「人間だろ?」

牧師 横山順一

 新しい年を迎えて、はや一か月。もはや正月気分ではないのだが。 どうにも正月の出来事から抜け出せないでいる。

箱根駅伝のせいだ。ラグビーファンであって、駅伝ファンではない。ただ正月の儀式として、テレビをつけっぱなしにしている。嫌でも箱根駅伝が目に入る。

それどころか、つい座って観てしまう。自分は一歩も動かず、時間が過ぎる。ま、これも正月の儀式だと言い訳する。

否、六日まではクリスマスなのだから、正月の儀式ではない、クリスマスの儀式だと思い直したりもする。

であればこそ、クリスチャンたる者は、キリスト教学校をこそ応援せねば、と青山学院の活躍に期待するのだ。

ところがその優勝候補は今年は往路でつまずいて、早々に優勝戦線から退いてしまった。

コロナ感染で大学選手権を、戦う前に辞退せざるを得なかった同志社ラグビー部も然り。

 それは話が別だが、復路はラスト十区まで、箱根参戦四年目の創価大学がトップをひた走った。

 人間の器が小さいと責められようとも、このまま創価(学会)の初優勝かとほぞをかんでしまった。

 ところが、である。創価のアンカーが緊張のあまりでか、急ブレーキを起こした。

 三分以上の、まず逆転は不可能と思われた差を、それもゴール直前で抜き去ったのが、古豪・駒沢大学だった。ここも仏教だけど。

 あり得ないドラマに、よくやった!と多くの人が興奮したことだろう。それは私も同じだ。

 しかし、しかしだ。あとは(主催の)読売新聞本社ビルへの一直線の道路、そこへは監督車は入れない、つまり監督が最後に選手に声をかけることができる場所で、

監督の絶叫が聞こえたのだ。

「男だろ!」

 悲しいかな、生放送がそれを全部拾ってしまった。箱根駅伝を観ていた人みんなが耳にした。

 セリフを聞いた途端、私は凍り付いてしまった。アウトやないか。

以来一カ月、あの絶叫のセリフが脳裏から離れないのだ。

 案の定、あちこちからブーイングの嵐となった。それに対しては、「優勝に水差すようなことを言うな!」との反論もたくさん出た。

 監督は名将とも呼ばれ実力ある人、面倒見の良い、部員たちから慕われる人、あの発言は監督の「愛の表現」とかばう記事も読んだ。

 それはそうなのだろう。監督の人間性を否定する気はない。少なくとも部員との間では、問題は何もないのだろう。

 だが、なのだ。私たちは部員ではないのだ。いかに良き関係であろうと、それは彼ら内輪のことに過ぎない。

 だいたい、これが女子駅伝だったとして、あの場面で「女だろ!」と言う人はいない。

 スポーツ界には、いまだに勝って「監督を男にしたい」などと語る選手もいる。

 悪いが、余りにも遅れている。大学スポーツで、これほどに鈍感な言葉がなお用いられる現状。

 「もはや、男も女もない」と二千年前パウロは述べた。信仰を通して学ぼうよ、と言いたい。

「人間だろ?」