クリスマスイヴ、キャンドルライトサービスのお知らせ。

12/24(金) 19:00~ 東神戸教会にて、今年もクリスマス・イヴ燭火賛美礼拝が行われます。
教会にお越しいただいても、東神戸教会のフェイスブックページからオンラインでも、ご参加いただくことができます。

式次第と讃美歌の歌詞を先に挙げさせていただきますので、オンラインでご参加の方は、よければプリントアウトしてお用いください。


馴染み深い讃美歌と、横山先生の力強くもやさしいメッセージとで、クリスマスをお祝いしましょう。
イヴの礼拝は、初めての方でもご参加いただきやすい内容だと思いますので、どうぞご一緒に。

「No Limit’s Xmas」
《 メッセージ全文 》
 今年もまたクリスマスイヴが与えられました。救い主の降誕を前にして、私たちは静かにその時を待ち、またクリスマスの意味をそれぞれ覚えています。
 毎年のように、この時一番最初に救い主の誕生を知らされた羊飼いたちの記事を読み返します。その時、当時イスラエルの羊飼いたちが置かれていた状況を想像します。
私たち日本では、羊飼いの生活について馴染みがないので、どこまで現実に迫って思い起こすことができるか、少し難しいことでしょう。
 しかし、一年中羊の世話をしてあちこち移動するのです。定住の家を持たないのです。定住の家を持たないということは、家だけではなく、ありとあらゆるものを持たないということです。と言うよりも持てないのです。持ち物は、本当に必要最小限のものだけになります。
 それは衣服とか、家財道具とか、まずはそういう「物」に関してですが、それだけでなく、近所づきあいとか仕事関係の仲間とか、普通予想される人間関係も持てないということです。
 町に住んでいれば、当たり前に備えられる環境が整えられない訳です。そういう生活を想像するのは、確かに相当難しいと思います。
 私は、釜ヶ崎という場所に関わることを通して、似たような環境の人たちを知らされて来ました。ドヤと呼ばれる簡易宿泊所に寝泊まりしながら、結構遠いところまで出かけて仕事をします。三畳一間の住まいですから、多くのものは持てません。下請けの仕事を、基本的に自分で探すので、一人親方のようなものです。
 みんなが、という訳ではないでしょうけど、頼りは自分自身にしかないのです。ですから、プライドというか、人間の尊厳に対して感覚が敏感になります。傍から見れば、貧しい環境に見えるかもしれませんが、精神が貧しい訳では決してありません。強い意志をうちに秘めている人を少なからず知っています。そうでなければ、やって行けないのです。
 いつだったか、障害を抱えた弟がいる方の文章を読んだことがあります。多くの人は、弟を見て「可哀想だ」というけれど、自分はその弟から色んなことを学んで来たし、むしろ弟がいてこそ自分がいる。だから「可哀想だ」なんて言うのは、弟に対して失礼だ。―ざっとそんな内容でした。
 その通りだと思いました。釜ヶ崎の人たちにしても、ハンディキャップを背負う人も、そのことで生きにくい環境は現にあります。それは、どうにかしなければならないし、その意味で同情すべき事態はあるのです。けれど、それは「可哀想」という憐れみとは違うことです。
 羊飼いたちにも、そのことは言えると思うのです。多くの人たちが享受している環境にはありません。そこに同情すべき点や改善すべき点は、絶対にあることです。中でも、羊飼いをしていることを指して、差別感を持たれるなら、それは決して許されません。
 でも、それらを少し脇に置いて考えれば、彼らはきっと強いプライドを持って仕事をし、生活していたに違いないのです。季節や天候によって羊を最善の場所に導かねばなりません。万一、獣に襲われたら、身を挺して守らねばなりません。誰も代わってはくれないのです。自分がしっかりせねば、という気概を日々持ち続けて生きていただろうと推測します。貧しいかもしれないけど、凄いな、偉いなと思います。
 そんな羊飼いたちに、救い主の降誕が一番に知らされたのです。差別され、存在すら忘れられていたから、片隅に押しやられていたような彼らだったから、可哀想だと神は思われたのでしょうか?
 もちろん、神からの温かい憐れみはあったと信じます。けれども、それが第一ではないことでしょう。では、何が知らされたのか?それは、彼らにもその心と体を覚え、生活を導く羊飼いが与えられる、という知らせではなかったでしょうか。自分一人で頑張り続けなくて良いということではなかったでしょうか。
 自分が羊飼いだから、羊飼いは不必要ではないのです。彼らにも羊飼いが必要でした。真の羊飼いである救い主にとって、彼らもまた大切な「羊」であったのです。自分だけが、自分だけで、懸命に己を律し、一人立つ必要はない、一人で耐え呻吟することはない、という深い思いやりがそこにありました。
 もしかしたら、羊飼いたちだけでなく、この世の重みに押しつぶされそうになりながら、必死で一人で立とうとする人たちが、他にも人知れず大勢いたかもしれません。だからこそ、天使は「民全体に与えられる大きな喜びを告げる」(10節)と語ったのです。
 イエスは成長した後に「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)と言われました。「だれでも」です。そこに一切の制限はない、のです。
 クリスマスの知らせが、羊飼いたちに最初に知らされたのは、彼らを思うことと同時に、神の招きに制限が何らないことの象徴でした。一切の制限なし、「ノー リミッツ クリスマス」です。心から感謝し、遠慮なくその招きに与かりたいと思います。

天の神さま、あなたの深い思いに心から感謝します。皆が暖められますように。