先週、沖縄の首里教会のU牧師が、一つ動画を送って来てくれました。それは9月26日にRBCテレビで放映された、「時の首里彩画(スイサイガ)」という数分間の短い番組で、「建物の色」というタイトルが付けられていました。本当は、その動画をここで紹介できたら良いんですが、関心ある方はユーチューブで探して見て下さい。
76年前、沖縄戦によって首里の町の光景は一変しました。焼野原です。でも、首里教会は、相当に傷つきながらも残ったのです。「変わり果てた故郷、けれど奇跡は起きた」とテロップにありました。首里教会に通うHさん(86歳)は、疎開先から帰って来て、首里の惨状に「ここはどこなんだろう」と思うほどでしたが、そこに残っていた首里教会の姿を思い起こすと、「今でも胸がドキドキするくらい感動する」と語っていました。
私も2016年に首里教会に伺ったことがあります。今年で創立113年になる沖縄の中心的教会です。壊れて傷ついた十字架がそのまま塔に立っていました。その翌年、会堂建築がなされてすっかりきれいになりましたが、十字架だけはそっくり残されたのです。
「傷ついた十字架を見て、平和を作り出すことを想起することが、首里教会の宣教です。」と、上地牧師はメールに書いていました。「建物の風景」と題された映像でしたが、その首里教会で活き活きと働いているU牧師、また篤い信仰生活を続けておられるHさんの姿を見て、私には「建物とそこに生きている人の風景」に感じられました。
激しい戦火の中で、残った首里教会の建物、それは確かに「奇跡」的な出来事だったろうと思います。しかし、それから76年、傷ついた十字架を残して、それを見て、平和を作り出すことを想起すること、それが首里教会の宣教というU牧師、そして首里教会のあり様こそ「奇跡」だと思えてなりませんでした。首里教会の動向を何も知りませんが、教会を新しくするに当たって、塔の十字架だけは変えないと決断するのは、実に大変なことだったと思うのです。
さて、今日与えられたテキストは、数あるイエスの記述の中でも、飛びぬけて信じがたい、理解し難い出来事だと思います。書かれていることは、一つの奇跡が行われたことなのに、どうにもそれが奇跡だと受け入れられないのです。
舞台の全体像を紹介すると、これはいよいよイエスが逮捕される直前の出来事なのです。21章の最初の段落には「エルサレムに迎えられる」と小見出しが付けられていて、各地での宣教を終えて、ついに都エルサレムに入城するイエス一行のことが描かれています。ちょうど過ぎ越しの祭りで都は多くの人々であふれていた時でした。
今日のテキストには「いちじくの木を呪う」という小見出しが付けられていて、18節冒頭には「朝早く」と時間帯が記されています。一つ前の17節には「都を出てベタニアに行き、そこにお泊りになった」とありますから、いったんエルサレムに行って、また近郊のベタニアに戻ってそこに泊まったということなのでしょう。ベタニアには、イエスが親しくしていたマリア・マルタ姉妹の家がありました。
恐らく泊まったのは彼女たちの家で、決してどこかの宿屋ではなかったでしょう。ですから、そこを朝早くに出たとすれば、朝食など取らずに出発したということで、「都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた」という18節の記述は、至極当然だったと想像できるのです。
ところが道ばたで見つけたいちじくの木に、実がなってなかったのです。「葉のほかは何もなかった」(19節)とは、生々しくも正直な描写ですが、それもそのはず、過ぎ越しの祭りの頃とは3月下旬から4月上旬であって、それはいちじくの季節ではなかったのです。実を捜すほうが無理、無いものねだりに他ならないということです。
それなのにイエスは腹を立てて、木を枯らせてしまったというのです。多分ここにしか記されないイエスの「無茶ぶり」の記述だと思います。そうだよなあ、誰だっておなかが空いたらいら立つよなあ、イエスだって同じだよなあ、と私などは微笑ましい思いさえするのです。プロのテニス選手でも、思うようなプレイが出来ない時、腹を立ててラケットを壊したりします。
しかし、事はイエスの「腹立ち紛れの八つ当たり」では済みませんでした。イエスの態度を不審に思った弟子たちへ、イエス自身がいかにもとってつけたような、言い訳がましい言葉をかけたからです。「はっきり言っておく。」とまで言いました(21~22節)。大仰に思えます。「あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、「立ち上がって、海に飛び込め」と言っても、そのとおりになる。信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる」-そう続けたのでした。
これがまた、答えになっていなくて、引いてしまうのです。いちじくの木を枯らせてしまったことは、とても小さなことです。それを引き合いにして山を動かし、海に飛び込ますとの例えは、とても大きなことですが、それをする、言う意味が分かりません。イエスの行動より、後の弟子たちへの言葉がつながらなくて、これは無理につなげて解釈しなくて良い箇所、そもそも別の出来事が一つにされた箇所ではないか、そういう疑問も沸いて来ます。
昔からこの出来事は、救い主イエスに似つかわしくない出来事として捉えられて来たでのです。この時、逮捕直前にあって、イエスの緊張も最大限の時だった。一つ前の段落には、神殿の境内で商売をしていた人たちを怒って、彼らを追い出し、机や椅子を倒したと記されています。皆の平安こそを第一に願うはずの場所が、そうではない神殿の現実を見て、心底怒りを覚えたのだ。その神殿の模様や、必要とされた実をつけていないいちじくの木、いずれも神さまに応えようとしないイスラエルの民の姿がそこに重ねられているのだ。怒ったというよりも、イエスの深い嘆きの現れなのだ。・・・というような事が注解書には書かれています。そうなのかもしれません。
けれど、いちじくの木を枯らした同じ出来事が記されているマルコによる福音書では、神殿の境内での出来事は、前ではなく後の出来事として書かれています。どちらが本来の順序であったのか、よく分かりません。
分からないというより、それは本来の問題ではないのでしょう。イエスらしからぬ言動について、無理やり意味をこじつけることより、「奇跡」について考える端緒にしたいと思います。
この出来事を読んで、最初に思わされることは、枯らすことができるなら、何故実をつけることをしなかったのだろう?という素朴な疑問です。あの魚2匹とパン5つから5000人の人たちに給食をした出来事が脳裏をよぎるからです。或いは、悪霊を追い出すことや様々な病気を人を癒すこと、その数々の出来事も思い起こされます。
それらは確かに「奇跡」の出来事でした。英語で言うと「ミラクル」の世界です。ミラクルは、ラテン語のミラクルムから来ています。ミラクルムは、「驚くべき業」という意味です。
イエスがなした数々の奇跡の力は、私たち人間にとっては確かに「驚くべき業」であったでしょう。通常、ありえないことだからです。科学的に、物理的にあり得ない出来事とも言えます。
けれども、聖書に登場する「奇跡」という言葉は、それとちょっと意味合いが違うのです。ギリシャ語で言うと「デュナミス」という言葉になります。不思議な現象と言う意味の「テラス」という言葉も使われていますが、デュナミスは「力ある業」という意味なのです。このデュナミスから、英語のダイナミックやダイナマイトという言葉が生まれました。力ある業が活き活きと広がって行きました。ちなみに、ノーベルさんは、ダイナマイトでなく、最初「デュナミス」と付けたかったそうです。
この力ある業を振るわれるのが神さまなのです。数、回数としては多くはないかもしれません。でも、その力は振るわれることが前提となっているのです。私たちが思う「奇跡」は、それと反対です。まず滅多には起きません、というよりも科学的・物理的に言うならあり得ないことです。力が振るわれることが前提となっていないのです。それを私たちは通常「奇跡」と受け取っています。だから、奇跡を願いつつも、一方では「あり得ない」こととして、どこかで諦めてもいるし、冷めてもいるのです。
重ねて言いますが、聖書の世界の奇跡は、神さまが振るわれる力ある業、振るわれることが前提の力です。もちろん、どんなに私たちが願ったところで、山が海に動いて飛び込むような超常現象など起りはしません。でも、山のように頑なだった人の心が、全く思いがけず潤されて温かく溶けるということは起こるのです。
いやいや、それだってまずあり得ない話だと思われる方もいることでしょう。でも自分自身、私自身を振り返ってみれば、気づかされます。信仰を持つということ自体が、自分の力ではあり得ない奇跡の結果ではないですか。
いちじくを枯らせてしまったのは、もうええわいという投げやりのような思いもないではなかったかもしれません。が、マルコでは枯れたのは翌日の出来事になっています。もしかしたらもう食べることはない、これから進む道(つまり十字架への道)を引き返すことはできないという、イエスの訣別の決意だったのかもしれません。それがいちじくを枯らせたということにつながれたのかもしれない、そういう想像があります。枯らせることを通して訣別した。何だか傷ついた十字架にも思えて来ます。それは実をならせるよりも大きな力ある業のようにさえ思えるのです。そして同時にそこには、力ある業への、それを振るわれる方への揺るぎない信頼があったと思いたいのです。それが弟子たちへの言葉となりました。敢えて傷ついた十字架を残した首里教会の決断を、そこに重ねて思います。
不思議な力、驚くべき業の実現を期待してばかりいた弟子たちに、この時イエスの真意は何も伝わらなかったことでしょう。それでもふと足元を見れば、それぞれ一人びとりに相応しい形で信仰が与えられていました。それこそが、奇跡です。何かいい事起きないか、いちじくの実がならないか日毎願って待っている私たちの、足もとに、今を生きよう、これからを生きようという、信仰と言う名の奇跡が置かれているのでした。
天の神さま、私の足元に置かれている奇跡を通して、偽りの奇跡、形だけの奇跡を望む生き方から訣別させて下さい。
《 本日のメッセージメモ 》
「働かざる者、食うべからず」の出典となった語句(3:10)を含むテキストから、かつて行った夏季伝道実習の日々を思い起こす。「神学生」という武器以外何もなかった。
テキストは、パウロの名を借りた手紙。テサロニケの教会には、イエスの再臨が近いなら働かなくても良いと考える一群が出現した。
一方で、その日の生活にも苦労する人々もいて、双方への配慮から、パウロたちは自分の食事は自力で得た。それ故、それぞれの働きを淡々と担おうと呼びかけたのだった。
考えて見れば、パウロこそ何も(伝道の)武器を持っていなかった。あったのは暗闇で共にいたイエスの存在のみ。しかも、聖書も何もない当時の時代状況だった。
ルーテル教会の関野和寛牧師は、現在アメリカの病院チャプレンとして働く。現場はコロナ病棟や精神科の閉鎖病棟。そこでは、通常のキリスト教的言動は役に立たない。これまでの責任を鋭く問いつつ、格闘している。今般、キリストの意味を語る「天国なんかどこにもないよ」(教文館)を出版した。
強く共感する。上辺の言葉より、イエスの存在の意味こそが最も大切だ。教会からも社会からも意味が失われている。今、それを取り戻したい。
《 メッセージ全文 》
「働かざる者食うべからず」という戒めがあります。「怠け者は食うな」という、なかなかに厳しい言葉で、クリスチャンになるまでは、ずっと日本古来の格言だと思っていました。でも実は、聖書に由来する言葉なのです。今日読んだテキスト3章10節に「働きたくない者は、食べてはならない」という文言が出て来ますが、これが「働かざる者食うべからず」の出典なのでした。
どういうことかは後で説明しますが、病気とか障害とか、或いは失業とかで、働きたいのに働けない事情を抱えている人に対する言葉ではありません。ただ、私は今日のテキストを読むと、30数年前の夏季伝道をいつも思い出すのです。同志社の神学生だった頃、夏休みを利用した伝道実習がありました。略して「夏季伝」と称していました。
学生時代に2回行きましたが、最初行った夏季伝は、鳥取県の青谷という小さな町の教会でした。当時、無牧で、教会に一人およそ40日泊まりこんだのです。与えられた仕事は、その間にある日曜日の説教と水曜日の聖書研究祈祷会と、当時種谷俊一先生がいた八頭教会のCSキャンプを手伝うこと。学生には、それだけでも結構大変ではありましたが、それ以外は全く自由でした。
神学生、牧師の卵ということ以外に、何一つ武器はありません。誰も住んでいなかった教会の牧師館に、突然京都から正体不明の学生が住むことになりました。その頃、私に周囲への配慮をする余裕は全くなかったのです。今ならよく分かります。ただ一言、胡散臭かったと思います。ですから、大人はほとんど誰も訪ねては来ませんでした。礼拝も、祈祷会も1人か2人くらいでした。暇でした。これも今から思えば、もっと地域への伝道に頑張ってみるべきだったでしょう。
でも大人と違って子どもは、好奇心旺盛です。最初は恐る恐る教会を覗いていましたが、やがて遠慮なく3~4人の小学生たちがやって来るようになりました。それも朝6時とか6時半くらいです。仕方がないので、ラジオ体操をすることにしました。体操が終わってもダラダラ帰らないので、食パンと牛乳と目玉焼きのような朝ごはんを作って、一緒に食べました。それがずっと続くのですけど、その子たちの親は何にも言って来ないのです。驚きでした。
朝ごはんを食べても子どもたちは家に帰りません。教会にある絵本とかを遠慮なく開いてゆったり過ごすのです。さすがに毎日はかないませんので、せっかく教会に来たのだから、ということで、ギターで子ども讃美歌を教えました。聖書の紙芝居も読んで聞かせました。
けれど、彼らはもともとそんなことが目的で来てはいませんから、すぐ飽きます。それで教会の目の前の浜辺へ連れて行って、海水浴が午前中の日課となりました。これも今なら考えられないことです。海で泳ぐと疲れて眠くなるので、昼はさすがに家に帰るようになって助かりました。また夕方来るんですけど。
まあ、そんな40日を過ごして、帰る頃には子どもは10人を超えるようになっていました。帰る日に子どもの親たちが来て、二十世紀梨をどっさりくれました。私の乗った車をどこまでも追いかけて来た子どもたちの姿を今も忘れることはありません。何を働いたかと問われれば、あれは働いたと言えるのかどうか、正直一緒にただ遊んだだけでした。一つだけ彼らに命じたのは、「おっちゃん」じゃなく、「センセイ」と呼びなさいということ、それだけでした。
昔話でちょっと前置きが長くなりました。今日のテキストである「テサロニケの信徒への手紙Ⅱ」は、著者がよく分かっていません。Ⅰを書いたのはパウロで、Ⅱもそうだという人もいますが少数です。恐らくパウロが亡くなった後、西暦70年頃に、1章の冒頭にあるテモテかシルワノか、或いは別の誰かがパウロの名を用いて書いたのだろうと言われています。
聖書の後ろにある地図、パウロの宣教旅行2,3で見ると、第2回の旅行でパウロは、フィリピからテサロニケへ来て、ここでも教会を立ち上げたのです。テサロニケは、ローマ帝国のマケドニア州の拠点都市、重要な港湾の町でした。ギリシャ文化に満ち満ちたところでした。
私も夏季伝を思い起こしながら、もし自分がここに派遣されていたら何をどうしたかと想像します。先ほど「神学生、牧師の卵」ということ以外の武器はなかった」と言いました。しかし、皆さんにも是非想像力をたくましくして、思い描いていただきたいのですが、パウロだって何も武器はなかったのです。
ギリシャ語をしゃべることができた、テントを作る技術を持っていた、これは大きかったですが、当時まだ何も教会の組織や構造はできておりませんでしたから、身分など何も保証はないのです。神学生とか牧師の卵などという概念すらありません。自分自身で、イエスの福音を語る使徒と称する以外なかったのです。
それに加えて、社会の事情が違い過ぎました。大体、聖書がないのです。人々に配って回る何もありません。もしあったとして、文字を読める人がいないのです。もちろん写真も映像もありません。自分の語ること、それが唯一の武器だったのです。
今日のテキストを読んで、恐らく皆さん、面白くはなかったと思います。何だか偉そうにも感じられたかもしれません。パウロがテサロニケを去った後、他のところ同様に、教会を揺るがすような問題が起りました。放ってはおけないので、誰かがパウロの名前を借りて手紙を書いたのでした。
それは、手紙Ⅰでもパウロ自身が書いたように、イエスの再臨についての騒動でした。簡単に言うなら、イエスの再臨がいずれ近いのであれば、あくせく働いたりしないで良いではないか、と主張する一群がいたのです。当時は、日々の労働は、奴隷が担うもので、働かなくても食べて行ける恵まれた自由階級、知識階級の人たちがそもそも存在していました。その日の暮らしにも困窮する人たちからしたら、噴飯ものだったでしょう。恐らく彼らは、単に労働をしないということに留まらず、基本的な生活の糧ははみんな人任せで、その上偉そうなモノだけは言いたい放題だったと思われます。
まさにだらけた、怠惰な生活を続けて目に余るものがあったことでしょう。テサロニケに滞在していた折、パウロたちはこうした人たちへの配慮があり、また貧しい人たちへの思いやりもあって、自分たちの食事は自分たちで得るべく、知らない地での努力を続けたのでした。
そんな人たちのようにではなくて、誰もがイエス再臨のその日まで淡々とそれぞれ担うべき働きを続けながら、その時を待とうと呼びかけたのが、今日のテキストの主眼です。ですから「働きたくないものは、食べてはならない」とは、なすべき働きがあるのに、それをいかにもとってつけたような言い訳でもって担わない人たちへの至極当然の注意であったのです。
さて、最近衝撃を受けた本を紹介します。関野和寛牧師が書いた「天国なんてどこにもないよ」という本(教文館)です。衝撃を受けたというより、激しく共感しました。
牧師が「天国なんてどこにもない」などというのは、あり得ない、もっての他の言葉かもしれません。帯には「伝道者の捨て身を見た!」とあります。捨て身ではなくて、そう言うしかない真実、現実があると私は思っています。
関野牧師は日本ではルーテル東京教会の牧師として14年働いた後、去年から渡米して、ミネソタ州のアボットノースウェスタン病院で、病院付きの牧師として働いています。主にコロナ病棟や精神科病棟が働きの現場です。
そこでは、ただ病気の患者というより、現在のアメリカが抱えているありとあらゆる課題を背負った患者が入院しているのです。それはどれもこれもが深刻で、重い課題ばかりです。彼らが求めているものは、少なくともキリスト教の信仰ではないのです。ですから関野牧師はこう書いています。
「天国なんてどこにもないよ。この本のタイトルは、聖職者らしからぬものに聞こえるかもしれない。だが聖職者こそ言い切らなくてはいならない。わたしの目の前の現実は地獄のようだ。パンデミック、殺人、暴力、差別に満ち溢れている。それに目を伏せて、見たくないものに蓋をして「神さまはあなたを愛していますよ」「この試練の向こうに恵みがあるはずです」など、キリスト教会お決まりのフレーズは全く助けにならない。救いなき絶望、光なき終わり、答えのない理不尽な世界に立ち続けるのが聖職者ではないか。そしてその最前線で神に怒り、神を見失い、大失敗してそれでも悲しむ者と立ち続けるのが牧師ではないかとわたしは信じている」
こう書かれて、ルカによる福音書17章20~21節の聖句を引用して文章をまとめているのです。
聖書の中でファリサイ派と呼ばれるものたちがイエスに質問した、「神の国はいつ来るのですか」と。イエスは答えた。「神の国は見える形では来ない。「ここにある」「あそこにある」と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」
キリストは宗教の権威者たちに「神の国はあんたたちには決して分からないし、見えもしないのだよ!そうではなくてあなたたちの間にあるのだよ!」と言った。あなたたちとは不治の病に感染し隔離された者、娼婦、税金取り、罪人、社会から隔絶され見下されている人々のことだろう。神の国、天国、云々語っていないでこの世界の地獄に行き、そこで人々と出会って来いというキリストの挑戦状でもある。だからわたしは今日もそこに挑む。アメリカの病院の床で患者の家族と抱き合って泣き、閉鎖病棟のテーブルの上で子どもたちとゲーム黒ひげ危機一髪をして盛り上がる。天国なんかどこにもない、ただ今日も地獄の真ん中で泣いて、少し笑うのみだ。」
相当に強烈な表現ではあります。が、私はその通りだと思うのです。関野牧師より少し年上なので、ちょっとだけ丁寧に言いますが、私たちが勝手に願望し、一方的に作り上げる天国など、どこにもないのです。関野牧師はこれまでの教会がそこに付け込んで来た責任を問うのです。
私も、いつか死んで行くことになる天国は、是非あって欲しいし、良いところであって欲しいと心から思います。ただ自分自身が行ったことのない、見たこともない場所を、さも知っているように、いかにも見て来たかのように語ることはできません。それよりも、天国が良い場所であるなら、いつかどこかではなく、今生きているこの場に実現することのほうがはるかに神さまのみ心に叶うことだと信じています。
そのために、キリスト教の意味をこそ誠実に伝えることが大事だと思うのです。パウロは、ダマスコへ向かう途上で三日間目を見えなくされました。その、言わば地獄のような暗闇の中でイエスと出会ったのです。天国ではなく、暗闇にイエスは共にいました。その証しを聞いた人たちがそれを信じて行きました。
関野牧師も、強烈な表現を使っていますが、何よりも共におられるイエスのことを懸命に思い、伝えているのです。希望がないとしか思えない現実の中で、共にイエスがいる、その存在の意味を語っています。彼もまた、意味を大切にする人なのです。表面の言葉だけで、内実の失なわれていることが、キリスト教・宗教のみならず、この世に満ちています。意味が死んではならないし、意味を死なせてはなりません。私もそこで格闘しますし、皆さんもそこに参画していただきたいとお願いします。
神さま、救い主イエスの意味を真に思うことができますように。