復活節 第3主日礼拝 No.4
2023年4月23日(日)午前10時45分
前 奏                  奏楽者
招 詞 93-1-45              司会者
讃美歌 57 ガリラヤの風かおる丘で 1,3,4 一 同
交読詩編 4:1~9 (p.11)        一 同
主の祈り 93-5B (4月)         一 同
聖 書 ルカによる福音書 24:36~49   司会者
(新約p.161)
牧会祈祷                 牧 師
讃美歌 334 よみがえりの日に 4,5,6   一 同
説 教 『 人は皆、視力障碍自覚して 』
祈 り                  春名康範 牧師
讃美歌 327 すべての民よ、よろこべ 1,2,3 一 同
献 金                   一 同
感 謝 祈り                当 番
頌 栄 29 (4月) 天のみ民も       一 同
派遣・祝祷                 牧 師
後 奏                   奏楽者
報 告                   司会者

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《本日の説教要旨》
 見えるということは予期や関心や知識が深く関わっていて、目に異常がなくても見えていないことがあります。他方、視力が無くても見えることがあります。先日、BSテレビでヘレン・ケラーさんが紹介されました。ヘレン・ケラーさんは目が見えず耳が聞こえませんでしたが、日本にも来られた時にお世話になった人に8年後に予告なく突然訪問されても手を握って「SA・SA・KI」と笑顔で名前を呼ばれたそうです。目が見えなくても手で相手が誰か理解出来たのです。

 弟子たちは、復活のイエス様を見ても亡霊を見ているのだと思って恐れおののいていました。イエス様は弟子たちに手と足の傷をお示しになり、「わたしの手や足を見なさい」と言われました。さらに「触ってよく見なさい」(39節)とも言われました。イエス様の十字架の出来事は、観念的な出来事でなく、現実の苦しみで、痛々しいものでしたが、その苦しみからイエス様は復活されたことによってこの世界のいかなる苦しみも神様の前では喜びに変えられることを示されたのです。死と復活が現実のことであることを理解するために、この手足を触ってみなさいと言われるのです。

 傳田光洋(でんだみつひろ)という人が「皮膚は考える」という本を書いておられます。彼によると、手は第3の脳であるというのです。第2の脳は、ガーションという人が「胃は自分で感じ、考え、判断し、行動する指示を出す臓器だから第2の脳である」といったそうですが、それを受けて、傳田さんは皮膚は、圧力や温度、湿度、分子、そして光を感じることが出来、有害な紫外線を浴びるとメラニンを製造して皮膚を守る働きをするので「第3の脳である」というのです。「手当」という言葉があるように、手を当てると痛みが緩んだり、不安が薄らいだりします。手で触れることは、理解すること愛することと深く関わっています。

 それでも、イエス様の復活を信じられない弟子達のためにイエス様は、「聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて言われた」(45節)と記されています。原文では、「理解する力を開いた」と訳すべき言葉です。イエス様のことを理解するのも信じるのも我々が頑張って出来るものでなく、そうして頂くのです。私達は忘却力が強いですが、イエス様は私達の傍にいて、私達の心の目を開いてくれます。だから聖書を読んで生活しているとハッと理解力が与えられる時が来るのです。