《 本日のメッセージメモ》

テキストは「ガリラヤで伝道を始めた」イエスの記述。

有利に協議を進める、穏やかに話し合いをするための工夫や智恵がたくさんある。

ヨハネが捕らえられ(12節)から、仕方なくガリラヤへ退いたのではない。もともとヨハネのもとを離れて働く決意はあった。

故郷ナザレでは無理だった。が、旧約イザヤ書の引用(15・16節)がなされたように、ガリラヤはただ辺境にあって貧しいだけでなく、北イスラエル王国の滅亡以来、混血化が進んで、純潔を尊ぶユダヤからは侮蔑された地域だった。

事を進めるためには、エルサレムなどから出発する方策もあったかもしれない。しかし、そのような打算なく、ガリラヤ、そして湖畔の町カファルナウムを出発の地としたイエスだった。

牧師ミツコさんは、人のためでなく、自分のためと考えるようになってラクになったと書かれた。ホーム(自分の場)を走る立ち位置だ。

「悔い改めよ。天の国は近づいた」と、ヨハネと同じ宣言をして開始された業。そこにはガリラヤの人々が強く意識されていた。

効果を算段するのとは違う、偽らず心が楽な選択(現実にはしんどくても)を、イエスはなした。

その在り方が私たちにも示されている。

《 メッセージ全文》

仕事であっても、仕事ではなくても、話し合いという時にそれを円滑に進めるための工夫があります。仕事の場合は、言葉は適当でないかもしれませんが、自分に有利になる、有利にできるような手立てがありますし、仕事でない場合でも、場を穏やかにするアイデアがあります。これらは幾つもあって、本もたくさん出ていますし、ネットで調べるとゴマンと出て来ます。覚えるのが大変です。

 会議の時間とか人数から始まって、テーブルの形や位置、そこに誰がどのように座るか。何からスタートするか。テーブルに花が飾ってあって、お茶を飲みながらのスタイルだと和やかです。議論でなくて対話を重視するなら、丸いテーブルが良いとか・・。

 私も釜ヶ崎の会議の司会をすることが多いのですが、最初に「90分で終わりましょう」と宣言して始めているうちに、段々みんなが慣れて来て、そのようになることを体験しました。最初の頃はだらだらと3時間以上話し合いというのが多くて大変だったのです。やっぱりちょっとした工夫は大事です。

 さて、今日与えられたテキストは、「ガリラヤで伝道を始める」と小見出しにあるように、イエスがいよいよ伝道を開始した出来事が短い一段落にまとめられていました。そこからスタートした、始まりの日、始まりの地と言えば、人間的には興味をそそられるものです。

 前の教会にいた時、隣町の箕面市にミスタードーナツの1号店があるのを知りました。1970年1月27日が開店の日だそうです。私はドーナツにはそんな興味はないのですけど、ここが1号店や、へえーと思うのと、だからと言って別に何ちゅうことないなと思うのとで、何度も店の前を通りました。ただ今でこそあちこちにありますけど、50年前万博の頃の箕面はまだまだ開発中の町でした。多分将来を相当に見越して開店したのでしょう。それを思うと、何となく感慨深いものがあります。

 それはともかく、イエスは30歳くらいの頃伝道を開始したと言われています。それまでは恐らく大工をしていただろうとも言われています。父親ヨセフが大工だったからです。ヨセフが亡くなったとしたら、下の兄弟姉妹を抱えて、イエスは父親代わりとして頼りにされていたかもしれません。

 それがどうしたことか、突如ヨルダン川で洗礼を授けていたヨハネの元を訪れ、洗礼を受けたのです。きっとしばらくはヨハネと生活を共にしたことでしょう。ヨハネはイエスにとって親戚に当たりますし、生まれたのも半年ばかり違うだけで、ほとんど同年代になります。

 と言っても、ヨハネは祭司だった父ザカリヤ・母エリサベトとともにエルサレム周辺で育ったと思われます。ルカによる福音書の記述を見ても、親しい親戚づきあいがあったとは思われないのですが、互いに思いがけない出自であることや同年代ということから、或いはお互いを意識する部分はあったのかもしれません。

 いずれにしても家を出てヨハネの元に行き、更には40日に渡る荒れ野での出来事を経たイエスでした。ところがこの間、当時この地方の領主ヘロデ・アンティパスの妻について意見したため、怒りを買ってヨハネが牢に入れられてしまうのです。後に首をはねられてもしまいます。

 そのこともあって、マタイではこう記されています。12節「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた」。これだけを読むと、もうヨハネがいない以上、致し方なくそこを去ったような印象を持ちます。でも、そうではないのです。

 もともと荒れ野での40日の体験を通して、イエスにはヨハネとは違う何かが示されたのです。それでこれから、と言う時とヨハネが捕らえられるという不運な出来事が重なってしまいました。

 しかし、これからいざ「伝道」を決意するに至って、そのスタートをどこに定めるかは、この世的に想像するなら大きいと思うのです。それこそ今後のために、1号店をどこにするかは、将来に深く関わることでしょう。

 それこそ、効果やインパクトを考えるなら、いきなりエルサレムでスタートしても良かったのではないでしょうか。或いは、ギリシャ語を習得した上で、それが通用する場所を選ぶ方法もあったのかもしれません。

 けれども、イエスが選んだのは「ガリラヤ」でした。これまた、ヨハネ逮捕があって、他に行くところがないので、結果的にガリラヤとなったのではないのです。故郷ガリラヤであれば、それこそ生まれ育ったナザレでも良かったはずです。でもそうしなかった。ナザレではなく、カファルナウムを選んだのです。13節「そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」とあります。

 ナザレを離れたのは、或る意味当然でした。大工をして生きて来た、実家にある町です。そこを飛び出てヨハネを訪れたのです。これから何を目指して生きるか道は決まりました。もはやナザレではないのです。余りにも素性を知られていて、働きは進まないでしょう。

 そうしてナザレを離れました。でもなおスタートはガリラヤであり、カファルナウムと定めたのです。ゼブルンとナフタリとは、イスラエルと呼ばれたヤコブの子どもたちの名前です。かつては意味を持つ名前の地でした。けれど紀元前8世紀に北イスラエル王国が滅んで以降、周辺諸国との混血化が進みました。あくまでも自民族の純潔を尊ぶユダヤからすれば、汚れた地、異邦人の地方となってしまいました。それがガリラヤであり、とりわけガリラヤ北部への侮蔑とされたのです。

 そうでなくても、エルサレム、南部ユダヤから見れば、辺境の貧しい地域ガリラヤでしたが、そこに混血の地という差別が加わったのでした。そこに住む者は暗闇に住む者であり、死の陰の地に住む者と揶揄されたのです。(15・16節はイザヤ書からの引用)

 イエスの亡きあと、パウロは福音を伝えるため、世界を旅しました。いずれはローマを訪れ、最終的にはスペインまでも伝道しに行きたいと壮大な夢を抱いていました。彼にとってイエスから示されたものは、良き知らせであり、それはどんな人にも与えられるものでした。ですから「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力」だとローマ書に書いたのです。「もはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない」と(ガラテヤ4:28)とも書いています。イエスを思うなら、誰であれ救いへと導かれる。それは人種や身分に留まらず、その人が生かされている現場そのものにも及ぶとパウロは知らされたはずです。

 すべてに与えられる神の力であれば、まずは差別され、苦しんで来たこのガリラヤから始めようとイエスは思ったのでなないでしょうか。その選択は、少なくとも効率的ではなかったし、同時に打算でもありませんでした。あったのは、故郷という枠を超えて、ここに住むこと・生きることで否応なくガリラヤの人たちが負わされることとなった差別や貧しさへの深い思いであったのでしょう。

 「74歳、ないのはお金だけ。あとは全部そろってる」という本を、タイトルに魅かれて買いました。牧師ミツコという女性が著者です。それは無論ペンネームです。実際、夫と共に長く牧師として働かれた方です。隠退して一人暮らしの中、この本を出されました。

 読んでみて、あんまりいい人過ぎて、私などはちょっとついて行けないのですが、6章の「くよくよ悩まずに生きるコツ」の中で、「人のため」ではなく「自分のため」で生きるのがらくに、と書かれていて、これはそうだろうなと頷かされました。相手に見返りを求め、それがないと嫌な気持ちになる。相手のためにやったのではなく、自分も一緒に悩み、苦しみ悲しみを共有したかったから、つまり何事も自分のためにやっている、そう考えるようになったら、生きることがずっと楽になりました、とありました。一発ホームランじゃなくて、ホーム・ランだなと感じました。自分の場を走るための、立ち位置として「自分のために」も悪くないなと思いました。

 イエスがそうだった、そんな風に生きたとは思いません。でも神に祈り聞いて、自分にとって最善と思うことを決断したのだと思っています。それは現実には決して楽ではないのですが、偽りがないから心は楽なのでしょう。

 ヨハネは人里離れたヨルダン川で働きました。イエスは、それも良いかもしれないが、自分は人と共に生きると決断し、しかもガリラヤの地を出発点に選びました。ヨハネは荒れ野で働きを始めるに当たって「悔い改めよ。天の国は近づいた。」と言いました(マタイ3:1)。イエスもガリラヤ湖畔の町カファルナウムで働きを始めるに当たって、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言いました(17節)。何と同じ言葉です。

二人を比べるつもりはありません。それぞれの働きがありました。でも、人がいるところで人に向けて語ったイエスの言葉は、結果として心に刻まれ、広められました。多くを得ようとしたからではなく、ガリラヤの人々を強く意識したからです。思っても見なかった自分たちの足もと、そこが天の国とされる。変えられる。それが希望でした。

 どこを働きの場とするか。どこが自分の立つ場か。コロナ禍で不自由を強いられている今、以前よりも深く問われる気がします。華々しい活躍を夢に描くなら、一発ホームランを夢見てもいいでしょう。効果的に戦術を整えた上で、それなりに相応しい場所があることでしょう。でも、どこが真に自分のホームか。現場か。真に自分のために、すなわち偽りのない心で、そこで走りたいなら、少なくとも選び方はもう示されているのです。「イエスのように」です。

 天の神さま、今私たちがどこに立ち、何をえらぶべきか、それぞれに相応しく示して下さい。それを受け、選択する勇気を与えて下さいますよう。