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《本日の説教要旨》

 ベトザタという池のほとりに5つの回廊があって、そこに横たわっていた人がいました。「回廊」という単語は、ストアスで英語のstoreストアーの語源でしょうか?英語だと「倉庫」「事務所」「店」という意味もあります。遺跡の調査からそこには柱と屋根の建築物があったことが伺われ、池を囲んで廊下のようなものがあり、沢山の病人が寝泊りをして、病気を治してもらうチャンスを覗っていたのです。ベトザタの池に天使が降って来たときに一番に池に飛び込めば病気が治ると言われていたから。西宮神社の福男は一番に駆け込むとその年の福男になれるというのですが、福男にどういう福があるのかネットで調べてみると「福男は周りに福を与える存在になるということで、自分の福を分け与えるという大変なお役目を担ってしまうのです」と書かれていました。

どんな病気の人たちが集まっていたのか、「病気」はアッセネースでアは否定語句、セネオスが「強い」で「強くない」という意味です。体とか精神が弱い人々が癒されることを願って集まっていました。そこにイエス様が来られて、38年間そこでチャンスを待っていた人をじっと見られて、話しかけられました。「良くなりたいのか」(6節)。するとその人が「水が動くときに私を池に入れてくれる人がいないのです。私が行くうちに、他の人が先に降りていくのです」と言いました。そこでイエス様が原文では「あなたは起きなさい。あなたはあなたの床を担いで、あなたは歩きなさい」と言われました。

斎藤 茂男著「妻たちの思秋期」に、企業戦士のような夫を支え子育ても頑張った妻が子どもが大学生や高校生になった頃から、自分の存在の意味が感じられなくなり心の中に秋風が吹きぬけるような気持ちになって夫や子供の帰宅を待っている間に、台所で暇つぶしにちょっとアルコールを口にし始めて、気付いたらアルコール中毒になっていた書かれています。

私は数年前、足腰が痛くて歩けないほどになりました。ある日、教会員のお宅を訪ねて帰る道で痛みが激しくなり、数歩歩くと立ち止まり、数歩歩くとまってため息をついていると、一人のご婦人が同じように後ろから止まっては歩いてこられました。「足が痛いのですか?」と声を掛けると、「障碍のある子どもが生まれて、抱いて仕事をしていると腰を痛めてこんなことになりました」と言われました。「大変でしたね」と言って二人で「痛い、痛い」と言いながら並んで駅に向かいました。気が付いたら、先ほどまでは10m歩くと止まっていたのに、駅まで止まらず歩き、先ほど会った時はお顔がいがんでいたのに嬉しそうな輝くお顔になっておられました。誰も自分の痛みが分かってくれないと思っているとスピリチュアルな痛みを感じますが、人の痛みに共感しつつ励まし合って一緒に歩いていると痛みが消えると知りました。痛い脚で良い、それでこそ痛みを抱えている人の痛みが理解できると気付き、歩く力が強まりました。