《本日の説教要旨》

今年は梅雨が早くて先週「梅雨入り宣言」がありました。雨が降ると不機嫌になりますが、神様は全体的な視点で私達の命を守り必要な援助をしてくださっています。新潟のお酒に「上善如水」がありますが、元々は老子の言葉で、老子は紀元前6世紀の戦国時代の人で、「水は善く万物を利して争わず、衆人の憎むところにおる。故に道に近し」と言って、人と争うのではなく常に低いところに留まることが人間として最善の生き方だと教えました。「善」という字は、羊の下に言という字を並べて書くのが元々の字でした。神様に羊を捧げて礼拝し、隣人と言葉を交わして共に生きるという意味だそうです。「上」は神様で、神様ご自身が水のようになってくださいました。

今朝は、教会暦では三位一体主日です。「三位一体」とは創造主は父なる神、救い主として人の姿で来られたイエス様は子なる神、聖霊は風や空気のように目には見えないが人を活かし救うために働かれ3つが独立した機能を持つが1つの神であるという告白です。「真理の霊」(6節、17節)の「真理」はヘブライ語ではエメトで歴史を貫いて支配しておられるという意味です。16節に「別の弁護者」と書かれていますが、「別の」とはイエス様ご自身も弁護者であられると言うことです。そして「弁護者」とはギリシャ語でパラクレートスですが、パラは「傍で」クレートスはクレオー「叫ぶ」者という意味で弁護士のことです。

私は5年前から一人の在日ブラジル人の女性と関りを持っています。弁護士に頼まれて大阪拘置所に一緒に尋ね、今は無期懲役の判決が出て刑務所に移され、もっぱら手紙のやり取りをしています。この人との関りが発端になって私はこの6月から大阪拘置所の教誨師になりました。私に何が出来るか全く自信はありませんが、「神様はあなたのことを理解してくださっているよ」と励ましたいと願っています。

私達は人の内面の苦しみを理解できませんが、人も私達の内面の苦しみは理解できません。しかし、神様は歴史上のイエス様となって生身の人間の苦しみを理解し、現在は聖霊となって空気や風のようになって、姿や形を変えながら私達と共にいて下さって、理解者、弁護士となってくださっています。神様は時には鉄よりも固い氷となって、時には音もなく流れる小川となって私達を養い、時には深い海のようになって私達を包んでくださいます。神様とイエス様の愛と聖霊も働きを信じて互いに助け合いながら生きて行きましょう。