《本日の説教要旨》
灰谷健次郎さんの『わたしの出会った子どもたち』という本に、麻理ちゃんという女の子のこ とが描かれていました。麻理ちゃんは筋肉のマヒが進んでいくという体をもっておられます。 笑っているのか、怒っているのか、そばで見ているだけではわかりにくいのです。灰谷さんは、 その麻理ちゃんの姿に、言葉にならない優しさ、命が満ちあふれていることを感じさせられまし た。
何かが上手に出来ること、速くできること、力が強いこと、そのことばかりに心が向いている と、そこで見落としてしまうものがあるのではないかと思います。そして、人を切り捨ててしまうこ とを思わされます。速さや強さや効率の良さだけに目を奪われて、いのちを慈しむ心、人間とし ての優しさ、人間らしささえも失ってしまうことを思わされます。
イエスは、朽ちる食べ物のためではなく、永遠の命に至る食べ物のために働きなさいと言 われました。私たちが食べる食べ物は、栄養になりますが、朽ちて、なくなっていくものです。 私たちは、朽ちる食べ物で朽ちる命を支えながら生きているのです。
私たちは、朽ちる食べ物だけに心をとらわれてはならないのです。朽ちていくものにとらわ れていくこと。それは、見栄えのするもの、力のありそうなものに飛びついていくことかも知れま せん。私たちは、イエスから与えられる永遠の食べ物のために働くことへ招かれています。そ れは、私たちにすべての恵みを備えてくださる神様を信じることだと言われました。
ある施設で過ごされた方が天に召されました。私は、どんなにつらい人生だっただろうと思 いましたが、いっしょに過ごしてこられた方々が話されますのは、Nさんはとても楽しい人だった ということでした。私自身が、いのちの尊さ、かけがえのなさを見失ってしまっていた、人として のやさしさ、人間らしさを失っていたことを痛感させられました。
恵みの内に導いてくださる方がおられること。そのことを信じる時、私たちの働きも、その大 小にかかわらず意味を持ってくるのだと思います。イエスから与えられる永遠の命に至る食べ 物のために働くものとされていること覚えたいと願います。