No.91
「心は移住済み」
牧師 横山順一
たまたま二週続けて見た番組が良かった。NHKの「いいいじゅー」だ。
タイトルどおり、何かを求めて違う町に「移住」した人たちを紹介する番組である。
最初に見たのは、eスポーツの選手たちだった。まだ十代も含む二十代前半の四人。
神奈川の或る町では、かつて開発した山際の住宅地の空き家率が十数%までになった。
そこに住んでいた人たちが、高齢化して、急な坂道が無理となって出て行った結果だ。
町はその空き家を使って、何とかして町おこしをしたいと考えた。そしてeスポーツの若者を呼ぼうということになったのだ。
家賃の安さなどもあって、東京から一つのチームが応募に応えた。始めは「eスポーツの、eって何だ?」というような町会の老人もいたが、少しずつ前進しているようだ。
次に見たのは、今度はプロレスの、二十四才の若き選手が、佐賀県の小さな町へ移住した篇。
コロナ禍もあって東京の連盟から解雇され、途方に暮れた時、逆に「佐賀でプロレスを」と考える人たちを知って、飛びついた。
巨漢の金髪青年は、大型バイクでツーリングするのが気晴らし。でもそれは本人も言うように、その小さな町では相当に「浮いていた」のだった。それでも移住は、東京時代より「百倍以上良かった」と彼は言う。
私にとって、たまたま見た二つの「いじゅー」にたまたま共通したのは、彼らの「若さ」と、携わっている生業の「心細さ」だった。
eスポーツは、最近かなり注目を浴びているし、次の五輪の正式種目にもなっている。
プロレスは、それ自体の知名度はあるけど、昔ほどの人気スポーツではなくなった。
両方とも先行きが未知で、まだ若い彼らが、いったいいつまで挑戦し続けられるのか?という不安要素を覚えた。その時点で、私は既に「いらんお世話のおじさん」であった。
彼らに、たとえ将来どうなのかなどの不安はあっても、躊躇はないのだ。だから思い切って「いじゅー」した。つまり、不安の余り動かないのではなく、不安はあっても「動く」のだった。
eの意味さえ知らない人たちをも巻き込んで、説明会を行い、定期選に招き、ゆっくりとファンを獲得していた。
プロレスの選手は、試合毎のチラシ配布(それだって千五百枚)だけでなく、町のあちこちの集まりに参加して、溶け込み、顔を売る営業を重ねていた。
「力仕事ならできるんで、いつでも呼んで下さい」って、本業とは何の関係もない売り込みだ。
思い切った移住ということ以上に、彼らの、必死で真摯な姿に爽やかな感動を与えられた。
それだけなく、自分の反省を迫られた。牧師だって、日本では衆知された仕事では、まだまだない。溶け込み、売り込んで、居場所を獲得する「もがき」をして来たかと言えば、はるかに心もとない。
その反対に、課題があっても動かないことは多々あったと、振り返る。今更だが、大いに反省せねばならない。
心は、もうイエスの世界へ移住済みなのだから、安心してもがいたら良いのだ。