皆さん、昨年2022年の流行語大賞は何だったか、覚えていらっしゃいますか?「村神様」です。昨年、史上最年少で三冠王に輝いた、ヤクルトの村上宗隆選手への呼び名でした。もう忘れてましたが、WBCのお陰で思い出しました。
その他に、トップテンに入った一つが「知らんけど」でした。大阪人というか、関西人がよく口にする言葉で、流行語ではなく、ずっと昔からある必須の言葉です。本当に知らないで言う場合もありますし、ちょっとは知ってて言う場合もあります。これ一言付け加えるだけで、偉そう感が減るし、逃げ感が出るんですね。知らんけど。関係性を損ねることなく、なお何かを伝えたい時に便利な、優れた接尾語だと思っています。関西では、余りにも当たり前の言葉ですが、鳥取で言ったら、「知らんなら、言うな!」って返されるかもしれません。知らんけど。
さて、今日は「ぶどう園と農夫」のたとえと小見出しにつけられているイエスのたとえ話がテキストに与えられました。レントの期間に、どうしてこの箇所が選ばれるのか、ちょっと疑問に思いますが、この話がなされたのは、エルサレムの神殿においてで、つまりイエスの逮捕が近いのです。そういう、場所と時間的な意味合いにおいては、まずレントの期間に読むべき箇所の一つということなのでしょう。
でも、それにも増して、このイエスのたとえ話をどう読むか、が問われるのです。古くから、この出来事は「悪しき農夫のたとえ」と呼ばれて来ました。新共同訳と聖書協会共同訳では、今は「ぶどう園と農夫のたとえ」ですが、カトリックのフランシスコ会訳では「悪い小作人のたとえ」となっていますし、訳において最も信頼できると感じている、あの岩波書店版聖書でも「悪しき農夫のたとえ」となっています。
元々の聖書には小見出しはないのです。ですからそこにつけられる小見出しの言葉に、相当先入観を刷り込まれるというか、強い印象を与えられてしまいます。「悪しき農夫」というだけで、文字通り悪い農夫の話なのだと初めから思ってしまう訳です。
そして実際、このたとえ話で登場する「ブドウ園」とはイスラエルのことですよ。ぶどう園の主人は神さまですよ。そのように教会は、昔から教えて来ました。神さまたる主人がブドウ園を作り、農夫たちに任せて旅に出て、収穫の時になったので僕を送った。そうすると、農夫たちが暴力をふるって、追い返した。三度もしもべを送ったけれど、同じ結果だったので、主人はついに息子を送った。ところが、息子をも殺してしまった。さあ、どうなるか、というたとえ話です。
主人が神さまであるなら、僕の後に送った息子とはイエスを指すことになります。
三度も僕を送った忍耐深くて、優しい神さまが、ついに息子イエスを送ったのに、その息子まで殺されてしまった。十字架の出来事に重なる、あってはならない話になる訳です。
その上、ここでイエスが続けて語った「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」とは、詩編118篇22節からの引用ですが、皆から捨てられた者が、実は救い主であったと理解するなら、それはイエスのことで、まさにイエスをどうにかしたいと狙って来た、律法学者や祭司長たちへの当てつけになるという話です。
主人は神、息子はイエスと受け取る限り、このたとえ話は、この後のイエスの出来事を余りにも予告する話となります。そういう視点からだと、僕のみならず、息子まで殺してしまった農夫たちは、主人の心を知らない、悪い農夫だとされても無理はない気がします。
この福音書が書かれた西暦80年頃は、教会は迫害の中にあって大変な状況にありました。また、直接イエスを知る者がどんどん減って、教会の基盤が揺らいだ時期でしたから、教会を何とかしたいとの思いで、主人を神さまとして読ませる教会的指導があったとしてもおかしくはありませんでした。
だから、そんな農夫になってはなりませんよ、と心を戒める話になるのです。そうではなく、神さまに与えられたぶどう園で、従順に働き、良い実りを得るべく生きましょう、それを神さまにお返ししましょう、良い農民となりましょうというお勧めにもなるのでしょう。実際、ほぼほとんどの注解書はそのように書いているのです。そう読むことがレントにあっての信徒の務めであり、そのように語るべきが牧師の務めでもあるのでしょう。
でも、そういう諸事情を知ってもなお、本当にこのたとえ話は、そんな話なのだろうか、という気がしてなりません。よう知らんけど、でもね、です。イエスがこの例えを語った時、50年先の教会の事情を予測して語ったなどとは到底思えないのです。大体、神に従順であろうと言う話をするために、イエスがわざわざ農民を取り上げた挙句、しかも悪い農民として例に挙げるはずがないと思えてならないのです。
マタイ・マルコと違って、ルカは冒頭の9節を「イエスは民衆にこのたとえを始められた」と書き出しています。民衆とは、この頃のユダヤの国民の大多数を占める農民に他なりませんでした。
そして彼ら農民こそ、自分たちの人生に重ねて分かる具体的な人生の試練を誰よりよく感じていました。彼らには、ローマに対する税金・イスラエルに対する税金・神殿に対する税金、大きなものだけで3つの税金がのしかかっており、それは年収の半分から3分の2くらいにもなりました。生活苦そのものでした。これに時々飢饉が襲うのです。
そうすると、代々引き継いで来た大事な土地を売らざるを得なくなります。そういう土地をごそっと買って、それまでの穀物の田畑から、ぶどう畑を作る大金持ちがいたのです。ぶどう畑を作って、ぶどう酒にして儲けるためです。
金持ちはあちこちにそうしたブドウ畑を持っていますから、それらを見回るためにしばしば長い旅に出て、収穫の時にだけ使いを出して収益を吸い上げるのです。もともとは自分の畑だった、そのぶどう畑で小作人として雇われて働いていた人たちは、収穫の時にだけ取り立てに来る使いをどんな思いで迎えることでしょう。そもそも苦しい生活の中で、おいしいところだけごっそり持って行かれる不条理に、悔し涙を流し、憤りをかみ殺していたのではないでしょうか?
釜ヶ崎の労働者たちは、元首相を銃撃した山上容疑者について、そのやり方はよくなかったとしながらも、彼のお陰で黒い政治に風穴が開けられた、と喝采しています。手紙を書いたり、差し入れしている人たちがいます。それは自分たちの置かれた、押し込まれて来た状況と、統一教会のやり方に苦しみ、思い悩んで来た人への深い同情があり、それを黙って許して来た政治の不正への怒りが全く重なるからです。
同じように、当時の多くの庶民、農民は苦しい生活状況にありました。そのことを知りながら何ら関わらない宗教があり、神殿がありました。イエスから思いがけないたとえ話を聞かされた彼らは、僕を殴って追い返した、ついには息子を殺してしまったたとえ話の流れに、暴力は良くないけれど、その気持ちはよく分かると内心喝采したことでしょう。現実には、農民たちの方こそ、理不尽な暴力を受け続けて来たのです。
余りの生活苦に耐え兼ねて、現実に一揆もあちこちで起きたのです。でも圧倒的な力の差、いつもねじ伏せられ、焼き討ちを始めとして、当局からひどい暴虐が行われ黙らされて来ました。どうにかしたいけど、できない。かえって空しい結果となります。たくさんの人が空しい犠牲となった悲しみを、農民たちは肌身に刻んでいました。
だからこそ、「さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるに違いない。」というイエスの例えの締めくくりに「そんなことがあってはなりません」と答えたのです。
唇をかみしめるような理不尽な現実を、イエスは農民同様によく知っていました。何も一揆・決起を呼びかけたのではありません。暴力を肯定したのでもありません。諦めようと訴えたのでもありません。そこが農民の厳しい現実に何も応えない神殿だからこそ、この例えが語られました。ここでこの例えを語ること・彼らと聞くことに意味がありました。ここにこの例えを語る人がいることが奇跡であり、力でした。悔しい現実、変えられない重い現実は厳にあるのだけれど、真の神は御存じであるということ。死んでしまっては何もならないという確認を最後に共になしたのでした。
「そんなことがあってはなりません」と返答した彼らをイエスは見つめて言われた、と17節にあります。この「見つめて」と訳されているギリシャ語の原語はエムブレポーという言葉ですが、これはただ見つめるではなく、「慈しんで見る」「注意深く見る」という意味です。どんなに民衆が慰められ、励まされたでしょうか。
イエスは、神殿において一番覚えられるべき人々を慈しんで見つめ、それから「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」と語ったのです。私は、この捨てられた、しかし親石である石とは、農民を指していると信じています。間違っても自分のことを言いたかったのではない。農民を前にしてイエスが自分のことを語る訳がありません。それより世界は、世界中どこでも、偉そうなリーダーではなく、語られず黙々と生きる庶民によって成り立っているのです。イエスは、それを見に沁みて分かっていました。
そういう農民たちを最も不条理に扱って来た者の代表が、律法学者や祭司長たちだったでしょう。イエスの本当に適確な当てつけとなりました。彼らは、ただちにどうにかしたかったでしょう。けれど、神殿でこの例えを語った、イエスへの圧倒的な心情を共にする民衆たちを恐れたのは、当然のことでした。
しかし、このような出来事があって後、イエスはついに逮捕されることになります。
教会には時々の事情がありますし、教会的指導が必要な時もあることでしょう。よう知らんけど、でもね。イエスの例えを、なるべく当時・状況に即して受け取るなら、今日の話は、レントにあって、少しく光を感じるような、心が熱くなるような励ましの話であると思えてなりません。これを聞いた民衆たちは、きっとそうだった、絶対そうだったと思います。その胸の内の鼓舞や躍動感を想像すると、気持ちが活き活きして来ます。
注解書を否定したり、教会事情に何でも反対したりするつもりはないのです。ただ、どう言われてもどうも合わないとか、おかしいと思えてならない気持ちに蓋をして聖書を読む必要はないと思っています。よう知らんけど、でもね、と語るべき時はあるのです。その方が活き活きするなら、尚更です。鳥取でも、そうしたいと願っています。皆さんも、どうか自由でいて下さい。その方が、信仰が活き活きするはずです。
天の神さま、イエスの思いこそを十全に受け取る私たちとして下さい。