2020年は、アフガニスタン・ジャララバード北部農村の灌漑をもって「緑の大地計画」の最終段階を予定していた。その一つの村ゴレークの指導者ジャンダールはPMS(平和医療団・日本)に対し、「諸君の誠実を信じます」と語った。
この西日本新聞への寄稿が中村哲医師の最後の文章となった。
中村さんの偉大さは、この誠実さにあり、「キリスト者らしく」ふるまわなかったことに尽きる。
バビロニアによって破壊されたエルサレム神殿の復興運動の効果は、残念ながら長くは続かなかった。ペルシャが次に民を苦しめた。
テキスト・マラキ書は、どうしても元気のでないイスラエルの民たちに「義の太陽」について語りかけた。
それは「建物」ではなく、神の教え(トーラー)を思い起こせというものだった。限定された場所ではなく、どこであってもふるわれる神さまの力への証だ。
ほんの少し遡れば、私たちはみんなつながっている。狭い愛国主義など「いったい何なんだ」と気づかされる。
風に乗り、天を渡って神の教えは広がる。風天のトーラーである。私たちを真に自由へと導く方の降誕が、いよいよ近づいた。

<メッセージ本文>
西日本新聞12月2日国際面より
我々(われわれ)の「緑の大地計画」はアフガニスタン東部の中心地・ジャララバード北部農村を潤し、2020年、その最終段階に入る。大部分がヒンズークシ山脈を源流とするクナール川流域で、村落は大小の険峻(けんしゅん)な峡谷に散在する。辺鄙(へんぴ)で孤立した村も少なくない。

 比較的大きな半平野部は人口が多く、公的事業も行われるが、小さな村はしばしば関心をひかず、昔と変わらぬ生活を送っていることが少なくない。我々の灌漑(かんがい)計画もそうで、「経済効果」を考えて後回しにしてきた村もある。こうした村は旧来の文化風習を堅持する傾向が強く、過激な宗教主義の温床ともなる。当然、治安当局が警戒し、外国人はもちろん、政府関係者でさえも恐れて近寄らない。

●忠誠集める英雄
 ゴレークはそうした村の一つで、人口約5千人、耕地面積は200ヘクタールに満たない。これまで、日本の非政府組織(NGO)である日本国際ボランティアセンターが診療所を運営したことがあるだけで、まともな事業は行われたことがなかった。PMS(平和医療団・日本)としては、計画の完成に当たり、このような例を拾い上げ、計画地域全体に恩恵を行き渡らせる方針を立てている。

 同村はジャララバード市内から半日、クナール川対岸のダラエヌールから筏(いかだ)で渡るか、我々が3年前から工事中の村から遡行(そこう)する。周辺と交流の少ない村で、地域では特異な存在だ。圧倒的多数のパシュトゥン民族の中にあって、唯一パシャイ族の一支族で構成され、家父長的な封建秩序の下にある。

 パシャイはヌーリスタン族と並ぶ東部の山岳民族で、同村の指導者はカカ・マリク・ジャンダール。伝説的な英雄で、村民は彼への忠誠で結束が成り立っている。他部族にも聞こえ、同村には手を出さない。

 10月中旬、我々は予備調査を兼ねて、初の訪問を行った。クナール川をはさんで対岸にPMSが作った堰(せき)があり、年々の河道変化で取水困難に陥っていた。ゴレーク側からも工事を行わないと回復の見通しが立たない。ゴレークの方でも取水口が働かず、度重なる鉄砲水にも脅かされ、耕地は荒れ放題である。この際、一挙に工事を進め、両岸の問題を解決しようとした。

 最初に通されたのは村のゲストハウスで、各家長約200名が集まって我々を歓待した。他で見かける山の集落とさして変わらないが、貧困にもかかわらず、こざっぱりしていて、惨めな様子は少しも感ぜられなかった。
 ジャンダールは年齢80歳、村を代表して応対した。彼と対面するのは初めてで、厳(いか)めしい偉丈夫を想像していたが、意外に小柄で人懐っこく、温厚な紳士だ。威あって猛からず、周囲の者を目配せ一つで動かす。
 PMSの仕事はよく知られていた。同村上下流は、既に計画完了間際で、ここだけが残されていたからである。
 「水や収穫のことで、困ったことはありませんか」
 「専門家の諸君にお任せします。諸君の誠実を信じます。お迎えできたことだけで、村はうれしいのです」

●終末的世相の中
 こんな言葉はめったに聞けない。彼らは神と人を信じることでしか、この厳しい世界を生きられないのだ。かつて一般的であった倫理観の神髄を懐かしく聞き、対照的な都市部の民心の変化を思い浮かべていた-約18年前(01年)の軍事介入とその後の近代化は、結末が明らかになり始めている。アフガン人の中にさえ、農村部の後進性を笑い、忠誠だの信義だのは時代遅れとする風潮が台頭している。

 近代化と民主化はしばしば同義である。巨大都市カブールでは、上流層の間で東京やロンドンとさして変わらぬファッションが流行する。見たこともない交通ラッシュ、霞(かすみ)のように街路を覆う排ガス。人権は叫ばれても、街路にうずくまる行倒れや流民たちへの温かい視線は薄れた。泡立つカブール川の汚濁はもはや川とは言えず、両岸はプラスチックごみが堆積する。

 国土を省みぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲いかかる温暖化による干ばつ-終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。見捨てられた小世界で心温まる絆を見いだす意味を問い、近代化のさらに彼方(かなた)を見つめる。                

 これは結果的に最後の文章となった中村哲さんのリポートです。次回は来年3月に掲載される予定でした。来年2020年は、ジャララバード付近の灌漑の最終計画に入ることになっていて、残念でなりません。
この文章を読んで感じるのは、中村さんの生き方の根底を流れる「自由さ」やおおらかさ、誠実さです。ゴレーク村の代表ジャンダールさんは「諸君の誠実を信じます」と中村さんに言いました。凄い言葉です。中村さん自身が「滅多に聞けない」と書いています。でもジャンダールさんにそう言わしめる中村さんの誠実さが現にあったのです。
ニュースで何度も流された中村さんの写真を見ると、一見、日本人には見えません。肌の色が違うことを除けば、その佇まいはほとんどアフガニスタン現地の人にしか見えないのです。そこに中村さんの生き方が表されていました。
医療活動と言い、用水路を掘って農業を振興したことと言い、彼のした大業について今更紹介するまでもありません。それを上回って私にとって、中村さんの最も凄いと思わされることは、キリスト者らしくなかったということに尽きます。「クリスチャンとして」というような枕詞を使わなかったし、「キリスト者らしく」行動するというような態度を見せませんでした。そういう「いかにも信仰者」から解放された人でした。そしてただただ現地の人たちと一緒に働いたのです。

さて、今日「マラキ書」がテキストに与えられました。旧約聖書の最後に位置された短い預言書です。マラキというのは「私の使者」という意味の言葉で、誰かの名前ではありません。誰が書いたか分からないというより、誰が書いたかどうかは大事ではなかったということです。
バビロニア捕囚によって、イスラエルはボロボロになりました。ペルシャ帝国によって捕囚の民の帰還が許可されました。でも捕囚された民たちも、祖国に残された民たちも双方、生きる希望が全く失われた、いわば生ける屍のような状態でした。

預言者ハガイやゼカリヤたちが懸命にもう一度立ち上がろう、立ち直そうと呼びかけ、紀元前515年にバビロニアに破壊された神殿が再建されました。かつての神殿とは比べようもないくらいみすぼらしいものではありましたが、それでもしばらくの間は、イスラエルの民を励まし、支える象徴となりました。

でも現実は厳しかったのです。支配者がペルシャに変わったからと言って、民たちの生活は何も変わらない、厳しいものでした。建物では真の後押しにはならなかったのです。相変わらずの混乱の中で、人びとは失望して行きますし、絶望の余り、信仰から遠ざかる人たちも少なからず出て来ました。頑なな主張が人々を縛っていたのではないか、しかし上辺の教条主義的教えはかえって心を蝕んだのだと思います。

マラキはそのような時代に立てられた預言者でした。「主の日」と小見出しをつけられた最終の言葉には、ですから「義の太陽が昇る」と語られているのです。つまり「建物」ではないということです。

もちろん、神殿が大事ではないということではありません。そうではなく、神さまの力はある特別な、限定された場所でのみ働くのではないということです。太陽のようにすべてを照らすのだと。ですから「モーセの教えを思い起こせ」と続けられているのです。モーセの教えとは、モーセに語られた「神の教え」ということです。教えとはヘブライ語でトーラーと言います。このトーラー・教えに導かれてユダヤの民は40年に及ぶ流浪の旅を守られて過ごし得たのでした。神さまの力が、どこであってもなされる、ふるわれるということの具体的なかつ力強い証でした。

我が家のトイレに貼ってある今年最後12月のカレンダーの文言「なんなんだ」を紹介します。
 自分の親は2人 その親は4人 その親は8人・・・
 10世代さかのぼると 1000人
 20世代さかのぼると 100万人
 30世代さかのぼると 10億人
 みんなつながっているんだよ
 国って なんなんだ
 愛国や国家主義ってなんなんだ
 戦争や人種差別って なんなんだ!

本当にそう思います。アフガニスタンの地で、中村さんは一人の人間として生きました。背後に聖書の教え、イエスの教えが流れていました。それは例えば日本でしか通用しないような狭い、片寄った教えではありませんでした。
風天の寅さんも自由に生きた人でした。寅さんを演じた渥美清さんは洗礼を受け、教えを得て召されました。きっと日本を超えて自由にされたことでしょう。
神殿・教会を超え、国を超え、人種・性別を超え、私たちを自由へ導く方の降誕が、いよいよ近づきました。

天の神さま、私たちをこの世の縄目、しがらみから解き放って下さい。イエスの後を追い、軽やかに歩んで行けますように。