3月13日(水)の朝日新聞によるとロシアで2万団体ほどの軍を支えるボランティア活動が活発になされていて、この人々にはソ連崩壊直後から米欧がロシアやウクライナなどの旧ソ連構成国を分裂させ、世界の覇権を握っていると映るそうです。イスラエルのガザでの武力衝突も立場を替えると全然違ったものに見えるのだと思います。「目には目、歯には歯」という報復の定義がありますが、本来は復讐する時は自分が受けた被害の域を超えてはならないという意味ですが、やられたらやり返して良いという論理になって、何が切っ掛けかも分からず報復を正当化し争いが拡大しているのが現実ではないでしょうか。

ヨハネによる福音書には「過越しの祭り」が3回出て来てイエス様の公生涯の活動は足掛け3年に及んだとヨハネは記し、その第1回目はヨハネ2:13の「ユダヤ人の過越し祭が近づいたので」から始まる宮清めと言われる出来事です。イエス様は、神殿を自分たちの利益のために利用している横暴な支配者たちに向かって、彼らの不正を指摘されました。この宗教改革の出来事が外国人にも伝わって、12章に記されている過ぎ越しの祭りに参加した何人かのギリシャ人がやって来てイエス様に会いたいとフィリポに頼んだのです。するとイエス様は「一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒のままである。だが死ねば多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」と言われました。

 グレゴリー・ジョーンズ、セレスティン・ムセクラ著「赦された者として赦す」という本は素晴らしい問題提起をしています。ルワンダで何十年も部族間抗争が続いて殺害が繰り返されました。1996年にカリサ牧師が赦しと和解の運動を展開するセンターを設立して、和解の運動がルワンダで生まれました。この運動を知ったアメリカのデューク大学神学部のグレゴリー教授が、これはアメリカでも神様から求められている問題だと理解しました。デューク大学はノーベル賞受賞者も出す知的にも優れた総合大学ですが、デトロイトの福音派の牧師養成神学校と仲が悪く、互いにバカにし合って深い亀裂がありました。「赦された者として赦す」ことが求められているという問題提起は、ルワンダに於いて言われているだけではなく、アメリカでも言われていることだと気が付いたグレゴリーが神学校間に和解をもたらす活動を始めたそうです。私は日本基督教団の教会も神様から和解を求められていると受け止めました。

今度は私達の番です。イエス様の光に照らされて和解を教団レベルでも教会レベルでも、各家庭でも、学校でも、全ての生きる場所で始めて、共に生きる世界を復活させましよう。キリスト者として生きるとは、和解の務めに参加することです。