「おしっ、燃ゆ!」

牧師 横山順一

 茶髪を黒く染めるよう繰り返し指導され、精神的苦痛を受けたと大阪府立高を元女子生徒が訴えた。その判決が大阪地裁で出された。

 何と、その校則や指導は「合理的」で違法ではないというのだ。裁判長は女性だった。

 元女生徒は、黒染めが不十分とされて、授業への出席や修学旅行への参加を認められなかった。不登校に追い詰められたのも頷ける。あんまりだ。

 裁判所と一般社会の認識の乖離に唖然とする。大体、大人は自由に髪をいじっている。紫のパーマだってちっとも珍しくない。

 黒染めする校則は、華美な頭髪を制限することで学習や運動に注力させる目的だから「合理的」だという。

 いったい、どんな根拠がそこにあるというのだろう。華美を制限すれば効果があるなら、生徒だけでなく大人もそうしたら良い。

 例えば、私の子どもの頃は普通に使われていた「肌色」なる単語。もはや死語である。理由の説明も要らない。世界に色んな人がいて、肌の色が違うのは当たり前だからだ。それは髪の色だって同じ。

 半世紀近く前になる高校時代。学生服の下に着るシャツは、白のカッターシャツと決められていて、ボタンダウンシャツが着たかった私を含めた一部生徒と生活指導の先生方たちとバトルが勃発した。

 通常のシャツより値段が高い。綿シャツはしわができやすい。つまり保護者に何かと負担を強いることになる。―これがボタンダウン禁止の理由だった。

 今考えても苦笑するしかない。禁止するために無理やり作った言い訳でしかなった。

 他方私たちの理由は単純だ。「カッコいいから」、ただそれだけだった。

 悲しいかな、オシャレしたい生徒の大半は、学業の出来が悪かった。結局先生たちの訳の分からない理由に押し切られてしまった。(その後、オープンシャツで対抗は続いたのだが。)

 ただ、「髪の色は黒」ということと学業の関係は、本来何もない。こういう一方的な決めつけが、差別を生み、ひいては人権侵害に及ぶのだ。

 先月は「女性が入る会議は長い」という発言が大炎上した。うっかり失言ではなく、そこには明確な蔑視がある。

 ただ、偉そうなおじさんが、好き放題を言えて来たのは、それを許す土壌があったから。彼の意見が正しかったからじゃなくて、黙って通さざるを得なかったからに他ならない。まさに「わきまえる」人たちだけに囲まれて来たことの証左だ。

 生徒たちに、したいように好き勝手したらと言いたいのではなく、何故なのかを考えてもらいたい。

 理屈が通るならよし。そうでなければ疑問をぶつけるべきだ。その感覚を持たないと、一部の大人たちの都合に合わせることになる。

 それに、髪の毛を何色にするかなんて、髪がある者の特権だぞ。次第に薄くなり、私なぞ風前の灯火ともなれば、ただただ羨ましいだけの髪染めなんだぞ(涙)。 あるうちが華である。髪もだけど、神もだ。信仰(命)あるうちに、知っておくべきことはある。おしっ、心燃ゆ!