災害が起こって、水道やガス・電気などが止まり、困窮した時にしみじみ「当たり前のありがたさ」を味わう。
 椎名麟三は、ドストエフスキーの「人間の不幸なのは、ただ自分の幸福を知らないから」という言葉に衝撃を受け、求道・受洗した。
 当たり前のものかけがえのなさ、幸せには、「信仰」も含まれる。パウロは、コリントの信徒たちに「思い起こせ」と手紙を書き送った。偽教師たちに惑わされ、和解の勤めを忘れた彼らであった。
 かつて小塩節先生は、ドイツでダッハウの強制収容所を見学してドイツに見切りをつけ留学をやめようと決心した。しかしたまたま出席した在る礼拝で、説教者が涙ながらに戦争責任の罪をざんげしているのを見聞きして、再度考えを改め留学を続けた。
 当たり前に慣れ忘れること。一部を見て全体を測ることは、道を見誤ることだ。パウロが引用したイザヤ書49章の言葉(6章2節)は、直訳すると「ふさわしい時」。ふさわしい時、神は聞かれる。
 フットプリント(マーガレット・F・パワーズ)の詩を改めて思い起こす。分かち合って下さるイエスの道は、豊かで深いものであった。神の目(ルーペ)で見ると分かる。

【メッセージ全文】
 福岡と大分の豪雨被害がまだまだ復旧しないうちに台風5号がやって来て心配します。こうした災害が起こると、例えば一週間ぶりに水道が復旧したというニュースを見ます。その前に、何もかもが濁流に押し流されたり、浸かってしまって使い物にならないので、ポリタンクもなくてナベや小さなペットボトルに給水車から水を入れてもらっている様子が報道されたりします。ですから、インタビューを受ける人たちがみんな一様に「ありがたい」と答えているのを、そうやろなとしみじみ共感するのです。
 水道だけではありません。電機やガスなどが止まってしまって、それまで当たり前のようにあった日常が、とんでもなくありがたいことだと知らされる訳です。でもそれは、実は水道や電気だけのことではないのです。
 作家の椎名麟三は、戦前、共産党員だったので、逮捕され、随分ひどい拷問を受けたそうです。釈放後自分の本当の生き方を捜し求めて、たくさんの哲学書を読みました。でも満足するものは与えられませんでした。或る時、たまたまドストエフスキーの「悪霊」という本を読んでいて、「人間の不幸なのは、ただ自分の幸福を知らないからだ」という言葉に出会って、大きな衝撃を受けるのです。そして求道者となり、救い主に顧みられ、愛されていた自分を発見して、洗礼を受けるに至ったのでした。
 信仰も普段はなかなかそのありがたさが分からないものかもしれません。余りにも当たり前であればあるほど、信仰をいただいていることの重さや深さを忘れたり、見失ってしまう訳です。
 今日与えられたテキストは、この5章11節から始まる一段落には「和解の任務」という小見出しがつけられています。コリントの教会はパウロが手がけた教会の一つでしたが、パウロが次の伝道のためにコリントを離れると、にわかに律法を大切にすべしとする「偽教師」たちが教会に現れました。彼らはパウロの教えとは全く異なる教えを語ったばかりか、パウロに対する非難や中傷を行って、コリントの信徒たちを惑わし、パウロとの間に大きな亀裂を生じさせたのでした。とりわけ彼らは、パウロの使徒性について否定した上、自分たちこそ真正イスラエルの子孫であり、聖書の理解に詳しい、特別な教師であると誇っていたのです。
 パウロは、これら偽教師たちの非難に立ち向かいました。それがこのコリント書です。特に今日の箇所において、使徒の務めは、神様によって和解の福音が託されていることにあると述べています。この和解の福音に使えることこそが使徒の証しであって、それには偽教師たちが言うような証明書やエルサレムの教会からの推薦状など必要ではないと訴えたのです。
 もともとコリントの教会はパウロの伝道によって建てられた訳ですから、パウロが語り伝えた福音の確かさや、使徒職としての正しさを、信徒たちは十分知っていたはずでした。それをもう一度思い起こそう、そして神様の和解の福音に生きる者として道を歩み直そう、パウロはそう願い、彼らに既に与えられている神様からの恵みを無駄にするな、と語り掛けました。「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」6章2節の言葉は、旧約聖書イザヤ書49章からの引用です。かつて捕囚の民たちが、神様から与えられたものをすっかり忘れて、「何もしてくれない」と不平と不満を言い募った時に、神様は「そうじゃない、私はしたのだ」と断固語った箇所です。
 ドイツ文学者として著名な小塩節先生は、若き学生時代、ドイツに留学しました。そして最初にダッハウの強制収容所を見学に訪れたのです。ところが余りにも生々しい歴史を目の当たりにして、大きなショックを受けました。これがゲーテやモーツァルトやベートーベンやバッハを生んだドイツの実態なのか、一遍にドイツが嫌になって宿に戻るとすぐトランクをたたみ、日本へ帰る準備を始めました。
 しかしたまたま日本からやってきた在る旅行者のたっての願いで、ドイツの教会の礼拝に案内することになったのです。既に昼の礼拝は終わっており、苦労して夕礼拝を行っている教会を探し当て、出席しました。教会というよりは、小さな集会所でしたが、たくさんの人でいっぱいでした。
 その日の説教は、ユダヤ人虐殺の罪をざんげし、ドイツ人の責任と悔い改めを促す内容でした。牧師の祈りの最中、何気なく目を開けてみると、牧師が涙を流しながら祈っているのが見えました。
 帰り際、受付の人に聞いてみると、その牧師は学生時代、戦争への反対運動を行ってダッハウの強制収容所へ入れられ、間一髪助けられた人だと知らされました。そのことには何一つ触れず、自分も加害者ドイツの一人であることをざんげし、泣きながら祈りをささげたことが分かったのです。
 小塩先生は、深い感動に包まれました。そしてやはりドイツに留まって学ぼうと決意を新たにし、宿に帰ると再び荷物を解いたと言うのです。
 余りにも当たり前だと忘れるものがあります。一部だけで全体を見ると、誤まることがあります。「恵みの時に、私はあなたの願いを聞き入れた」と訳されていますが、これは直訳すると「ふさわしい時に」という言葉です。ふさわしい時に神様は聞いて下さるのです。その時、こんなみじめな道行はないという思いが変えられます。実は主と共に歩く道は、誰にも開かれ、もれなく備えられる豪華な旅路だったと知らされるのです。なぜなら、主の和解とは、分かち合いであるからです。私たちの主は、私たちの思いを分かち合って受け入れられ、更に神様の思いを分かち合って示して下さるのです。
 久し振りにマーガレット・パワーズさんが作ったフットプリント、砂の上の足跡という詩を読みたいと思います。
 ある夜、わたしは夢を見た。
 私は海辺を歩いていた。神と共に。
 空を仰ぐと、電光のようにつかの間、
私の生涯のこのとき、あのときの場面が
次々にひらめいては消えた。
それぞれの場面にくっきり彫り付けられている、砂の上の二対の足跡。
一対はわたしの、そしてもう一対は神のもの。
そのようにして   私の生涯の最後の場面が浮かんだ時、私は振り返った、
砂の上に続いている足跡を。
どういうことだろう、これは?
ところどころでは足跡はたった一対。それも一生のうち、もっともみじめな朝、
わびしい夕べに・・・・。
「神様、あなたは約束して下さいました。私があなたに従おうと決心した時に。
これからはいつも、あなたと共に歩もう、と。
でも、私の一生の、もっとも暗い日々には、足跡はたった一対だけ。
神様、私があなたを切に必要とした時、なぜ、ああ、なぜあなたは私をひとりぽっちになさったのですか?
「我が子よ、わが愛しい子よ、どうしてわたしがあなたを見捨てるだろう?
 あなたの試練の時、苦しみの時、もしも一対の足跡しかあなたに見えなかったと
 すれば、それは私があなたを背負うていたからではなかったか?」

私は小学生の頃、先生から夏休みはどこに行くにも虫眼鏡を持って出かけよう。そ
して何でも拡大して見てみようと言われたのを覚えています。大きく拡大して見ると、
違うものが見えて来るのです。当たり前じゃないものが見えるのです。聖書には、神さまが上からご覧になると書かれた文章が幾つもあります。上から見るとは、大きく見るということです。神さまは大きくみられる。今は虫眼鏡ではなく、ルーペと言います。昆虫とか岩石だけじゃなく、神さまのルーペで拡大すると違う命や人生が見えて来るでしょう。

天の神様、あなたと歩む道は、本当は豊かでかけがえのないものでした。貧しさの故になかなか気づけない事をお許し下さい。そして気づきの時を与え、喜んで主とと共に主の道を歩む者として下さい。