年末年始に演じられることが多い、古典落語の演目に「芝濱」という話があります。腕はいいのに、酒好きで怠け者の魚屋・勝五郎。女房に尻を叩かれて仕方なしに、芝濱の魚河岸に魚を仕入れに行きます。そこで五十両入った財布を拾うのです。早速大喜びで家に帰って、人を呼んで飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをした末に寝入ってしまいます。
 あくる日目が覚めて財布のことを女房に訪ねるのですが、「知らない」と答えられます。何だ夢だったのか、と心を入れ替えて、それからきっぱりお酒を止め、一生懸命商売に精を出し、ついに店まで構えることとなります。
 財布を拾ってから三年、大晦日に女房が事の顛末を告白するのです。財布を着服したら死罪になるから、大家と相談して「夢を見たことに」して、密かに奉行所へ届け出たのでした。結局落とし主不明で払い下げになるのですが、女房はぐっと堪えて黙っていたのです。勝五郎はそれを聞いて「礼を言うのは俺だ」と感謝します。
 女房は真面目に働いて来た勝五郎をねぎらって、お酒を用意するのですが、飲もうとして一言、「よそう、また夢になっちゃいけねえ」、そういうオチが有名な落語です。

 この話が年末年始に多いのは、年末ジャンボ宝くじがあるからだと思います。まさに夢を求めて買われる宝くじですが、万一当たったら、まずは銀行が今後どう過ごすかの小冊子をくれるのだそうです。
 そこに書かれているのは、とにかく落ち着くこと。冷静になること。基本的に、誰にも当選のことを言わないこと。生活をこれまでと変えないこと。などだと言います。いずれも「なるほど」と思われることばかりですが、これらが出来る人は極めて少ないという統計まであるそうです。
 思いがけない大金を手にして、舞い上がらない人はいないのです。そもそも、それが当たったら幸せになれると期待して買う訳ですから、当たった途端に親戚にまで口を閉ざして、それまでと何ら変わらない生活を続けることなどできる訳はありません。だからこそ「宝くじで1億円当たった人の末路」というような本まで出ているのです。何だか皮肉です。

 さて、クリスマス、つまりイエスの誕生は、「信じられないことが起った」という意味において、宝くじに当たったのと同じような驚きの出来事だったと思います。ルカによる福音書には、その知らせが、ユダヤの羊飼いたちに最初に伝えられたと記されています。
 「主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた」(2:8)とあります。目もくらむようなまばゆい光であったでしょう。まさに暗闇を照らす光です。事情が分かっていたなら、いきなり喜んでいい場面が与えられました。しかし羊飼いたちはかえって「非常に恐れた」というのです。

 宝くじと違って、自ら望んだ事態ではありませんでしたから、恐れても仕方がない出来事だったのです。けれども、天使から出来事の中身を知らされた彼らは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合い、夜間にも関わらず、その場所へ急いだ(15節)と書かれています。話し合ったとは、お互いに言い合ったということです。

 更には、誕生した幼子を見た彼らが、その出来事を人々に知らせた(17節)とあり、神をあがめ、賛美しながら帰って行った(20節)と続いて行きます。これら一連の羊飼いたちの反応は、イエス誕生という信じられない出来事に対応する、信じられない言動でした。

 救い主の誕生という喜びのお知らせを受け、誰一人仲間を出し抜いて一足先に行く者はいなかったのです。彼らは共に「見に行こう」と互いに話し合って出かけました。そして見た光景が天使のお告げ通りで嬉しかったので、人々に知らせたのです。当時彼らはさげすまされ、差別されていた人たちです。友だちも知り合いもいなかったでしょう。天使のお告げを誰にも言わず、自分たちだけのものにしても構わなかった。それなのにそうしませんでした。更には、つらい境遇に泣き、誰かを恨んでも呪ってもおかしくなかった彼らが、神をあがめ賛美しながら帰ったというのです。帰ったとは、元いた場所、つまり彼らの日常である羊飼いの生活の現場へ戻って行ったということに他なりません。

 宝くじに当たったら、大喜びで舞い上がるのです。夢が叶ったのです。でも周囲にバレないよう、当たったことも、叶った夢もできるだけ口を閉ざして籠らねばならない。ただし分かっていてもそうできない。つい内緒でと言いながら明かす。つい贅沢に手を染めてしまう。気が付けばあっという間に使い果たし何もかも失ってしまう末路の世界。それと何と違う羊飼いたちのあり様でしょうか。
 
 天使は「恐れるな」と語りました。それは起こった出来事を恐れるなという意味ではありませんでした。起こった出来事のゆえに、人間の世界についてもう恐れるなと言う意味でした。お金も家もなく、点々とあちこちをうつり歩く不安定な生活、人々から差別され片隅に追われる人生、そのことを神さまは知らないのではなく、よくよく知っておられる。知らんぷりして放っておかれることはない、だから恐れるな、ということでした。そのしるしとして与えられたイエスでした。喜びの余り、黙っていられなくてではなく、どうしても誰かに知らせたい、一人でも多くの人と分かち合いたい、それで羊飼いたちは伝えて回ったのです。そして神さまへの信頼に満たされて、元の生活の場へと帰ったのです。彼らはもはや一人ではありませんでした。

 クリスマスは、ひとりじゃない世界の象徴です。救い主がいて、神さまがいて、仲間がいる。ひとりにされないのです。ひとりじゃなくなるのです。お金や地位よりずっと素晴らしくて、それとは比べ物にならない喜びの世界です。
 
 最後に、佐々木マキさんの「はぐ」という絵本を紹介します。

 いかがだったでしょうか?突拍子もない組み合わせの「はぐ」と感じられたかもしれません。この絵本は2011年の秋に出されました。舞台は海辺です。東日本大震災、とりわけ津波によって大切な関係や大事なものを奪われてしまった人たちへの佐々木マキさんの鎮魂歌の絵本なのです。

 今年はコロナ禍で、互いに近づくことさえ控えるようにされました。「はぐ」などとんでもない行為になってしまいました。でも、クリスマスは、ひとりじゃない世界のしるしです。心の触れあいの世界です。「その光は、まことの光で、世に来て全ての人を照らすのである」(ヨハネ1:9)と記されています。光に照らされ、お互いを思い合って、思いやって、心の中で「はぐ」を交わしたいと思います。

神さま、クリスマスを感謝します。あなたが暖めて下さったように、お互いに暖め合いたいと思います。その思いやりを後押しして下さい。