おはようございます。
本日はこのような機会を頂きありがとうございます。
こう見えて、極度のあがり症なもので、ここへ立つのは絶対に無理だと何度もお断りしましたが、牧師には聞き入れてもらえず(笑)これも与えられた時なのかなと思い、お受けする事にしました。
ただ、難しい話は出来ないので、まずはこれまでの自分と教会との関わりを紹介させて頂きます。

私は洗礼を受けたのも10年以上前なのに、情けない事に皆さんのようにキリスト教について聖書を熱心に勉強する事もなく、授業を受ける事もなくここまで来ました。
小さい頃から私にとってキリスト教とは、母の教えでした。
当たり前のように教会へ行き、このイエス様に会いホッとして帰る。
当たり前のようにずっと近くにあるもの。
隣人を愛する事、感謝の気持ちを忘れない事、人を許す事、人の心に寄り添う事、それは母が背中を見せて教えてくれた事です。

小学生のうちはキャンプに参加したりもしていましたが、中学に入り部活が始まると教会にもなかなか行けなくなり、自然と教会から足が遠のいていきました。生きる事に必死だった中高6年間を経て大学に入り、英会話を習いに行ったバプテスト教会でアメリカから来られていた宣教師の方々との出会いがあり、その関わりの中で洗礼に対する気持ちが芽生え洗礼を受けました。
その後、就職すると日曜が必ず出勤だった事もあり、またなかなか教会へ行けない日々が始まりました。
たまに行くと居場所があるはずなのに居場所が無いような、それが自分の居場所ではない様なそんな感覚に陥ってしまい、かけてもらう言葉すらプレッシャーに感じ、余計に教会に行けなくなっていきました。
ただ、教会に行きたいという気持ちはずっとあって、そんな時いつも頭に思い浮かぶのはこのイエス様と東神戸教会でした。
小さい頃からずっと通っていたこの教会で洗礼を受けなかった負い目のようなものを少なからずずっと感じながら、それでもこの教会に来たい、この空間に居たいと思えたのは、小さい頃から教会に来る楽しみを教えて下さった望月牧師や他教会で洗礼を受けた私をずっと支えて下さった川上牧師の存在、そして横山牧師をはじめ東神戸教会の皆さんがいつも温かく迎え入れて下さったからだと思います。
そして何よりも、母や祖母がずっと教会とつながっていてくれたからなんだなぁと今心から感じます。

転会に関しては、転会式の時にも少しお話しましたが、これまでも何度か転会を考えた事はあったんです。
でも洗礼のきっかけを頂いたバプテスト教会への想いや、今転会したところで小さい子供たちを抱え何一つ満足に動くことも出来ない、それは逆に迷惑をかける事になるのではないか、など色々考えるとその一歩をなかなか踏み出す事が出来ませんでした。
そんな娘たちが最近では自ら「教会に行きたい」と言って一緒に子ども礼拝に通えるようになり、たくさんの方々に背中を押して頂き、自然と転会に向き合えた今がその時なのかなと感じ、転会を決意致しました。
転会式の時「よくぞ帰ってきてくれた!!おかえり!」と胸がいっぱいになる言葉をかけて下さった方がいました。それが、3日前の18日に亡くなられた小林宣子さんです。
もう直接言う事は出来ないけれど、この場をお借りして感謝申し上げます。のんちゃんありがとう。

教会、転会に関する話はここまでなんですが…これでは時間が余ってしまうので。
もうひとつ、私が今まで生きてきた中で三度、自分なりに命と向き合った時の話をします。
一度目は阪神淡路大震災。15歳、中学三年生の冬でした。
生まれて初めて死の恐怖を感じ、それまでは死ぬのなんて怖くないと思っていた自分が、初めて死にたくないと心の底から思った一瞬でした。
近所の人、友達、たくさんの方々が亡くなりました。
昨日まで笑顔で話していた友達が影も形もなくなる、昨日まで当たり前にあった電気や水、食糧がなくなる、町がなくなる、もう悪夢でしかありませんでした。
子どもですらこれだけの想いをしたという事は、守らなければならないものがたくさんある大人達は一体どんなだったんだろう…とその想いを想像すると、大人になった今、親になった今、改めて胸がしめつけられる想いです。
子どもなりに、命の尊さ、儚さを初めて身近に感じ、現実と向き合い、どうにも逆らえない運命というものを目の当たりにして、神様なんていないんじゃないかなとまで思いました。
ただそれと同時に、人と人のつながりや絆というものもたしかに感じました。
今考えても、あの出来事が意味あるものだったとはやっぱりまだ思えないけれど、こうやって考えている今も与えられた時なのかなと思います。

二度目は私が骨髄移植のドナーとして骨髄を提供した時です。
骨髄バンクのボランティアや説明員をしている母のお陰で骨髄移植は身近に感じられるものであったのと、高校三年生で血液のがんで亡くなった主人のお姉ちゃんへの想いもあり、20歳になると同時にドナー登録をして24歳の時に提供する機会に恵まれました。
自分の骨髄で生きられるかもしれない命がある、命がつながる、こんな嬉しく幸せな事はないと思いました。その入院の時に、通常はドナーは個室での入院になるところを私は個室が怖くて自ら大部屋を希望し、白血病の患者さん達と同じ部屋になったのですが、術後、麻酔の副作用がキツくて私が嘔吐していると点滴をつけたままの患者さんが、迷う事なく私のもとに来て背中をずっとさすって下さいました。
その後もいろいろ話をしながら、自分が励ますどころか私が励まされるばかりで、生きようとする強さ、命との向き合い方を教えてもらった気がします。

そして三度目は三人の子供達との出会いの時です。
何度経験しても、これ以上の幸せな瞬間はありません。
それまでお腹の中にあった命がこの世に誕生するというのはなんと不思議でなんと尊いものなんだろうと、神様がなされる事の大きさを全身で感じました。こんな素敵な経験をさせてくれた子ども達、そして無事命を誕生させて下さった神様にただただ感謝するばかりです。

最後に…。
私は今、これまでで一番イエス様、神様を近くに感じ、この教会に自分の居場所を感じる事が出来ています。大好きな東神戸教会。
これからも、讃美歌やゴスペルなど音楽のあふれる、温かい笑顔があふれる、そして爽やかな風が通る教会であってほしいなと思っています。
そのために自分に出来ることをひとつずつでも見つけ、この教会とずっとつながっていけたらなぁと思います。

お祈りします。
天の父なる神様。今日という日を与えて下さり、今こうやって無事メッセージを伝える事が出来た事、感謝致します。
どうする事もできない事が多すぎるこの世の中です。
悩み苦しみ、辛い想いをしている友が、必死に病と闘っている友が、あなたのもとに召された友が、
どうかあなたの大きな愛を感じ、少しでも前向きに心安らかに過ごせますようお守り下さい。
今日はCSの子ども達、スタッフの皆が余島キャンプから帰ってきます。
その道中もあなたの恵みがありますように。
この小さき祈り、主イエスキリストの御名によってお捧げ致します。
アーメン。