本テキストは「最も難解なイエスの譬え話」。その原因は、使われている単位が莫大であること、またいかにも「不正」を承認しているかのような内容にある。
ちょうど某企業の不正が報道されている。相当な金品が幹部たちお仲間に贈られた。
ペシャワール通信に書かれた職員の文章「子どもたちの靴が買える喜び」。上記企業と正反対の内容である。
譬え話ではあるが、莫大な財産を持つ金持ちは実際にいた。そして彼らはそれを元手に更に儲ける。格差に留まらない不条理。
動機はともあれ、利子分だけでも取り返した管理人の話を、聞いた人たちは大喜びしたに違いない。留飲の下がる思いだったろう。
「こころ旅」で紹介される暖かい思い出。この国の多くの人は、誠実に生きている。盗んだり、かすめ取ったりもしない。けれど世界はつながっている。自分のお金だけ清貧ではいられない。今こそ「不正な富を用いてでも仲間を作る」ことは、とても大切だ。
濡れ手に粟、一攫千金を狙うのではなく、イエスが語る一つの確かなものこそ「一確千金」、それを夢見たい。
絵本「ぼくはなきました」(くすのきしげのり作、石井聖岳 絵、東洋館出版社)を紹介する。

<メッセージ全文>
 NHKの「にっぽん縦断 こころ旅」は本当に良い番組だと思います。BSで7時半から朝ドラを観ると、そのまま「こころ旅」が始まるので、よく観ています。あ~、Sさん、今日は石川県におるわ、なんて言いながら・・・。
あれを観ていると、暖かくて、日本は多分こういう人たちの誠実さや優しさに支えられて成り立っているんだろうと思わされます。ところが一方で、日々流されるニュースからは、腹立たしかったり、情けなかったり、冷たかったり、絶望を覚えるような出来事ばかりを知らされます。どっちが真実なのか、恐らくどちらも真実なんでしょう。

 さて、今日与えられたテキストはとても難しかったと思います。イエスが語ったたとえ話の中でも、「最も難解なたとえ話」とされています。正直取り上げたくない箇所でした。でも、先週起った出来事を思うと、ちょうど合っているかもしれないと思い直しました。

 このたとえ話が難しいのは、まず一つに単位が余りに莫大であるということにあります。もっとも私たちには馴染みのない単位ではあります。主人公はある金持ちに雇われている管理人で、仕事を失いそうになったので、それに備えて主人が貸し出している者たちから証文を書き直させたという話なんですが、その単位が凄い。油100バトスとは、3000から3400リットルに当たります。だいたい150本のオリーブの木からの収穫で、金額に直すとおよそ1000デナリオンとなります。当時の労働者一日の収入が1デナリオンでした。仮に1万円とすると1000万円ということになります。
 次の小麦100コロスに至っては、これは3万5200リットルもの膨大な量です。40万4700㎡、東京ドーム31個分の土地からの収穫量に当たり、これも当時の金額に直すと、2500から3000デナリオンというお金になります。

 こんな莫大な物を油にせよ、小麦にせよ借りるとしたら、どれほどの事情があるのかと内心思います。しかしその一方で、それを貸したというお金持ちも、これほどのものをポンと貸せる訳ですから、大したお金持ちなのだと想像します。その方が重大です。

 当時ユダヤでは何かを貸すという時、利子をつけてはならない定めになっていました。だから貸す時には初めから利子分を入れて貸し出したのです。その利子率はお金だと約25%、品物だと約50%というのが相場でした。相当の高利子です。
 ということは管理人が書き直させた油100バトスを50バトス、小麦100コロスを80コロスというのは、少々大雑把ではありますが、利子分が値引きされたことになるのです。本来借りたものはだいぶ少なくなります。管理人は主人の意向通りに働かなければならない立場ですし、その約束を守るから雇われている訳でもあります。だからこれほどの損失を雇い主に与えるということは、クビをかけた行為であり、同時に犯罪とも言える行為だったでしょう。

 このたとえ話が難しいの二つめの理由は、主人への裏切りと犯罪とも言える管理人の行為を、まず主人自身がほめた、と語られていること。そしてイエスも「不正にまみれた富で友だちを作りなさい」と語っていることにあります。まるで不正を認めているかのような話に聞こえる訳です。小さなことに不忠実な物は、大きな事にも不忠実であるという10節の言葉は何となく理解できますが、続く11節の「だから不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せてるだろうか」との言葉は、不正を犯せとまで言っているようで、容易に受け入れられないのです。

 さきほど先週起った出来事を思うと、と言いました。それは言うまでもなく某電力会社の不祥事についてです。莫大な金品が幹部20人に贈られていました。それで済むか分かりませんが。提供したのが町の助役。今年3月に亡くなっています。この人物が脅すので、仕方なく受け取ったという、いかにも被害者を装うかのような記者会見でした。憤りを感じた方がたくさんいたでしょう。釜ヶ崎の知り合いは、「くれるんなら、脅されてもええからもらいたいわ」と言うてました。正しい感覚と思います。

 先週はちょうどペシャワールの会報が送られて来ました。医師である中村哲さんがアフガニスタンで医療活動の傍ら、用水路を掘る活動を長年されています。お陰で洪水が減り、開墾して農場を作り、大きな働きとなっています。そこの職員をなさっているディダール・ムシュタクさんが「子どもたちの靴が買える喜び」という文章を書かれていました。一部を紹介します。

 「私はディダールと言います。1970年にナンガラハル州の貧しい家庭に生まれました。5歳の時に小学校に入学しましたが、父には私の靴を買うお金がありませんでした。とても寒い日に裸足で学校に行かなければならなかった時、子どもながらにいつか靴を履いて学校に行きたいと思ったものです。
 何とか高校を卒業して大学に入学できた時は本当に嬉しく、これからは国を愛し、母国の人々そして人類に奉仕してゆくことを切望しました。
 在籍中、家庭の経済状況が悪いためにペンやノートを買うお金がありませんでした。そこで建設会社に行って空のセメント袋をもらって来て、その紙をノート代わりに使っていました。
 現在私には息子4人、娘3人、計7人の子どもがいます。4歳の子以外は学校に行っています。PMSのおかげで自分の子どもたちに服や靴を買ってあげられることを嬉しく思っています。」(PMS=ピースジャパン・メディカルサーヴィスの略)

 不正な管理人と元町助役の姿を思い浮かべます。莫大なお金を用水路を掘るのに使ったら、靴をプレゼントしていたら、どんなに良かったか、喜んでもらえたかと思います。原発の点検や定期清掃には、釜ヶ崎の日雇労働者が相当数関わっています。彼らに余分なお金は一切回りません。本当に不条理です。

 イエスの譬え話の不正な管理人。やったことは決してほめられることではなかったでしょう。もちろんあくまでたとえ話で、現実の話ではないのです。でも聞いた人は拍手喝采したに違いないのです。仮にこんなことが実際あったとしたら、管理人から帳簿を値引きしてもらった人は、嬉しくて即座に大宴会を開いただろう。ただ管理人が値引いたのではなくて、表面上金持ちが値引いたことになっているので、借りた人たちは内心金持ちに舌打ちしながら表向き褒めたたえたでしょう。管理人がしたことを知っていても、もはや後には引けない金持ちは、致し方なく抜け目なく動いた管理人を誉めるしかなかったのです。一見不正なことをしでかして褒められるというのはそういう現実の駆け引きの結果でした。(山口里子さんの読み)。ちなみに抜け目なくと訳されている言葉は直訳すれば「思慮深く」となります。

 これほどの財産をもつお金持ちが、どのようにしてそれらを貯めて来たか。そしてそれを元手に更に儲けを得る訳で、一般庶民からほど遠い存在です。借りたものを返せずすべて失ってしまった人も少なくないのです。そんな金持ちのせめて利子分だけでも、管理人はぶちまけたことで、聞いた人々は相当に留飲の下がるたとえ話だったのです。もともとの発端や動機はどうあれ、本当にそれをしたら、クビにされたとしても間違いなく仲間に入れて貰えたことでしょう。

 イエスは「二人の主人に仕えることはできない。あなたがたは、神と富に仕えることはできない」と明確に語りました。立場の180度違う両者に仕えることなど確かにできないのです。神と富が同じ質なら両者に仕えられるでしょう。でも神と富は正反対の位置にあるのだとイエスははっきり示しました。どちらもではなく、そのどちらに仕えるのだ?と問いかけたのです。

 つい濡れ手に粟、一攫千金を夢見る私たちです。でも某企業幹部の醜態を見るにつけ、ああであってはならないと戒めます。お金もなくてはならないけど、それをどう用いるかの方が大切です。一部のお仲間たちだけで密かにぶんどるのか、それともみんなと(とりわけ貧しい人たち)と分かち合うのか。
 
 私たちはつながっています。アフガニスタンの人たちは遠い存在かもしれないけど、でも同じ地球に今共に生きている仲間です。日本に住む大部分の人たちは、誠実に優しく生きています。悪いお金持ちとは違います。けれど、つながっている人たちのことを忘れてはならないのです。アフガニスタンも、香港も、沖縄も、福島もです。
自分はごまかさず、盗まず、ちゃんと働いて労働収入を得ている。多くの人はそう生きています。けれどそのお金は、本当は世界のあちこちとつながっているのです。自分のお金だけは清廉潔白とはならないのが、世界経済です。イエスの時代よりもっとそうなっています。だから「不正な富を用いてでも仲間を作る」ことは大事です。こういう大事で確かな一点をこそ夢見て歩みたいと思います。

 最後に「ぼくはなきました」という絵本を読んで終わります。「一確千金」を思いついたきっかけの絵本です。(くすのきしげのり 作・石井聖岳 絵 東洋館出版社)帯に「なにかひとつに自信があれば、それだけで生きていける」とあります。

天の神さま、イエスを通してたった一つの確かなことを知らされ、それを大事に抱えて生きて行きます。後押しして下さい。