「レント努力の甲斐もなく」牧師 横山順一

残念なことに、日本では教会と言えどもイースターが大々的ではない。
毎年イースターの日取りが変わるのは、陰暦の「春分のあとの満月の直後の日曜」と定められているからだ。
これが案外にやっかいである。だから何年か前、「バチカンが遂にイースターの固定を決定」というエイプリルフールネタを、結構本気で信じて喜んだものだ。

今年のイースターは四月一二日。これに伴って、レントの期間が定められる。イースターの前の約六週間だ。
「約」というのは、水曜日から始まるから。正確に言うと、イースター前の四十六日がレントだ。ただし六回の日曜日を除く。
つまり本来は四十日。「四十」とは、イエスの荒れ野での試練の四十日、イスラエルがエジプトを脱出してカナンの地へたどり着いた苦難の四十年に対応している。
それで教会ではこの期間は、救い主の生涯を偲んで、各自何かを制限する期間とされて来た。
自分の体を本当に鞭打って、イエスの体験と重ねるところもある。禁酒する、パーティーを行わないという厳しいところもあるが、せめてコーヒーを我慢してその分を献金しようというところもある。

通常、「ハレルヤ」の歌詞のある讃美歌を使用しない。教会の鐘を鳴らさないなどは大体どこもだ。
この期間、結婚式を行わないと定めているところもある。だけど、日本では卒業式・入学式に始まって、転勤や引っ越しのシーズンでもある。当然、お祝いのパーティーもある訳だ。
喪に服するようなことはあまり公にはできないのが実情だ。実際に禁酒する牧師を知っているけど、私にはとても無理だ。
「克己」と位置付けているところもあって、それはそれなりの意味を持っている。
ただ、自分に打ち勝つことができない弱さがある。それを認めることがキリスト教信仰の根底にあると思っている。
それで私などは、何かを我慢しようなど端からしないと決めている。(向上心のかけらもない怠け者の言い訳ですが。)

いや、若い頃は、ちょっとは頑張ってみたこともあった。コーヒーとかお酒とか必死で耐えようとしたけれど、とても続かなった。♪奮闘努力の甲斐もなくって、男はつらいよのメロディーが響く。
四十日は存外に長い。例えば夏休み中何かを禁じるとしたら。やっぱり私には無理って、また言い訳したくなる。

日本語で「受難節」なんて言うから、できそうにもない試練を思いついてしまうのだ。訳が間違っている。
だいたい「レント」=「受難節」ではない。レントとは、もともと(日が)「長くなる」lengthenから来ている。音楽用語のレントは、ゆっくりという意味で、それに近い。
レントはつまり「春」なのだ。
それならなんか、うれしくなるっていうものだ。
イエスの試練は試練として覚えるとして、近づくイースターを迎える春の日を、ゆっくり味わうのもいいのでは?