《 本日のメッセージメモ 》
1986年、映画「ミッション」を観た時は、二人の神父の生き方の、(自分は)どちらか二択だった。が、今は「逃げる」選択肢もありと思う。
テキストは第2回めの伝道旅行に出かけたフィリピで、牢に入れられたパウロとシラスの出来事。
始まりは女性商人リディアに洗礼を授ける上々の滑り出しだった。それが、鞭打たれ牢に入れられる暗転の出来事へ。
それも伝道とは関係なく、占いの女性の徐霊が原因であり、訴えも、当局の対応も理不尽そのものだった。
牢では、その後思いがけず地震が起こり、看守との交わりを得る幸運な結果へと導かれる。
このテキストから何を学ぶか。思いがけない出来事もある、という人生訓ではなかろう。
地震の時、二人は逃げることも出来たのに、それをしなかった。恐らく、神に委ねたのだ。
韓国の銭湯での体験から、委ねることの幸いを学んだ。
どうにもならない事態の時、なお人間の力に頼ることは、ただ正義の押し付けだ。力が正義なら愛は要らないのだ。パウロとシラスが得た学びに私たちも従いたい。責任を逃れるのでなく、良い委(ゆだ)ねをなすこと。
《 メッセージ全文 》
「ミッション」という映画がありました。御覧になった方もいらっしゃると思います。イギリス・フランス・アメリカの合作でした。
ざっと内容を振り返ると、舞台は18世紀の南米です。当時、この地域の派遣争いをしていたのがポルトガルとスペインでした。ここでカトリックのイエズス会が布教活動をしていたのです。
争っていたはずのポルトガルとスペインが政治的決着を図って、新しい国境の線引きが敷かれ、先住民たちはそれまでのスペイン地区から強制移動させられることになりました。反対する住民と命令を強行する軍は当然衝突することになります。その地域で布教していたイエズス会の二人の神父は、軍への行動に反発するのです。しかし、方法が違いました。
ガブリエル神父は、もともと音楽で伝道を進めていた人で、巻き起こった課題に対して、ひたすら「祈る」ことで解決を求めようとします。一方のメンドーサ神父は、住民と共に銃を持って立ち上がるのです。
この映画は1986年の作品で、ちょうど私が同志社大学神学部へ編入学した年でした。それでその一時期、「ミッション見たか?」が神学生の挨拶になっていました。映画を見たかどうかと同時に、お前ならどっちだ?という問いを含んでいました。つまり、祈るガブリエル神父派か、それとも銃で戦うメンドーサ神父派か、お前はどちらだ?という訳です。私は、銃で戦うかどうかより、メンドーサ神父を演じていたロバート・デニーロのファンだったので、ミーハー的な理由でメンドーサ派だったと思います。
この映画は、実話に基づいていましたし、その頃は牧師を目指す者としての熱い問いかけでしたので、誰でも観るべき作品だと思い込んでいました。でも実は日本ではそれほどヒットしませんでしたし、クリスチャンでない人には、観てもよう分からん、何でそんなに熱くなれるの?というような冷ややかな感想に終わったのでした。
あれから30年以上経った今、同じ質問をされたらとふと考えます。やっぱりウクライナのことが影響しているのでしょう。今だったら、「銃は持たない」という明確な答えを持っています。でもそれだけでなく、「逃げ出す」「逃げる」という選択肢もあるのではないか、と思っています。映画では、神父たちは、結局二人とも死んでしまうのです。殉教と言えば恰好良いですけど、死なない方がいいに決まっていると断じて思います。
さて、今日与えられたテキストの一段落には「パウロたち、投獄される」という小見出しが付けられていました。その通り、これはパウロたちが宣教旅行の中で、初めて牢に入れられたという出来事の記録です。
少しだけ前の出来事を説明しておきます。パウロが全部で3回に渡る伝道旅行をしたことは、よく知られています。使徒言行録では、13章から15章までが第1回の旅行の記録です。その時パウロと一緒だったのはバルナバという人でした。何が起こったか明確ではありませんが、15章の終わりを読むと、パウロとバルナバの間に意見の衝突が起こって、バルナバはマルコ、パウロはシラス、それぞれ新しいペアを組んでそれぞれの伝道へと別れて旅立ったのでした。
そして16章からはパウロの第2回めの伝道旅行の記録です。ここで彼は初めてヨーロッパの地域に入るのです。最初に行ったのが、フィリピという町で、様々な制度がローマと同様になされていました。この町でリディアという女性商人と出会い、彼女とその家族に洗礼を授けることになりました。それが今日のテキストの一つ前の段落に書かれています。
バルナバと行った第1回の旅は、行って見ればユダヤ圏内と言える地域だったので、伝道の対象はほぼユダヤ人でした。リストラという町で石を投げられるというような迫害には遭ったのですけど、敢えて言えば、場所的にはそれほどの不安はなかったでしょう。
しかし第2回めは事情が違います。はっきりユダヤと違う外国です。かなり緊張を強いられる地域への伝道でした。それでもそのしょっぱなから、リディアという女性一家に洗礼を授けることができ、家に招待されて、泊まってまでいる(16:15)のですから、上々の出発でした。
ところが、同じフィリピの町で、次に出会ったのがテキスト16節にあるように、占いの霊に取りつかれている女奴隷だったのです。この人は悪霊に取りつかれていたのですし、奴隷でもあったのですから、気の毒な女性でした。ではあっても、この女性に何故か付きまとわれ、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」と幾日もくり返された(18節)とあります。今で言えば、褒め殺しのようなものです。上々の旅立ちがたちまち一変しました。
パウロは、さすがにたまりかねて徐霊の言葉をはき、それは見事に効果を発揮して、女性の悪霊は出て行ったのです。でもそのことで、占いができなくなり、彼女を使って金もうけしていた男たちの恨みを買うことになります。それで捕らえられ、牢に入れられることになったのです。後の出来事は、読んでいただいた通りです。上々の出来事が一変したばかりか、天国から地獄への、あっという間の転落の出来事でした。
この聖書日課を通して、私たちは一体何を学んだら良いでしょうか。テキストに書かれているのは、理不尽な出来事の報告です。せめてもキリスト教の伝道をしていて捕らえられたというなら、まだ覚悟もつきますが、そうではないのです。二人を訴えた主人たちの言い分も、的を得ていません。ただ腹立ちまぎれとしか言えません。20節を読むと、要はこいつらはユダヤ人で、ローマの風習にないことをしている、という無理やりな訴えです。それに群衆も一緒になって騒いだというのでした。
それにしては当局から受けた二人の仕打ちは相当ひどいです。衣服をはぎ取られ、裸にされて何度も鞭うたれ、逃げられないよう一番奥の牢に入れられ、足かせをはめられたというのですから、あんまりです。
使徒言行録を書いたのはルカですが、このパウロの伝道旅行に同行してはいません。それなのに、今日のテキストも含めて前後を読むと主語が「わたしたち」となっています。「著者の文学的フィクション」と説明してある注解もありますが、文学的フィクションというより、パウロらの報告を聞いて書いたルカが、あんまりな出来事に、気持ちが熱くなって、つい自分のことのように描いたということかもしれません。
今日のテキストは、基本的に出来事の記録であって、ここから何か学ぶというよりは、伝道旅行と言っても、伝道そのものだけでなく色んな出来事が起こって、それでもパウロたちが諦めず伝道を続けた、という事を知ることなのでしょうか。
それにしても、こんな不条理な目に遭ったのに、次の段落の冒頭25節には、「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると」と続けられています。更には「ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」、と括られています。
裸にされて何度も鞭打たれたとすれば、皮膚が割け、ミミズばれになって、痛みで動くこともできないで、呻くしかなかっただろうと想像します。それなのに、賛美の歌をうたい、神に祈ったという。信じられない行動だからこそ、他の囚人たちも聞き入ったのでしょう。何だか余りに出来すぎの出来事に思えなくもありません。
次の段落を読み進めると、更にその思いが強められるのです。何と大地震が起きて、牢の扉が壊れて開き、足かせも外れてしまったというのです。囚人たちが逃げ出したと思い込んだ看守は、責任を取って自害しようとします。それを止めたパウロたちは、看守の訴えを聞いて、彼と家族に洗礼を授け、ここでも家に案内されて、食事を共にする―という、信じがたい展開になります。ついでに言うと、最終的には、牢に入れた高官たちから謝罪されて、無事に次の町へと出発することができたのです。まるで水戸黄門のドラマのような展開の連続で、ついつい何で真っ暗闇の中で、看守が自害しようとしていたのが見えたのか?などと突っ込みを入れたくなります。
でも、聖書は科学書ではないのです。厳密な歴史書でもありません。もちろん文学書でもありません。あり得ない展開だとしても、嘘か真実かを検証すべき文書ではないのです。今の時代に照らし合わせて、疑問が湧く表現があったとしても、それより著者が何を伝えようとしたかに最大の興味と関心を持って読みたいと思います。
それで言うなら、理不尽な目にあって牢に入れられ、ひどい仕打ちを受けたのに、二人からの何一つ不満や疑問が書かれていないことに驚きます。それどころか、賛美の歌をうたって祈ったというのです。そして地震が起きて、牢の扉が開き、足かせも外れた、逃げ出すのに絶好の機会が与えられた、それなのに二人は逃げなかったのです。このことに一番驚かされます。
イエスは生前弟子たちに「受け入れられない町では、足の埃を払って出るように」言いました。それに従うなら、二人は足の埃を払って去れば良かった、逃げて良かった。むしろ是非そうすべきではなかったかと思うのです。何故そうしなかったのでしょう?それは正直分かりません。たった一つ推測できるのは、彼らは自分でも明確には分からなかった。だから「委ねた」のだろうということです。誰に委ねたかと言えば、神にしかありません。
岐阜地区にいた時、教師会で韓国を訪れました。始めて韓国の銭湯に行きました。その時、私は店のものと勘違いして、客個人の石鹸をうっかり使ってしまいました。見とがめた持ち主が、烈火のごとく怒りました。石鹸を間違えたこと、相手が怒っていることは分かりましたが、言葉が分かりません。謝ることもできず、ぺこぺこ頭を下げました。どうしようもない展開に、お手上げでした。
この時、一緒に旅をしていた韓国教会の牧師が間に入ってくれたのです。何を話したのかは知りません。恐らく代わりに事情を説明し、謝ってくれたのだと思います。そうしたら、たちまちその男性が笑顔になって、石鹸を差し出し、「使え」と勧めてくれたのです。ジェスチャーで分かりました。そして、一緒に湯舟に漬かりました。私の立つ瀬はありませんでしたが、笑顔でお風呂に入れて、本当にうれしい、有難い時間を過ごしました。それが教会は銭湯・温泉のような場所へと考える体験になりました。
自分でどうしようもない事がたくさんあります。責任を放棄するのではなく、神に委ねるしかない時があります。私の場合、それがちょうどお風呂で起こりました。だから「いい湯だね(委ね)」だと思いました。許し許されて共にいることができるなんて、神さまの力に委ねないと起こりえないことではないでしょうか。人間の力だけに頼っては、正義の押し付けでしかありません。パウロとシラスもきっと、そのことを知らされたに違いないのです。
天の神さま、あなたは私たちの欠けを補って下さり、思いがけない展開を備えて下さいます。感謝します。自分の力のみを頼らず、すべてを整えて下さるあなたに委ねて歩む者として下さい。