《 本日のメッセージメモ 》
今年11月に出た絵本「12月26日のクリスマス」(文芸社)は、サンタに御礼する少女の物語。降誕は描かれないが、26日からガラッとお正月ムードになる世相に抗して出されたもの。
テキストは「東方の占星術の学者」の出来事。エルサレムでの発言を通し、彼らが誠実に仕事をし、その答えを求め、現ヘロデ王に遠慮なく訪ねて来た、まさに「分からないことを分かりたい学者」だと知らされる。
が、そこには知っているのに、王に忖度して口を閉ざした祭司長や律法学者たちがいた。
東方の学者たちは、学究の結果とは別に、幼子を見て、心から拝礼した。「信じられないことは、信じること」が始まりだった。それがマタイ記述の最大の目的だったろう。知識イコール信仰ではないと心したい。
彼らが見たイエスは、赤ちゃんではなく、2歳くらいだったとの説がある。「幼子」としか書かれてもいない。それはクリスマスムードを削ぐが、真実は定かではない。
この時のイエスが何歳であろうと、学者たちが見せた姿の重みは消えない。彼らにとって、この時こそがクリスマスだった。故にこれは、クリスマスその後物語ではなく、クリスマスただ中の物語である。
《 メッセージ全文 》
今日は午後、信愛学園のクリスマス礼拝とクリスマス会があります。信愛学園のクリスマスは、毎年12月26日なのです。何故か、と言いますと、24日とか25日は牧師が行けないからです。
学園の子どもたちに申し訳ないと思いながら、私自身はクリスマスを過ぎてから行われるクリスマス礼拝に、何かとても大切なことが示されているようで、大事な時だと思っています。
毎回同じ話をすることはできませんが、東の博士たちの話を時々します。それは、まさに12月25日のクリスマスの後に起きた出来事だからです。今年はどんな話をしようかと、本屋で題材を捜していたら、「12月26日のクリスマス」という絵本を発見しました。今年出た新しい絵本です。サンタさんからプレゼントをもらった女の子が、26日にサンタさんに御礼を伝えに行くというお話です。
この絵本には「100のクリスマス物語」というサブタイトルがつけられているのです。12月25日が終わった途端に町中が新年ムード一色になるのを残念に思って、サンタさんに感謝するために、これから毎年1冊ずつ100年クリスマスの絵本を作ると後書きに書かれていました。そのために新たに立ち上げたサンタクロース出版舎の第1号絵本なのです。(ちなみに出版は文芸社というところです)
サンタさんへ感謝を伝える温かい気持ちは良いのですけど、肝心のイエスの降誕のことは何も出て来ません。牧師としては、ちょっとだけ複雑な思いはあります。でも、確かに26日からこの国の雰囲気はガラッとお正月モードになりますから、まあ固いことは言わずに「よし」としたいと思います。
さて、今日与えられたテキストは、ちょうど東の博士たちの物語の箇所でした。教会暦では、1月6日がその日として定められています。それが異邦人に初めて救い主の姿が現わされた日、「公現日」です。
もちろん、本当にその日だったかどうかは明らかではありません。そもそもクリスマス自体が12月25日というのも、ご承知のとおり後から決められたことです。それを言い出すと、クリスマス気分が、それこそ吹っ飛んでしまいますので、日付の信ぴょう性よりも、そこに込められた思いを大切にしたい訳です。
いわゆる東の博士たちは、聖書には東の方から来た占星術の学者と書かれています。東というのは、ユダヤから見た方角のことで、恐らくはバビロニア当たりだろうと推測されます。
占星術の学者とされていますが、今で言う天文学者という訳ではありません。英語のマジックの由来となったのが、原語のマゴスで、昔は一定の身分でしたが、この当時には、中には怪しい星占いなどで生計を立てていた者もいたそうです。またユダヤでは、占い師や星占いが元来禁止されてもいました。人によっては、いかがわしい胡散臭い存在と思われました。
けれども、彼らがそういう怪しい人物ではなかったと思われるのは、ヘロデ王に会う機会を得たことと、その源となった発言によります。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(2節)と彼らは申し述べたのです。
わざわざはるばるとエルサレムまでやって来たこと。それは自分たちの働きである占星術による知らせであったこと。そして現ヘロデ王がいるのに「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」と発言したこと。
この発言を読むだけで、彼らがいかにも真面目に誠実に占星術をもって取り組んでいただろうことが、よく想像されます。いい加減な人であれば、占星術からの示しの結果を知ろうとはしないでしょう。それを求めて異国の地にまで出かけることもあり得ません。
また、彼らが何かしらの見返りを望んだのでもありませんでした。ただただ純粋に、結果が真実であったかどうか、それが最大の関心事だったのでしょう。だから、何も恐れず、現ヘロデ王に対する遠慮も思慮もなく、尋ねたのです。悪く言えば、馬鹿がつくほどの正直さだったと思います。
実際、9節・10節には、「東方で見た星が先だって進み、ついに幼子のいる場所の上に泊まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた」と記されています。実験で得た推測が、現実に実証されて大喜びする、まさに学者の姿そのものです。彼らは分からないことを、徹底的に分かろうと努力する人たちでした。
ただし、今日の記事には、もう一種類の、別の学者たちも登場しているのです。それは、ヘロデ王に仕える律法学者たちです。彼らとて学者、メシアがどこで生まれるかについて、ちゃんと知っていました。しかし現王に忖度し、問い質されるまで口を閉ざしていたのです。権力者に忖度する御用学者としか、言いようがありません。
しかも東方の学者たちは、ただ自分たちの調査や研究の結果だけのためにやって来たのではありませんでした。「私たちは、拝みに来たのです」という言葉にそれが現わされています。またその現場に導かれ、幼子を見て、「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金・乳香・没薬を贈り物として献げた」(11節)とある通り、最大限の拝礼をなしたのです。
彼らが学者として、追い求めていた結果イコール信仰ではないのです。学究は学究、信仰は信仰、それが本来の形です。星から導かれた結果と、そこにいた幼子の姿は、学問的、科学的、客観的に言うなら、全く別物という他ありません。
それは現在の私たちにも十分当てはまることです。一足飛びに信仰と言われても無理があるので、多くの人はまず分かりたいと願って、あれこれ調べたり本を読んだり、知識から入ろうとするのです。
ですが、知識イコール信仰ではないと重ねて確認したいと思います。分かったから信じる、分からなければ信じない、のではないのです。逆に分かっているのに、信じないという場合もあります。それが祭司長や律法学者たちでした。彼らは、救い主の存在を知らされていたのに、信じませんでした。東方の学者たちは、恐らく分かってはいなかったものの、信じたのです。信じられないことは、まず信じることが始まりとなるのでした。信じるとは、分かることとは別の世界でした。そしてそれこそが、マタイがこの出来事を記した最大の思いであり、願いであったのだと思うのです。
実は、学者たちが家に入って見た「幼子」は、2歳くらいの子ではなかったかと推測する節があります。と言うのも、この後ヘロデ王から、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺すという大虐殺が起ったことが16節からの記述にあるからです。
私たちは、東の博士たちがやって来たのは、12月25日にほんの少々遅れた或る日のことだと思っています。先に言いましたように教会暦では、それを1月6日としています。だから、東の博士たちが見たのも、まだ赤ちゃんであるイエスだとイメージしています。でも、今日の箇所には「幼子」としか書かれていないのです。
クリスマスの夜に羊飼いに知らせが届いたというルカの記述では、「乳飲み子」と書かれていて、英語の聖書でも「ベイビー」、赤ちゃんとなっています。一方、マタイのこの記述では「幼子」とされていて、英語の聖書では「チャイルド」と書かれているのです。
マリア・ヨセフ夫妻は、住民登録のために自分の血筋であるベツレヘムの町にやって来たとされていますから、たまたまそこで出産を迎えることになりましたが、登録を終えてなお、2歳になるまでベツレヘムに留まっていたというのは、ちょっと無理があるというか腑に落ちません。
残念ながら、その辺の詳細は明らかではないのです。今日の箇所で、この時2歳になっていたイエスだとすると、誕生から余りにも日が経っていて、クリスマスのムードを著しく削ぐことになります。幼子と書いてあるから、赤ちゃんじゃなかったとは言えないのですから、この時だって赤ちゃんイエスで良いじゃないか、と無理にでも思いたい気持ちになります。その方が教育的配慮じゃない?と思います。
実際の日取りは、しかし分からないのです。もし2歳のイエスが仮に正しかったとするなら、それこそ誕生から2年も経って、博士たちはえっちらおっちらやって来たということになります。聞く者には、もはやクリスマスではないでしょう。
でも、時がいつであれ、学者たちがはるばるやって来て、見せたその姿の意味や重みが消えることはないと信じます。彼らは、「分からないことを分かりたいから」、「信じられないことは信じることから」の姿を、ユダヤ人を大向こうに回して見せた異邦人でした。
彼らにとっては、イエスが赤ちゃんであろうが、幼児であろうが関係ありませんでした。ひれ伏して拝んだ時が、彼らにとってのクリスマスでした。ですから、この物語は、クリスマスのその後の物語ではなく、クリスマスただ中の物語であるのです。
天の神さま、クリスマスをありがとうございます。信じる心を与えて下さい。そこから新しく始める力を与えて下さい。