《本日のメッセージメモ》
 全国各地で進む再開発の目玉の多くが、高層ビルとそこに入居する有名高級ホテルだ。敢えて「格」を作っている気がする。
テキストはホレブ山(シナイ山)でモーセが神の召命を受けた箇所。それを受けエジプトに再度入った時、モーセは80歳だった。
ユダヤ民族を嫌うファラオの時代、王女に助けられるなどで、40歳までは王室の一員として生きたモーセ。
しかし、同胞のため殺人を犯してミディアンに逃げ、そこで妻・子を与えられて表向き穏やかに生きた次の40年。
根底にあったユダヤの思いを忘れた訳ではなかったろう。神の召命に「何故?」と問いかけ、拒否しようとした思いは分かる。同胞の苦しみを見、知ってなお何もしないのなら、神は「いない」も同然ではないか。
しかし、モーセの問いに「わたしは必ずあなたと共にいる」「わたしはある」と明確に語った神。燃え尽きない柴は、ずっと神の見守りがあった徴だった。神の「時」があった。そして出エジプトというモーセ最後の40年が始まった。
ないものをあるかのように見せかける手法。製今の政治そのものだ。カジノなどで人は決して幸せにはならない。わたしはある=IRとの、別格の宣言こそが、私たちを再開発し、新たに押し出す真の力だ。

《メッセージ全文》
 少し前、2027年に東京駅前に、高さ390メートルの高さ日本一のビルができるというニュースを見ました。トーチタワーというビルです。その53階から58階に、イギリスの「ドーチェスター・コレクション」というホテルが入居・開業すると報道されていました。欧米で9つのホテルを経営している名門で、アジアでは初だそうです。
 そのニュースを見て、あれ?ここも?と思ってしまいました。各地で再開発している地区で、「超高層ビルが建てられ、そこに有名高級ホテルが入る」という計画で、最近よく聞きます。どこもかしこも同じパターンのような気がします。それで再開発なのか?と思います。
 申し訳ないけど、有名高級ホテルで、敢えて「格」を作っているように感じてならないのです。もっと言えば、ないものをあるように見せているというか・・・。トーチタワーに入るホテルは、パリでは一泊100万円らしいです。一つだけ確実に言えるのは、私がそこに泊まることなど一生ない、ということです。

 さて、契約節も今週と来週と残り2週間とになりました。今年の教会暦も最後を迎えようとしています。今日与えられたテキストは出エジプト記から、モーセの召命の箇所でした。つまり出エジプトの命令です。出エジプト記全体が、モーセとユダヤ民族の話ですが、後半は特に幕屋建設に関わる命令が書かれて終わりになります。
 それ以外の様々な命令が続くレビ記、民数記、申命記に延々と書かれ、最後にモーセが120歳で亡くなった記述で締めくくられて、次のヨシュア記にバトンタッチされます。ともかくモーセに関する記述が大変長いのです。
 それで少しだけざっと今日のモーセまでの流れを振り返っておきます。先週はアブラハムとサラにイサクという息子が与えられる出来事を学びました。そのイサクからヤコブが与えられ、ヤコブには多くの息子が与えられてイスラエル12部族の基本となります。
そのうちのヨセフは、兄弟たちの嫉妬によってエジプトに奴隷として売られることになるのです。ですが、本人の才覚や周囲の助けもあってエジプトでファラオ(王)に気に入られて財務大臣の地位にまで昇るのです。
 そのヨセフのおかげで、飢饉でエジプトに移って来たヤコブ一家始めユダヤ民族は幸せに暮らせるようになります。それから400年の時が流れます。もはやヨセフを大事に思うファラオの時代ではありません。しかもこの間、エジプトでユダヤ民族は繫栄を続け、ファラオからすればエジプトを脅かす存在に思われたのです。それで彼らを奴隷として働かせることにしました。
 そういうエジプトにいたユダヤ民族がつらい人生を強いられていた時代に生まれた一人がモーセという人物でした。弾圧しても増え続けるユダヤ人に業を煮やしたファラオは、ついに「新たに生まれたユダヤ人の男児を一人残さず殺せ」という恐るべき命令を下すのです。
 危機一髪助けるのが何とファラオの娘である王女であり、モーセの姉や母でした。それでモーセはユダヤ人でありながらエジプト人として、王家の一員として育つことになるのです。
 ところが、きっと途中で自分はユダヤ人であることを知ったのでしょう。相変わらずユダヤ人に厳しい重労働を課すエジプト人を思わず殺してしまい、怒ったファラオから逃れてシナイ半島のミディアンという地方へ逃げるのです。聖書の記述では、これが40歳の時だったと言います。
 そしてそこで知り合った祭司の娘と結婚し、息子が与えられます。ミディアンでの暮らしが続いていた中で、今日の出来事が神の山ホレブで起こります。このホレブとは、シナイ山のことです。ここで神から受けた召命によってエジプトに戻ることになりますが、その時80歳(7:7)だったと書かれています。
 つまり、おおざっぱに言って、40歳まではエジプトで、少なくとも経済的には恵まれて過ごし、40歳から80歳までは逃れたミディアンの地で妻子家族と表面的には穏やかな人生を過ごしたモーセでした。先ほども紹介しましたが、120歳で亡くなった訳ですから、最後の三分の一40年はユダヤの民を率いて、エジプトを脱出し、カナンに至るまで放浪の旅を続けることになる訳です。波乱万丈の人生だったと言えます。

 相当に縮じめて話しましたが、さあこれでようやく今日のテキストにつながります。
 このシナイ山、ホレブの山で、神はモーセにユダヤの民を率いてエジプトから連れ出す命令を下しました。これに対して、モーセは、「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか」(11節)と問うています。
 問うたというよりも、自分には無理という拒否というべきかもしれません。これまでの人生の記述からしたら、確かに唐突で、モーセの戸惑いや拒否の思いは当たり前だと思います。
 大体、モーセからすれば「エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った」(7節)と言われる、その言葉は本当か?という思いがあって当然でした。彼らの苦しみは今始まったことではなくて、既にもう何十年に及ぶのです。
 モーセが思いがけずエジプト人を殺して逃げるはめになってからだけでも、40年が経っていました。神が本当にいるとしたら、何故もっと早くこの現実に向かい、どうにかして欲しいものだと、誰でも思うと思います。
けれども、この物語を書いた人々の思いは、神の真実にあったのです。ノア契約によって、二度と洪水を起こして皆を滅ぼすようなことはしない、と約束した神でした。
 滅ぼさないということだけでなく、自分が直接介入することをしない宣言でもありました。そのようになりました。
 繁栄を約束したアブラハムへの契約もまた然りです。そのようになりました。色んんな具体的な出来事はありますし、エジプトの地ではありますが、ファラオを脅かすような存在になったのです。これまたそのようになりました。
 いちいち自分の力で何事かをなす神ではなく、人間を用いて事をなす神の姿を旧約の人たちは描いて来たのです。そしてそれ故に、何事かをなすための神の「時」がありました。人間からすれば、すぐにどうにかして欲しいねがいや思いがいつもありましたが、神からすれば動く「時」があって、それが思い起こすという表現に込められているのでしょう。
 思えば人生の最初の三分の一はエジプト人として、王家の一員として生きたモーセであり、続く三分の一は祭司の娘婿として、遊牧民の一員として生きたモーセでした。思いがけぬ助けや支えがあって、生かされたこれまでの人生でした。エジプト人を殺してしまい、逃れて生きた80歳までの生涯の中で、表には出さずとも、心のどこかに常にイスラエル人としての思いがあったに違いないのです。それを忘れず、見つめ続けた神がいました。イスラエルの民を救うために、このモーセしかいないという見定めがありました。
 「わたしは何者でしょう。」とモーセは問いかけましたが、これまでずっと「ない」ようで、「いない」ようで、神の導きや支えはあった、あり続けたのです。3章の初めに、いつまでも燃え尽きない柴の炎のことが記されています。それはまさに、ないようでずっとあった神の存在を示す出来事でした。
 だから、戸惑い、拒否するモーセに、神は「わたしは必ずあなたと共にいる」と声をかけたのだし、イスラエルの人々から「神の名は何かと問われたら、何と答えるべきか」との問いに「わたしはある。わたしはあるという者だ」と明確に語ったのです。

 日雇い労働者の町・釜ヶ崎にも今春、某リゾートホテルが開業しました。ないのにあると表向き見せかける作業の一環に思えます。これこそが「ジェントリフィケーション」、無理やり何かを付加して、街を再開発する手法です。その上大阪では万博の後を目指して、IR誘致を営々と進めています。来春から着手して2029年開業を目指しています。「ないのにある」やり方は、今の政治そのものに思えます。
 IRとは、インテグレイテッド・リゾートの略で、特定複合観光施設のことです。
ホテルや劇場、会議場や展示場、ショッピングモールなどを一か所に集めた複合リゾートです。でも最大の目玉は御存じカジノです。カジノって、何もないのに何かあるように見せる仕組みの最たるものでしょう。だって要するに賭博場ですから。
 世界各地に、名の知れたカジノがあります。でもうたかたの夢に過ぎません。カジノがあるから、その国・その地域の人たちが幸せになったという話を、ついぞ聞いたことがありません。「ある」と思わせられるだけで、本当は「ない」のです。
 でも、「わたしは必ずあなたと共にいる」「わたしはある」と語った神は、ないようで、ずっとありました。そしてこれからもそうだと言うのです。この言葉を聞いたからこそ、モーセは齢80歳にして、エジプト脱出という命を受ける決心に至るのです。
 モーセがいったんは怯んだ思いはよく分かる気がします。私たちも神など「いない」と思うことがしばしばあるからです。でもその一方で、ないように思えて実は、守られ導かれて来た人生を、やっぱり分かる気がするのです。
 「わたしはある。」=IR。この別格のIRこそが、私たちを再開発し、新たな道に向かわせる真の力だと信じます。


天の神さま、モーセを導き、後押ししたあなたは、同じように私たちをも導き、後押しして下さる方です。感謝します。見えないけれど、確かに「ある」、その力に委ねて進めるよう、これからも助けて下さい。