顔認証ですべてが事足りるシステムが、もうじき普通になるだろう。そのもうじきが、あと十数年ではなく、数年なのだ。現在のスマホさえ使いこなせない私など、自分自身が絶滅危惧種に違いない。

 「AIは進化を続ける。人々は一度だけでなく、何度も自己改革を迫られる。このストレスは耐えがたいだろう」とハリル教授は語っている。想像するだに恐ろしい。コンピューターにこき使われる、のみならず、生き方までも指示される日がすぐやって来る。同時に、バイオテクノロジー技術も飛躍的に伸びる。ロボットが人間にとって代わる。ほとんどの人々はユースレスクラス(無用者階級)に陥り、一握りのエリート層が支配する。―それが、ハリル教授の予測である。

 それがホントなら、では、どうしたらいいの?って、勝てる訳ないじゃんと思う。
 せめても、ビッグデータを独裁政権が手にすることのないよう監視せねばならない。
 思い描いて来た未来は、どうやら「苦渋の旅」であるようだ。だが、諦める訳にはゆくまい。
二十年後、生きているかどうか分からないけれど、子どもたちの現在は続いている。人間の歴史も続いていよう。
八年後にはリニア新線が完成して、東京・名古屋が四十分で結ばれると宣伝されている。
そういう「便利」が本当に便利かどうか、必要かどうかを各自考えたい。
誰かの言いなりになって武器や農産物を大量に買わされてるけど、そんなことにお金を使わないで、介護や保育など「人間」に回すことから始めよう。破滅から逃れるのは、それしかない。