「イエスの心の風景」
牧師 横山順一

NHK「日本縦断こころ旅」で、火野正平さんが読む視聴者からの「心の風景」の手紙を聞いていて、ふと気づいた。
かなりの確率で、お父さんがらみの風景が多いのだ。幼い頃、父が連れて行ってくれた思い出の場所というような。
それを口にすると、「お母さんは日常的にいるからね」と家人が返して来た。

なるほど、たとえ共働きだとしても、非日常的な場所へ連れ出すのは、どちらかというと父親なのだろう。
ただし、私の場合は違った。町内子ども会の遠足だとか、家族の旅行だとか、すべて連れて行ってくれたのは母親だった。
早くに自分の父親を亡くし、記憶にもなかった父は、だから自分の息子に接するに当たって、どうしてよいか分からぬ戸惑いが終生あったと思う。

その父とは、八十CCのカブに二人乗りで、完成したばかりの球場へ行ったのが、唯一の思い出だ。
それはプロ野球のオープン戦で、巨人戦。新球場のこけら落としの試合だった。
プロ野球を初めて観た興奮の方が大きくて、「心の風景」とはならなかった。

イエスはどうだったか想像を巡らす。聖書に子ども時代の記録はほとんどない。
両親に連れられ、エルサレム神殿に参った時の記述があるだけだ。
それはイエスにとって「心の風景」になっただろうか。

当時、庶民の男の子はだいたい六歳くらいから、父親の手伝いをしながら育つのが普通だった。
大工(木工職人とも)だったという父ヨセフ。ガリラヤのナザレは小さい村だったので、そこで仕事は入って来ない。
恐らくは、歩いて一時間ほどのところにあったセッフォリスという町へ出かけて仕事をしたものと思われる。

セッフォリスは「ガリラヤの飾り」としてヘロデ王が再建した、美しい邸宅が立ち並ぶ町で、ガリラヤの首都だった。
ヨセフと共に、貧しいナザレ村から、瀟洒なセッフォリスまでを往復する毎日。

イエスの心に刻まれたのは何だったろう。ヨセフとの思い出というより、二つの生活空間のギャップのほうが大きかったか。
そんな往復を、恐らく三十歳頃まで続けたことだろう。その間に、或いはヨセフの死という出来事もあったかもしれない。

イエスには弟もいたし、妹もいた。父親が早くに亡くなったとしたら、長男たるイエスの責任は、一家に重かったに違いない。
ヨセフは決して悪い人間ではなかった。さりとて、初めての子が自分の子ではない衝撃はあった。
イエスに接するのに、戸惑いや躊躇が全くなかったとは言い切れまい。

一方で、既に高齢だったヨセフに、その後与えられた自身の子どもたちは目に入れても痛くなかっただろう。
この父親からの微妙な空気の違いは、きっとイエス自身が、ずっと肌で感じ育った「心の風景」だったのではないか。

だから彼は、血縁に優る出会いや人間関係を求めたし、大事にした。そしてそれは、確かに正しかった。
クリスマス。秘められたイエスの思いの始まりである。