「歌は世にズレ」

牧師 横山順一

  コロナ禍で一年が過ぎた。教会員でさえ、礼拝出席を自粛している中で、新来会者の激減は全く当然の事態だ。

ただ、教会を尋ねて来る人は、日曜だけではない。平日、「祈らせて下さい」と訪れる人も少なくない(これは牧師しか知らないこと)。

三月の或る日、来られた男性は、某教会の信徒だったが、用事で近くに来たからと言って寄られた。それだけでうれしい訪問である。 

わずかの時間、立ち話をし、週報やら教会案内やらを渡して別れた。その翌日、電話を下さった。プラスワンを読んで、三月号で書いた「もういっちょ」のコーナーの小柳ルミ子についての話で盛り上がった。

彼は、物凄く詳しくて、二三のの曲名を出すだけで、即歌詞がすらすら出て来るのだ。感動した。 

私より少し年上とお見受けしたが、若い頃の小柳ルミ子談義が楽しかった。

だけど、彼に悪いのだけど、本当は、私は「藍美代子」ファンなのである。皆さん、ご存じか?

この時期、小柳ルミ子の「春の訪れ」をどこかでカラオケしたいけど、それは歌えるけど、歌いたくても歌えない歌が別にあるのだ。

歌えないと言うより、歌ってはいけないと戒めている。だみ声のおっさんが歌ったら、原曲のイメージをぶち壊す犯罪になるから。

そんな事言いながら、南沙織もキャンディーズも、松田聖子もばりばり歌ってイメージを壊しているくせして(笑)。

藍美代子さんは、一九七三年「ミカンが実る頃」でデビューした。 

題名の通り、ミカン畑で働く地方の若い女性が、都会で働く彼に思いを寄せた歌だった。

既に、歌謡界は華やかな東京中心(社会全体も)となっていて、社会も既存世界を壊す風潮がもてはやされ、その意味で悲しいかな古臭い歌詞だった。

でも、その透明な高音の伸びやかさ、しかも爽やかな。一転して時折出る裏声のつややかさに魅了された。中学三年生だった。

翌年出した「春風の約束」は、デビュー曲を上回る甘く切ない、彼女でなければ歌い得ない名曲だった。聞かない限り分からない。歌は「心」なのだ。ヒットしなかったのは何故か、残念。家庭事情が早い隠退の影と聞くが、流行とズレが生じてしまった。

名曲に心惹かれながら、田舎臭い歌詞を封印した。どん臭いと笑われるのが分かっていたから。

本当は大好きだったのに、レコードも買わなかった。例えば当時買ったLPはエルトンジョンだった(それはそれで良かった)。

時が過ぎ、還暦過ぎたおっさん(じいさん?)になって、ありがたいかな、ユーチューブで「春風の約束」をいつでも聞ける。これも一つの復活だ。文明開化ありがとう!元祖「あいみょん」!

はっきり言って、聞く度にウルウル来る。三節目に入るギターのメロディラインで、もう泣く泣く。ただの面倒くさいじじいに成り果てる。正直、〇〇48とか、脇で妙に踊るメンバーとか、ほとんど関心がない。それこそ面倒臭い。

一人の歌声の素晴らしさ。それを知る時代に生きて良かった。バックダンスは、スクールメイツで充分だった。

もちろん、今の音楽シーンを否定するつもりはない。音楽は、信仰と共に、義理人情と共に、人生に絶対欠かせない。