No.85 「やるせない咆哮」 牧師 横山順一

 暮れも押し詰まって来た頃、T神学大学から「危機的状況からのお願い」と題された文書が届いた。
母校ではないが、何事かと思いつつ読んで見ると、2021年の在学生が前年に比べて二十四名も減少したと冒頭にあった。
 もうその数字の時点で、相当に厳しい経営状況が想像された。私も、過去小さな幼稚園園長を担った時、入園園児が数名少なくても影響大で、何度もピンチを味わった経験がある。
 神学部のみの単科大学だから、衝撃はより大きい。2022年に、新入生が10名なければ、定数の半数割れとなって、文科省からの助成金が全額カットされるのだ。
 既に今年度の助成金は、昨年より1200万円減額されているという。予定していた研修センターの建設は、ひとまず中止とされた。
 これは確かに「危機」である。これを何としても回避するために、学生を送って欲しいとの切実な訴えは、十分に理解できた。
 我が母校は、総合大学の神学部なので、そこまでの危機感はまだない。また神学部での学びイコール牧師になること、ではない。どういう将来だとて、その学びには意味があると思っている。
 ただ、それでも若い人たちに、では神学部進学を勧めるかと言われれば、いささかの躊躇を覚える。
少なくとも、牧師を目指す人に、卒業後の保証ができない時代になっているから。
 つまり、赴任教会が減少しているのだ。その内容も含めて。牧師業だけでは生活できず、後輩の中には「行政書士」の資格を取って働いている者もいる。
 思えば、随分と変わってしまったものだ。私が神学部を卒業した頃は、まだ「バブル」と呼ばれて景気の良い時代だった。
 東京の教会に赴任して、株を買ったり、外車のスポーツカーに乗っているような牧師を見聞きして、唖然としたのを思い出す。
 それはいかにもやり過ぎと感じたが、一方で未来に不安はなかった。私たちの少し前までの先輩たちが味わった経済的苦労は、過去の話に思えた。
 私も含めて、お金持ちを目指して牧師になる人は、一人もいない。(と信じる)。
それでも、子どもや家族のこともある。また牧師として専念できるなら、その方が働く環境として良いに決まっている。
 兵庫教区の教師会でも、小さな教会の牧師を支える献金を、強力に進めているところだ。それも相応に限界が近い。
 拡がるばかりの経済格差。介護や看護など厳しい労働条件の職場を知らされている。
 のみならず、釜ヶ崎を通して、一層きつい日雇いの人たちをいつも覚えている。
 だから、牧師だけが大変で、先駆けて何とかせねばと、すがる訳ではない。
 しかし、比べ合わせて、より大変な人たちを想って、互いに我慢し口を閉ざして何になろう。
 企業の内部留保は、500兆円近いというではないか。黙って耐えて、得をするのは誰だ?
 みんなで声を挙げる時ではないだろうか。特別の給付金など、あくまで一時のもの。根本を変えないと、危機は更に深まろう。