《 本日のメッセージメモ 》
「村」からどんなイメージを受けるか。良い場合もあれば、時に悪い場合もある。
テキストは、イエスがベトサイダで盲人をいやした出来事。ペトロたちの出身地でもあるガリラヤ湖北岸のベトサイダは、決して小さくはない町だった。
そこに連れられて来た盲人を、イエスは「村の外」へ連れ出した(22節)とある。奇跡の業は見せるものではないし、1対1の関係性の中で起こされるものだから、理解できる。
が、その癒しは他の箇所にはない2段階の癒しだった。最初の癒しで「何か見えるか」と問われた盲人は、人が「木のよう」に歩いていると答えた。
それは心象風景だったろう。敢えて悪く捉える必要はない。にも関わらず「木のよう」という表現から、彼がこれまで与えられて来た盲人が故の辛い環境を思わずにおれない。
癒された彼に、イエスは「村人の中に入ってはならない」(26節、岩波訳)と語って家に帰した。
せっかく見えるようになった目で、もはや見る必要のなかった悪い世界があったと推測する。
世界には息を飲むような美しい場所がある。それを見たら、心が洗われるだろう。だが、美しい世界は、物理的なものだけではない。
課題はあっても、その中で作られる美しい人間関係を神は備えて下さった。その世界を、この地で作り出して行きたい。
《 メッセージ全文 》
皆さんは、「村」と聞いたら、どんなイメージを持たれることでしょうか。先々週、私は生まれ育ったところの、舗装されていない道の話をしました。そこはまさに、村でした。
多分、多くの方が「田舎」をイメージされるのではないかと思います。そして、それはおおかた間違ってはいないでしょう。田舎ですから、人は少ないのです。逆に、自然は多いのです。今でこそ、この東神戸の所在地は「御影3丁目」と呼ばれていますが、ほんの少し前までは、西平野村という「村」でした。自然がたくさんあったでしょうけど、人が増えてすっかり家住宅地になりました。
村では人が少ないので、何か行事ごとの時は、総出になります。この辺りもそうだったのでしょうか。私も、お正月などたくさんの人が集まって、総出でお餅つきをしていた光景をはっきり覚えています。それは楽しくて、温かい思い出です。人が少ないからこそ、みんなで助け合うのです。
ですが、人の少なさが、逆のネガティヴなイメージを産むことがあります。例えば、よそ者に対する、過剰な警戒感があったりします。村の風習に添わない者は排除されることもあるのです。上手く溶け込んでいれば問題はありませんが、万一目をつけられると、一気に息苦しくされてしまうのです。
「村」のすべてがそうでは決してないですから、一部の例を挙げて悪く言うつもりはありません。私の村のイメージは、楽しくて温かったのです。ですけど、村は実際の村だけでなく、「選手村」とか「テント村」とかの場合があります。これはポジティヴです。でも「原子力ムラ」などと言われるような、利権に群がる閉塞した特別な場所の場合がある訳です。これは何だか嫌ですね。
さて、今日与えられたテキストは、イエスが一人の盲人を癒した出来事でした。小見出しには「ベトサイダで盲人をいやす」とあります。ベトサイダは、ガリラヤ湖北岸の町で、ペトロやアンデレ、フィリポの出身地でもありました。ここで、人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来たというのです。22節には「触れていただきたいと願った」とありますから、彼らはイエスが持っていた特別の癒しの力のことを知ってやって来た訳です。
ところが次の23節を読むと、イエスはその場で癒しの業をなしたのではなく、盲人の手を取って、村の外へ連れ出したというのです。奇跡の力とは、他者に見せるものではないですし、基本的にはその病人とイエスとの、1対1の出会いの中でなされるものです。ここ以外の記述からも、そのことを示されます。ですから、場所を変えたこと自体は、何も不自然なことではなかったと思われます。
ですが、ここで「村」が登場するのです。イエスは盲人を「村の外」へ連れ出した、と。その村とはベトサイダなのでしょうか。小見出し通りに受け取ると、そうなります。ところが、ベトサイダは大都会ではないにしても、小さな村ではないのです。或る注解書には、「ベトサイダは多くの人々が行き交う大きな町」だと書かれています。盲人が癒されたことがこのテキストの第一の出来事であるなら、その舞台がベトサイダであろうとどこであろうと問題ではありません。
でも、わざわざ「村の外へ」と書かれていることに、引っかかるのです。原子力ムラとは、あくまで現代の、日本での呼び名です。聖書の当時とは、何の関りもないことです。それでも、この短い一段落を読み進めると、どうしても、そこは何らか問題を抱えた、悪い場合の「村」だったように思えてならないのです。
人々を遮断して業を振るったというより、その村を離れて業を振るったイエスのように思われます。そう推測される二つ目の出来事が、イエスの癒し方にあります。一つ前の7章の終わりには、耳が聞こえず舌の回らない人を癒すという出来事が記されています。この時も、イエスはその病人を群衆の中から連れ出しました。今回と一緒です。そして指を両耳に差し入れ、唾をつけて舌に触れられた(7:33)と書かれています。唾をつけたのも、今回と一緒です。そしてこの時は「開け」と言われ、たちまち耳が開き、舌のもつれが解けた、とあるのです。
今回の盲人の場合は、その目に唾をつけ、両手をその上に置いて「何か見えるか」と尋ねています(23節)。それだけではまだ治っていないのです。この時盲人が答えた、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります」という返答がまたまた気にかかるのです。
「木のよう」という表現を細かく受け取ると、この人は木を知っているのだから、生まれつきの盲人ではなく、中途失明の人だったかとも思われます。でも恐らく、そういうことではなくて、イエスの癒しの業が、この時まだ中途だったのでしょう。大体、人々を遮断して村の外へ連れ出したのですから、周囲に人々がいるはずはありません。盲人の返答は、目に見える光景と言うよりも、心に浮かんだ心象の光景だったのではないかと思うのです。
その「木のよう」という光景を、皆さんはどう解釈されますか?何も特別な意図はない、心に浮かんだままの表現でしょうか。そうだったら、良いと思います。そう受け取るべきだとも思います。敢えて悪く受け取る必要などないのです。
それなのに、見えたという人々が、動くはずのない木のようという、その表現に、私はこの盲人がこれまで生きて来た、悪辣な環境、とりわけ冷たい人間関係を想像してしまうのです。
そもそも、この時代は障害があること自体が、神の祝福からはずされることを意味しました。そうではないのに、人々はそう理解したのです。そして盲人だったら、日々物乞いをして、わずかのお金で生きるしか術はありませんでした。家族にとっても厄介者だったでしょう。イエスが来ると聞いて、連れて来てもらえたこの人は、まだ良かったのでしょう。それでも、これまで見えないことで強いられて来た冷たい環境は、厳にあったはずです。その悲しみは、実は十分に見えていたのです。私は、それが「木のよう」という表現に表されている気がするのです。
それを聞いたイエスは、今度は両手をその目に当てられたとあります。そうしたらよく見えて来て癒され、何でもはっきり見えるようになった(25節)と書かれています。他の箇所にはない、2段階の癒しでした。
村という言葉が気にかかる三番目の記述が最後の26節の文言です。癒されたこの人に、イエスは「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰されたというのです。岩波書店版聖書では、ここは「そこでイエスは、彼を自分の家に帰らせながら言った、「村人の中に入ってはならない」。
村ではなく、村人とされているこの訳に、想像をたくましくされます。何があったか定かではありません。何も書かれていません。でもきっと何かがあった。この人をないがしろにする何かがあった。そのひどい世界では、イエスの奇跡の業さえもこざかしく扱われてしまう近未来が見えていたのかもしれません。せっかく見えるようになったその目で、もはや見なくてもいい、もう見る必要の全くない嫌な関係があったに違いないと思います。イエスはそれを断固否定したのでしょう。
私たち、誰でも体験的に知っていることですが、美しい世界を見ると心が安らぎ、清められる思いに包まれます。この世には息を飲むような凄く美しい世界があります。天空から降り注ぐようなオーロラだったり、一服の絵画のように切り取られるような静かで荘厳なアルプスだったり湖だったり、例えるとキリがありません。見たら、もう死んでもいいとさえ思える憧れの光景も確かにあります。
私たちは、そういう美しい光景を見て、心を諭されたり、改められたりすることでしょう。ですが、美しい世界とは、ただ物理的な、目に見える風景のことだけではないのです。
この世がどんなに政治的に、経済的に淀んで救いなどないかのように思われても、そこに生きる人間に、神さまは「良い人間関係」という美しい世界を備えて下さるのです。
悪い人間関係が一切を飲み込むのではありません。むしろ、数は多くなくても良い人間関係の世界を見た人々によって、光が現わされ、拡げられて行くのです。そのところで、人が変わるとしたら、これほど美しいことはありません。
今年2月27日、日本ダルクを創設した近藤恒夫さんが亡くなりました。彼を追悼する山梨ダルクの通信を読みました。そこには近藤さんへの感謝と共に、良い人間関係への感謝があふれていました。読んだら、絶対泣きますよ。
代表の佐々木さんは、山梨ダルクが今日まで続いた真理は「お金が無かった」からである。お金が無かったから、あなたに会いに行った。お金がなかったから、あなたと出会った。あの頃、「お金ください、お金ください」と皆さんに無理を言ってごめんなさい。皆さんに出会えたこと。山梨ダルクが続いて来たこと。そして何よりも神さまが与えてくれた貧しさ、差別、偏見の時代に感謝いたします。―こう書いて聖書の一句を綴っているのです。
貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。
飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる。
泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる。
(ルカ6:20~21)
息を飲むような美しい光景も良いです。ですが、わざわざそこへ出かけなければなりません。釜ヶ崎にわざわざホテルを作った○○リゾートというこざかしいところもあります。それより、私たちは私たちが生きるこのところで、元西平野村のここで、美しい人間関係を作り上げたいと思います。それを見て感じて、癒されたいと思います。誰かが元気になったら望外の喜びです。
イエスは、癒した人に「村人の中に入ってはならない」と言いましたが、それは新しい場所で、違うところで、美しい世界を見るべく生きよ、作れという熱い励ましであったと確信するのです。
天の神さま、あなたの計画に感謝します。醜さに満ちたこの世ではあります。でもだからこそあなたが望まれる良い人間関係を通して、美しい世界を拡げたいと願います。どうぞ力強く後押しして下さい。