先週の説教で労働者不足が外国人の実習生制度や女性の管理職登用に変化をもたらしているという話をしました。人材不足は教会にも変化をもたらそうとしています。80歳になろうとする私が代務者としてこの教会の礼拝を担当しているのも牧師が足りないからです。

 今朝の聖書ルカ9:51~56にはイエス様がサマリアの村に入って行かれたら、サマリアの人々はイエス様を歓迎しなかったと書かれています。全ての人に過去の歴史があるのです。イエス様に従って行きたいと申し出た人に「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と言われました。宣教活動は報われることもないよと言われたのだと思います。イエス様ご自身、この後、エルサレムで反感を持っていた人々に訴えられて十字架に架けられました。1983年にドイツで緑の党を立ち上げたペトラ・ケリーさんは女性の視点で平和運動を展開しましたが1992年に志半ばで暗殺されました。

 ルカ14:15~24には「神の国で食事をする人は、なんと幸いでしょう」と言った人にイエス様は盛大な晩餐会の譬えを話され、神様が本当におられるという経験をすることが出来たらどんなに素晴らしいことでしょうと言う人は多いが、「どうぞ」と招かれたら色んな都合を並べて逃げ出す人が多いと言われたのだと思います。では、誰がイエスと共に神の国の御用に連なるのか、イエス様に選ばれた者だけではないでしょうか。10:1に「この後、主は他に72人を任命し、ご自分が行くつもりのすべての町や村に2人ずつ先に遣わされた」と書かれています。「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」(3節)とも言われます。イエス様が一緒でなく先に遣わされ、「神の国はあなたがたに近づいた」と言いなさいと言われます。

私は教会の牧師を隠退しようと決心して最後の1年間を東神戸教会の代務者になりました。しかし、不思議な招きで大阪拘置所の教誨師になることになりました。拘置所には裁判中の未決囚の方と死刑判決が出た人が収容されています。私に務まるのかと不安です。弟子たちもサマリアの人々のことを理解し受け入れ共に神様の支配される世界を生きる仲間として理解できるように変えられて行きました。変えられ、育てられ、訓練されるのが弟子の道です。ルカ10:17には72人の弟子たちが喜んで帰って来て自分たちが経験したことをイエス様に報告したと書かれています。これが私たち弟子の道です。