《 本日のメッセージメモ 》
「僕はホワイトでイエローで、ちょっとブルー」は2019年の本屋大賞ノンフィクション本大賞を取った。イギリスにアイルランド人と結婚して暮らすブレイディみかこさんが、中学生になった息子の経験を通して書いた、考えさせられる本だ。
キリスト者の思い込みの一つは、当然イエスは優しい思いやりのある人というもの。それは自明の理ではなく、そうであれる原因が環境の中にあって与えられたと推測する。
田中忠雄の「戦後日本に臨在するイエス」の肌の色は褐色だ。少なくとも白人ではない。
聖霊が与えられた時、一同がほかの国々の言葉で話し出したという、諸国の名前がテキスト9・10節に詳細に挙げられている。それは何を意味しているだろう。
ユニオン神学校教授だったジェームズ・コーンの自伝「誰にも言わないと言ったけど」の中に、授業中起ったゲイの学生とのやりとりが書かれている。コーンはその時「イエスとは、傷つけられ軽蔑された人々と神の連帯を表現する一つの方法」と語って学生を励ました。
諸国の数は、それぞれが抱える課題を象徴している。その一つひとつにイエスは寄り添い、共に歩む。彼は何色か。それを深く想像することが
信仰の歩みである。
《 メッセージメモ全文 》
ブレイディみかこさんは、福岡の出身、高校を出たあと渡英します。イギリスで結婚し、息子さんが産まれ、その頃に資格を取って保育士として働くようになります。その息子さんが中学生になってから学校で体験したことを通して書いた本が、昨年の本屋大賞ノンフィクション本部門の大賞を取りました。それが「僕はホワイトでイエローで、ちょっとブルー」という題の本です。
イングランドの南端のブライトンという町に住んでいるのですが、イギリスも各国におとらず格差社会のようです。そこ差別もあります。低所得で生活が苦しい層は、移民に多いのです。夫はアイルランド人だそうで、妻は日本人です。しばしば中国人と見られる、だけでなく、差別的な視線を向けられる日々を送って来ました。二人の間に生まれた息子さんは、小さい頃から親のこと、自分の血筋のことで様々な出来事があり、複雑な思いを抱きながら成長してきたのでしょう。「僕はホワイトでイエローで、ちょっとブルー」とは、中学に入る頃、息子さんが自分自身を評して書いた言葉なのです。ホワイトとイエローは、両親の人種を指していますが、ブルーは彼にとって「怒り」を表す色だそうです。
この本、本当に刺激的でおもしろくて、東神戸教会の課題図書にしたいと思った本でした。思春期ただ中で関係を取るのが本来は難しい年頃の息子さんと母親みかこさんが上手に間を取りながら、息子の体験から共に考え学んでいる様子が実に正直に描かれています。課題図書にはしませんが、是非読んでみて下さい。お勧めします。
ネタバレは禁じ手ですけど、お父さんはアイルランド人だと紹介しました。イギリスでは、それだけでもちょっと違うのです。でも息子さんは何か学校で問題が起ると、お父さんには報告も相談もせず、お母さんにだけ知らせて来るのです。それは、お母さんが日本人で、お父さん以上にイギリスにおいてはマイナーな存在で、恐らく聞いてもらえる、分かってもらえるという期待感がどこかであるのだろうと思われます。
以前いた教会での出来事です。周囲に神社やらお寺さんやら天理教やら様々な宗派が集まっていて、さながら「宗教ゾーン」のようなところにあった教会でした。時々、お金を貸して下さいとやって来る人に、一度ご近所を紹介したことがありました。「すぐそこは○○教の教会で、あっちはお寺さんで、たまにはそっちへ行かれたらどうですか?」って。そうしたら、「いやあ、教会さんが一番くれるんですよ」と答えられて、それは思い込みじゃないかと苦笑しました。
でも私たちも思い込んでる部分がきっとあるのです。イエスは優しい人で、賢い人で、思いやりがある人。だから分かってくれる。救い主だから、神の子なんだからという、自明の理のような、その思い込みは当たっている部分もあるでしょうけど、そうではない部分もあることでしょう。初めからそうなのではなく、そうなって来たということです。
イエスがユダヤの色々な人たちと食事を共にしたことは、よく知られています。そこには当時社会から忌み嫌われていた人たちが少なくありませんでした。職業の場合もありましたし、病気の場合もありました。
そういう人たちと自然につきあえたのは、神の子イエスだから当然の結果だったのでしょうか?私はそうは思っていないのです。例えば、イエスだけが兄弟・姉妹の中で父親が違いました。そういう出自から来る寂しさや言い知れぬ思いを抱えていたイエスだから、できることがあったのではないか。或いはイエス自身も何らかの、例えば精神的な病を抱えていたから、例え明確な病名のものではないにしても、それがあったから同じような境遇の人に接することができたのではないか。あくまで推測に過ぎませんが、私はそう思っています。
その人が人生の中で与えられた色々な出来事には、出会う人たちと合わせて、社会や時代が抱える様々な問題が言うまでもなく深く関わります。イエスもそういう関りがあって、課題を持ち、学びが途切れなかったに違いありません。
私たち東神戸教会礼拝堂のシンボルと言える、田中忠雄さんが描いた「戦後日本に臨在するイエス」を改めて見てみると、背後の山はどう見ても富士山のように思われます。富士山をバックにし、御来光ではなく、十字架の光を伴ったイエスが描かれています。そのイエスの肌の色は何色でしょうか?褐色のようにも感じられるし、我々イエロー、黄色人種のようにも感じられます。少なくとも白人ではありません。
さて、今日は聖霊が与えられた日、ペンテコステです。毎年のようにテキストとして読む使徒言行録の2章には、その日の出来事が強烈に記されています。激しい風が吹いてくるような音。炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまったということ。音や色でその衝撃が印象的に表現されています。そして一同が、ほかの国々の言葉で話し出したという出来事が、9節から更に詳細に説明されるのです。
すなわち、ほかの国々の言葉とは、これまで特に気に留められては来なかった様々な地方のことです。イスラエルにあっては、神殿があり都であるエルサレムがいつも中心であり、ガリラヤは辺境の地に過ぎませんでした。ましてやその他の地方はだいたいディアスポラと呼ばれる、地方に離散しているユダヤ人と一括りにされていた訳です。
ですが、ここでは実に詳細にその国々が記されています。聖書の中で、一時に、これほどたくさんの地方名が記されている個所はないでしょう。「パルティア、メディア、エラムからの者がおり、またメソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方に住む者もいる。」名が知られている地もありますが、初めて聞かされるような地名もあります。当時の世界のほとんどを表していたのでしょう。
また地名だけでなく、続きの「またローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいる」と、そこにいる事情説明のなされた人たちへの言及もあります。これらは一体何を伝えているのでしょうか?
2年前亡くなったジェームズ・コーンという神学者がいました。ユニオン神学校の教授でした。たくさんの本を書いていますが、黒人解放の神学の提唱者という立ち位置が最も知られていることです。彼が神学校で教えていた時、ゲイの学生が「あなたはゲイの経験を何もわかっちゃいない!」と叫んだことがありました。コーン教授は「君は正しい」と返した上で、こんこんと学生に「君はその怒りを使って声を上げよ」と語りかけました。その時のことが「誰にも言わないと言ったけど」(新教出版社)と題された自伝の中に書き残しています。
(前略)「『イエスは黒人である』と私はこれまで何度も発言してきた。しかし私たちは、イエスはゲイであると言うことだってできる。辱められている人びとがいれば、その人達の名でイエスの名を呼ぶことができるのだ。私の生徒の一人だったジャクリン・グラントは『イエスは黒人女性だ』と言ったが、彼女は正しい。イエスとは、傷つけられ軽蔑された人々と神の連帯を表現する一つの方法なのだから。」(後略)
コーン教授はこう語ったのです。「イエスは、傷つけられ軽蔑された人々と神の連帯を表現する一つの方法なのだ」。コーン先生にとって、黒人にとってイエスは黒人だった。そうでなければ黒人が味わって来たつらい差別の歴史を理解できる訳がない。本当にそう思います。欧米の著名な画家たちが白人の、それも多くの場合背が高くて格好いい姿のイエスを書いて来ました。すっかりイエスのイメージがそのように定着しました。でも肝心の聖書に、イエスが白人で、見栄えが良かったなどの記述は何一つないのです。むしろ、褐色だったと想像するほうが自然です。
でも何人だったとか何色だったとかを特定することに意味はありません。「彼はブラックでレッドで、ちょっとブルー」という今日の説教題は、ブレイディみかこさんの本をもじって、私なりのイエス像を色で表してみただけです。みかこさんの息子さんは「ブルーではなく今はグリーンかな」ということを言っていて、若者の成長は早いと最後に書いています。
聖霊降臨の日に、人びとの故郷である多くの国々の名が書かれたのは、彼らがそれぞれの課題を抱えていることの象徴だと思うのです。その一人ひとりの課題に、イエスは寄り添い、共に歩むのです。皆さんにとって、彼(イエス)は何色で何者でしょう?それを考えることは信仰の耕しであり、務めだと思います。
神さま、何色でもあって人々に寄り添う救い主に感謝します。このイエスに従う者として、私たちもそうでありたいと願います。どうぞ固く導いて下さい。