《 本日のメッセージメモ 》
披露宴の定番スピーチに、結婚生活を荒海に乗り出す舟にたとえ、協力を促すものがあった。
舞台は、湖とは言え、まさに荒海。元漁師たちもいたが、その経験が役に立たない、協力しても乗り越えられない 突風と波に、弟子たちは浮足立ち、寝入っていたあるじイエスへの不満に満ちた。
辛淑玉(シン・スゴ)さんは、金時福(キム・シボク)さんからの「絶望したら希望を小さくして生き残れ」の言葉を大切に実行した。弟子たちには、それが失われていた。
目を覚ましたイエスは、直ちに風と波を静めた。その力に弟子たちは驚愕した。それが本テキストのメインだ。
だが、「黙れ、静まれ」との言葉は、慌てふためき、互いへの思いを忘れて、不安をあおった弟子たちへの言葉だったように聞こえる。「静まれ」とは「口を閉ざされてしまえ」が直訳だ。
何も起こらなかったら、次へ進むあるじに喜んで「まっすぐ前向きに」従う弟子たちだったろう。が、その姿勢に潜む危険性があった。
弱さと愚かさを露呈してしまったことが問題なのではない。「まだ信じないのか」とは、「信仰がまったくないのか」という、信仰の力を問いかけるイエスの言葉だったと思う。
まっすぐでなくて、ぐにょぐにょでも構わない。信仰は生きるため、互いを思いやるための力である。
《 メッセージ全文 》
コロナ禍にあって、結婚式を取り止めたというカップルの話や、出席人数を最小限にして披露宴を行ったというような話を聞きます。その場合、多分、お祝いのスピーチなども絞られたことでしょう。
普通に披露宴が行われていたひと昔前、スピーチの定番とされる話がありました。大体、親戚のおじさんあたりがなさるスピーチで、結婚生活というか、人生を荒波に漕ぎ出して行く舟になぞらえて、二人で協力して乗り切って欲しい、というような内容だったと思います。私も実際に聞いたことがあります。
その時は、出た!定番のスピーチだ、と内心思ったに過ぎませんでした。今、結婚式に呼ばれることも全くなくなってしまったので、定番も何もなくて残念です。でも、コロナ禍だからこそ、確かに人生は荒海だと思うのです。静かな時のほうが、少ないと実感します。
さて、本日のテキストは、まさに荒海が舞台でした。ただし、海ではなくて湖、ガリラヤ湖です。ガリラヤ湖は、海面下200メートルに位置する、窪みにできた湖だそうで、思わぬ強風が吹いたり、嵐に見舞われることが珍しくない湖でした。
「突風を静める」という小見出しの通り、ガリラヤ湖で起きた突風をイエスが静めたという出来事が記されています。因みに、そういう気象というか自然に対して力を振るったのであれば、「静める」という漢字は「鎮める」と書いた方が相応しい気がします。まあ、荒れ狂う天候を、静かにさせたとするなら、この「静まる」でも間違いではない訳ですが。
次の5章冒頭に、「一行は湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた」と続きがあるので、今日のテキストの出発地点は、恐らくガリラヤ湖北部にあるカファルナウムであったろうと推測されます。イエス一行が最も頻繁に働いた場所でした。
その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸」に渡ろうと弟子たちに言われた、と35節にありました。向こう岸のゲラサ地方はガリラヤより更に辺鄙なところでしたし、これから夜を迎える訳で、どうしてそんな時刻に出発したのかよく分かりません。
大事なのは、イエスが決めたということです。「そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した」と続いています。舟から陸地にいる群衆たちに教えを説いた後だったのでしょうか。群衆たちにも夕食が必要でしょうし、いつまでも話し続けることも無理です。適当なところで、キリをつけて次へと出発をしたということだったのかもしれません。いずれも何の説明もありませんから、推測に過ぎません。
私たち、なるべく聖書を生き生きと読みたいと思いますから、つい本筋から離れて、あれこれ想像を働かせてしまうのです。この時、何故、出発を遅らせるとか、行く先をもう少し近いところにするとか、違う選択を提案しなかったのか、などと思う訳です。何故なら、弟子たちの中の、少なくともペトロら4人は、このガリラヤ湖で漁師をしていた者だったからです。予想外の突風に見舞われる可能性を知っていたはずですし、それならせめて明るい時刻の時のほうが安全ではなかったかとも思うのです。
それこそは、余計な推測かもしれません。イエスが次に行くぞ、と言えば、弟子たちにそれを留める理由も権利もなかったでしょう。と言うより、あるじの言葉に喜んで従ったというべきなのでしょう。その時、ペトロら元漁師たちは、ガリラヤ湖はむしろ自分たちのテリトリーであって、他の弟子に勝って舟を動かすことへのプライドがあったと言うべきだったのかもしれません。体験に基づく自信です。大丈夫、俺たちがいる、という自負だったと思います。
しかし、案の定突風が起りました。「舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった」と記されています。自信が一瞬で覆されてしまいました。1986年に、ガリラヤ湖で1世紀の漁船が発掘されました。恐らく、この時イエスたちが乗っていた舟に相当するものと考えられています。それは長さが8メートル、幅が2メートルの大きさで、舟の頭と船尾には甲板がこしらえてありました。
存外に大きいのです。小舟のイメージではありません。そんな舟が水浸しになるほどであったとすれば、それは相当な突風であり、波だったと思われます。元漁師であっても、慌てふためいたに違いありません。それが、イエスにかけた「先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか」という言葉によく表されています。
この時、イエスは船尾で何と寝ていたというのです。「枕をして」と書かれています。枕とは、舟のバランスを取るために積まれていた砂袋だったという注釈もあれば、かじ取り人が使っていた革製か木製の腰掛だったという注釈もあります。また、何故イエスだけ寝ていたかについても、度重なる癒しによって疲れ果てていたのだとか、あれこれの想像がなされていますが、いずれも本筋からは離れた想像です。自分の手枕で寝ていたとしても、何の理由もなく寝ていたとしても、別に構わないのです。
ただし、水浸しの舟から必死に水を書き出していたであろう弟子たちには、それは内心憤慨の姿だったでしょう。転覆もありうる、命がやばい、この危急の時に、ひとりあるじたる者が何なのだ、という怒りと不平不満が、出発した時の自負と自信に取り代わっていました。もっとも、その打って変わった慌てぶりは、私たちの誰も笑うことはできません。みんなで協力して乗り越えられるレベルや状況ではないのです。
少し大げさに言えば、絶体絶命のピンチ、絶望的な事態でした。どうすれば良いか分からない、どうしようもない事態だったと言えます。この危急の事態を思いながら、人材育成コンサルタントをなさっている辛淑玉(シン・スゴ)さんの文章を思い起こします。辛さんが、絶望の時、生きる力になったよいう言葉です。それは辛さんが若かった頃に、当時在日韓国大使館の首席報道官をされていた金時福(キム・シボク)さんからかけられた言葉だそうです。「個人の力ではどうしようもない時は、希望や夢をうんと小さくするんだ。温かいお湯が飲めてホッしたとか、深呼吸で大きく息が吸えたとか。まず生きることを考えろ。」、そう金さんは言いました。
ヘイトスピーチなどの嫌がらせからドイツへ逃げた時も、この「絶望したら希望を小さくして生き残れ」との金さんからの言葉を思い越し、今日は甘いチョコを食べたなど、食べることで小さな希望をつないだ、と辛さんは言われます。
今日のテキストは、自然をも動かすイエスの力の証言が内容です。弟子たちに起こされたイエスは、たちまち風と波を静めたのです。その力を目の当たりにした弟子たちは、先生と呼ぶのも忘れて、「一体、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言ったと記されています。この最後の言葉は、「この人はいったい、誰だろう。風や海でさえこの人に従うとは」と岩波書店版聖書で訳されています。
その大きな力の証言がテキストのメインであるのです。それでも、イエスに「向こう岸に渡ろう」と声かけられて、喜んで従った弟子たちと、たちまち慌てふためいた弟子たちの姿の、余りの急変とアンバランスさを思わずにいられません。
一人寝入っていたイエスに「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と彼らは不満を露わにしました。ここは、直訳すると、「おぼれても」ではなく、「滅んでしまうのに平気なのですか」となります。もっと直材に言うなら、「俺たちが死んでも構わんのか?」ということでしょう。
イエスを起こした時は、もうあるじへの不満が最大となっていました。きっとそれまでは、もうあかん、もう無理、このままでは皆死ぬ、そういう恐怖におののく叫びを一人ひとりが上げまくっていたに違いないでしょう。それは辛さんが言われる「絶望したら希望を小さくして生き残れ」というような励ましの世界とは真逆で、お互いが「死にそう」と言い合いながら、恐怖と絶望感を必要以上にあおって膨らませる状態だったと思います。舟の状況よりも、その状態の方が最悪でした。
イエスは起こされるや、「黙れ、静まれ」と言いました。もちろん、風や湖に対してです。そう記されてあります。けれども、その言葉は、何故か弟子たちへ対するもののように感じるのです。「静まれ」と訳されていますが、直訳すると「口を閉ざされてしまえ」となります。励ましにも力にもならない、それを言い合えばかえって絶望感が増すばかりのうろたえから、口を閉ざしていろ、と弟子たちに言われたのではないか、そんな気がするのです。
突風さえ吹かなかったら、そんな予想外の天候異変がなかったら、普通に湖が凪いでいたら、元漁師の弟子たちを筆頭に、あるじを船尾でゆっくり休ませつつ、次へ向えたはずでした。まっすぐに前向きの最善が待っていたはずでした。
でも、その「まっすぐに前向き」の思い込みが案外怖いのです。「前向き」はまるで戦場での激励のようだ。逃げるな、ひたすら前に向かって明るく前進せよ、そうすればその先にご褒美が待っているという訳だ。「前向き」という言葉が持つ「直線的発想」を警戒する田中優子さん。「直線的」な政治から脱し、柔らかな社会を作るため「これからどうする?」と問う。答えを見つけるのは私たち自身だ。
―こういう文章をある雑誌の後書きで読みました。ここで出て来る田中優子さんとは、法政大学の前総長だった田中優子先生のことです。その指摘の通りで、真っ直ぐという言葉は、わき目もふらず、いかにも潔くてあこがれてしまう姿ではありますが、前しか見ない発想に孕む危険を伴うのです。
弟子たちがそうでした。まっすぐ前向きが上手く行かないと、たちまち弱さと愚かさを露呈してしまうのです。そこでは平常時よりももっと自分だけに成り果てて、もはや他人への思いやりは存在しません。そういう弟子たちにイエスは言ったのです。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」と。単純に風や波から引き起こされた恐怖を指した言葉とは思えないのです。「まだ信じないのか」とは、直訳すれば「信仰がまったくないのか」となります。それは叱責の言葉というよりも、信仰が持つ意味を問いかける言葉だったと思います。
信仰は真に生きるために与えられる力ではないでしょうか?予想外の風や波で死ぬかもしれないと感じた時、慌てず、浮足立たず、静かにその運命を受け入れるための力でしょうか。或いは自分は必ず助かる、助けてもらえると信じ抜くための力でしょうか。それが足りなくて、弱さと愚かさを露呈してしまった弟子たちを、イエスは責めたのでしょうか。
そうではないのです。弱さと愚かさがあっても構わないのです。ただ自分さえ良ければにならなければ。弱さ愚かさを抱えつつ、一気でなくても、まっすぐ前向きでなくても、ぐにょぐにょしてても互いを思いやって生きて行くこと、信仰はそのための力なのだ、イエスはそう語っていると信じるのです。まっすぐじゃなくて、ぐにょぐにょで。
天の神さま、危急の時、最も必要な思いやりの心を備えて下さい。