《 本日のメッセージメモ》
 別府翔青高校正門脇の「乙女のブロンズ像」が汚れているのを掃除しようとした教師がいたことから、31年前に事故で亡くなった女生徒を記念する像だと分かった。奇しくも召された日は教師の誕生した日だった。不思議なつながりだ。
 テキストは「5000人の給食」。パン屋などない寂れたところへ、大勢の群衆がイエスを追ってやって来た。
 弟子たちからしたら、食事の世話のしようもない、勝手に押し掛けた「群衆」だったろう。だが、彼らをよく見つめたイエスにとって、彼らは一括りの塊ではなかった。
 だからこそ、何としても彼らを満たしたかったのだ。誰一人欠けることなく。
 男以外に、女も子どもいたに違いない。しかもそれぞれに命の事情を抱えた人たちだった。
 余ったパンくずで12のかごがいっぱいになったという。それはあふれるばかりのイエスの思いを表している。またイエスの思いに触れて胸がいっぱいになったであろう人々の喜びも示している。
 どの人の人生もドラマがあり、重みがあり、目には見えないつながりがある。 リアルは、想像外に複雑だ。

大分県別府市に翔青高校という学校があります。渡辺友美さんは昨年、この高校の美術教師として赴任しました。美術教師という職業柄もあったのでしょうか、学校正門近くに建てられていた乙女のブロンズ像が汚れているのが気にかかりました。
 
それで生徒たちと一緒に掃除をしたいと教頭先生に申し出たのです。教頭先生は、ブロンズ像がどうして建てられたか調べました。翔青高校は、三年前に三つの高校が合同して出来た新しい学校で、校舎はその一つ、旧・青山高校のものでした。
 
1989年2月2日、当時青山高校の3年生だった首藤久美子さんは、看護師を目指して淡路島にある看護専門学校を受験しに行ったのです。その帰りに高速艇が港の防波堤に激突する事故を起こし、首藤さんは亡くなってしまいました。
 
娘のことを記念するために両親が学校にブロンズ像を寄付したということが分かりました。ここまでだけでも、埋もれていた歴史が明らかになって良かったという出来事でしたが、渡辺友美先生の誕生日が、何と1989年2月2日だったのです。
 
首藤さんのお父さん(88)もお母さん(78)も高齢になられましたが、学校を訪れ、渡辺先生と会うことができました。「目には見えないつながりがある」と語っておられます。
 
これは全くの偶然と受け止めても良いことかもしれません。無理やりドラマチックに語らなくても、単純に「良かったですね」の話で済むかもしれません。でも、私たちの人生には、目には見えない不思議なつながりがあるということも確かな気がします。それが現実に込められた歴史であり、関係性だと思うのです。単純ではないのです。
 
さて、今朝与えられたテキストは、イエスが5000人に食べ物を与えたという、いわゆる「5000人の給食」の出来事でした。多くの人にとって、余りにも知られているイエスの奇跡の話です。少しずつ記述は違いますが、4つの福音書すべてに記されています。
 
出来事の舞台はガリラヤ湖(ティベリアス湖)の向こう岸です。それは、つまり人里離れた寂しい場所を意味しています。他の平行記事と合わせて読むと、夕方になって食べるものを心配しなくてはならない時刻となりましたが、場所が場所だけに店などないところなのです。
 
今日のテキストでは、イエスから「パンをどこで買えばよいだろうか」と問われたフィリポが答えています。そんな店などないことはイエスにも分かっていました。そうならフィリポも「パン屋などここにはありませんよ」と答えるべきでしたが、「めいめいが少しずつ食べるためにも、200デナリオンのパンでは足りないでしょう」と返答しています。ざっと見積もって200万円分くらいパンを買っても足りない、という思いが表されています。要するに、到底無理ということです。
 
アンデレも発見したパン5つと魚2匹では「何の役にも立たない」とフィリポ応援の意見をなしました。無理だと。
 
ルカによる福音書の記事では、弟子たちが「群集を解散させて下さい」とイエスに進言しています。そうして各自で食べ物や宿を探すよう促したのです。まさに「自己責任」の考え方と言っていいでしょう。大体、ここに集った群衆は、イエスが連れて来たのではありません。自分たちで勝手に追って来たのです。であるなら、パン屋があるかどうかより、皆に食事させるお金などないし、それは各々備えるべきとした弟子たちは、冷たいようでも、必ずしも間違っていたとは言えないでしょう。
 
イエスは結局、そこで一人の少年が持っていたパン5つと魚2匹をみんなに分け与えました。弟子たちは現実を冷静に分析して諦めたけれど、ひとりイエスだけは諦めることをせず、皆を満たした、それも豊かに満たしたという出来事でした。
 
今日は、そのイエスの業の背景にあったものを確認したいと思うのです。フィリポにしても、他の弟子たちにしても、そこに押し掛けた人たちは、それぞれ事情があるにせよ、勝手にやってきた「群衆」という括りだったと思われます。
 
先週は、ようやくあのクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号の、乗員・乗客たちの下船が叶いました。あの対応で良かったのかどうか、どうもよく分かりません。船には3700人が乗っていました。プライバシー保護がありますから、どこの誰というような情報は出す訳には行きませんが、3週間近く毎日新たに何人感染したというニュースばかりが報道されました。結果的に「集団」という意識でしか見つめ得なかったように思います。そこにいた一人びとりの人生にも関わらず、それは見えなくて、3700人。そのうち感染者が何人で発症が何人。そんな数字だけが発表され続けたのでした。
 
テキスト4節に不思議な記録があります。「ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた」という文言です。これは何のための記述でしょう。単に季節を記したのでは、きっとないのです。それは恐らく詰めかけた群衆たちに切羽詰まった事情があったことを知らせた文言だと思います。
 
ユダヤ人にとって過越祭は大切なお祭りです。その時期が近いということは、多くの人たちにとって、嬉しい季節ですし、そのための準備に追われる頃でもあるでしょう。しかるに、ここにやってきた人たちには、そんな余裕はなかったのです。お祭りどころではない、各自の抱えた命やら生活やら病気やらの思い事情があって、それを何とかしてもらいたかった。
 
だからこそ、わざわざ湖を渡ってイエスを追ったのでした。向こう岸がどのような場所かもちろん分かっていましたし、大勢の人々だったことも当然自覚してもいたでしょう。互いに全然知らない人たちだったというより、そこに知り合いもいたに違いないと想像されます。大都会ではない、地方の片田舎だからです。
 
「男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった」と10節にありました。当時の人間の数え方ではそうだったのです。でも、そこには少年もいました。子どもがいました。その子どもを連れた母親や女性たちがいました。マタイは「女と子どもを別にして」男が5000人ほどだったとはっきり記しています。例えば男が5000人で、男以外が100人だったはずはありません。男と相当数の男以外の人たちがいたに違いないのです。老若男女さまざまな人たちがおりました。
 
彼らが、他の誰よりも早くイエスを追い、その元に走って、とにもかくにも力を与えてもらおうと、皆押し合いへし合いし、競い合ってたどり着いたとは思われません。着の身着のままで、取るものもとりあえず取らないで、急いで一緒に行こう、共に助けてもらおう、そんなふうに励まし合いながらやって来たのではないか、そう思います。イエスは彼らのその様子を、山から見つめたのです。見たとあるのは、よく見つめたという意味です。マルコは、イエスは「大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ」と書きました。この「憐れむ」とは、はらわたがちぎれるような思いで、ということです。彼らを全体として称するなら「課題を抱えた群衆」ということになるのでしょう。けれども、イエスにとってはそれぞれが生き、懸命の思いを抱えた一人ひとりだったのです。
 
弟子たちと違ってイエスは「群衆」という括りで彼らを見ませんでした。必死になってやって来たその誰もが等しい、重い命でした。だからこそ、すぐに食事のことを思い浮かべましたし、誰一人取りこぼしのない配慮をなそうとしたのです。
 
みんなが満腹した上に、なお集めたパンくずが12のかごいっぱいになったと書かれています。弟子たちには当初圧倒的に足りないと思われたものが、言わば、この時に必要とされたもの以上の量になったということが表現されています。

そしてそれは一人ひとりを大切にしたイエスの熱い思いを示しています。また誰をも思いやったイエスの心に触れて胸がいっぱいになったであろう人々の喜びも示しています。

患者とか感染者とか、集団を一言で表さねばならないことはあります。でもよく見つめるなら、どの人の人生にもドラマがあり、重みがあり、思いがけない目には見えないつながりがあるのです。一括りにはできません。リアルは想像外に複雑であるのです。

イエスがよくよく見つめたように、私たちも倣いたいと思うのです。

天の神さま、物事を、とりわけ人をしっかり見つめる目を養って下さい。