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イエス様が十字架の死を遂げられ3日目に日曜日の朝早く、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行ったと書かれています。マリアはヘブライ語ではミリアムで、「ニガヨモギ」という意味です。苦いヨモギのような悲しみを噛みしめ墓に行くと、天使が墓の入り口の石を脇へ転がしてその上に座ってイエス様が復活されたこと、復活のイエス様はガリラヤに行かれるからそこでお会いできることを弟子たちに伝えなさいと言います。女性たちが急いで墓を去り弟子たちに伝えに行こうとすると、復活のイエス様が行く手に立って「おはよう」と言われたと記されています。

「おはよう」という挨拶は、ギリシャ語ではカイレーテと書かれていますから「喜べ」と言われたのです。ユダヤ人マタイがヘブライ語のシャロームではなく、ギリシャ語のカイレーテ「喜べ」と記録したのは、特別な意味を持たせていたと思います。イドゥーという単語は、聞き手の注意を喚起する単語であり、人間の行動に対して神様が介入して来られる時に使われています。この「見よ」と直訳できるイドゥーが3回も使われて、イエス様の復活の出来事がドラマチックに展開して結論は「喜べ!」なのです。

ある人が言いました。「喜べば、喜びが喜びながら喜びを連れて喜びに来る。悲しめば、悲しみが悲しみながら悲しみを連れて悲しみに来る。疑えば、疑いが疑いながら疑いを連れて疑いに来る」。疑うことを知らないで簡単に騙されてしまうのも問題ですが、信じることを知らないで、なんでも疑ってかかるのも問題です。100%「信じる」で「疑う」ことを知らないと詐欺に遭います。49%疑うが51%信じて生きることが人生に喜びをもたらす秘訣です。

天使も復活のイエス様も「ガリラヤで会える」と言いました。ガリラヤはマタイ4:15~16に「異邦人のガリラヤ、暗黒の地に住む民」と書かれているように、貧しさや差別や問題の多い処で、アムハーアレッツ「地の民」と呼ばれ最も貧しい人々が住んでいました。そのガリラヤに復活のイエス様は誰よりも先に取って返し、そこで弟子たちと会うと言われるのです。女性たちがそれを弟子達に伝えようと走り始めると、復活のイエス様が行く手に立って「喜べ」と言われました。「喜ぶ」という英語はエンジョーイで、エン(入れる)+ジョーイ(喜び)で、喜びのないところに喜びを入れるということが本来の意味です。信じて希望を失わず、辛くて難しい現実の中にも喜びを捜して生きて行きましょう。復活されたイエス様が先におられ、必ず喜びが用意されているからです。