今朝の聖書には、「これが本当にイエス様の言われたこと?」と思いたくなるほど差別的な言葉が記録されています。カナンの女がイエス様の前にひれ伏し「主よ、どうか助けてください」と訴えました。するとイエス様は「子どものパンをとって小犬にやってはいけない」と女性の子どもを犬と同じように言われました。しかし、女は「差別だ」と怒らず、「小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます」と引き下がりませんでした。すると、「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」と言われて娘の病気を癒されました。この「婦人」グーナイは尊敬に満ちた言葉です。

カナン人にしてみるとユダヤ人は再三自分たちを追放した侵略者でした。そのユダヤ人イエスに「犬」呼ばわりされても「主よ」とイエス様を呼んだのは娘の病気を癒して欲しいばかりに過去の歴史も怨念も乗り越えた母親の気持です。イエス様は10章6節で弟子達にも「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」と言っておられます。過去の歴史を忘れず自分の立場をわきまえてとお考えであられたのではないでしょうか。しかし、あえて口にした差別的な発言にも引き下がらないで娘の癒しを求める母親の一途な愛に心を打たれて過去の歴史を越えて助ける決意をされたのではないでしょうか。

私の母も私の命を助けたいばかりに真夜中に3つの山を超えて町の医院迄私を抱いて運んだと教えられています。私が1歳になる頃、青梅を食べて死にそうになったそうです。戦時中のことで母は私を連れて岡山県の母の実家に里帰りをしていて、近くの診療所に私を運んで行きましたが、医師は「わたしの手に負えない。町の病院に連れて行きなさい」と言って、母は祖母と2人で福原という町まで山を3つ越えて運んだそうです。こうして私は九死に一生を得ました。

今日は「母の日」です。1908年にアメリカのウエブスターという町の小さな教会で、ジャービス夫人の追悼記念会が行われ時、娘のアンナさんが1905年にお母さんが死んだ後、毎年記念日にはお母さんが大好きだったカーネーションを飾っていると話しました。聴いていた人たちはみんな感動し、たちまち広まって、1914年にアメリカの議会で5月第二日曜日を「母の日」と決めたそうです。母の愛は完璧ではなく、弱さや不安を抱えたものでも神様はそれを用いて一人一人の命と人生を導いてくださいます。だから弱さを抱えつつ子育てに励んでくれた母親のことを「母の日」に感謝することは大事なことです。