まず、私の生い立ち含めた自己紹介と、それから洗礼に至った理由をお話ししたいと思います。

わたしは四人家族です。
「アーメンに行きたい」と言って今朝も泣いていた1歳になったばかりのやんちゃな息子と、もうすぐ3歳シャイボーイの息子、今その二人の息子を面倒見てくれており、時に頼りになる相棒の夫の4人です。
仕事は神戸市で医師をしています。

小さい頃は大阪の南に住んでいました。母は学生時代にクリスチャンになったので、わたしが生まれた頃には既に教会に通う生活をしていました。毎週日曜日には、母と2つ違いの兄と大阪の南から、近鉄電車 と大阪環状線を乗り継いで大阪市内の教会に通っていました。時間に余裕をもって出発できた日は、CSから、時間に余裕のない日は大人の礼拝だけに参加していました。この教会は小さい頃より小学生まで通いましたので、わりと色んな記憶が残っています。

牧師がとても大きい人だったこと、CSのイベントがすごく楽しかったこと、クリスマスの劇で兄が博士役を割り当ててもらって羨ましかったこと、大人の礼拝は緊張感があって静かにしてないといけない空気が漂っていたこ と、献金が終わったらやっと帰れるーとワクワクし始めたこと。お祈りは欠かさなかったし、何しろ神様はいつも隣で見ていてくれてる、と聞かされていたので疑うこともなく、神様は存在し守ってくれていると信じていました。

11歳の時に、父の転勤で神戸に移り、中学・高校と次第に教会から足が遠のきました。
大学進学後は遠い山陰の土地で、一人暮らしを始めたので何かにつまづいた折には、すがるように、近くの教会に足を運び礼拝に行っていました。それも年に1-2回でした。つまり、教会からは遠ざかっていたわけです。

理由は生活に追われ忙しかったのもあるのですが、神様って本当にいるのか、という疑問を持ち始めたのです。ちょうど20代前半に、親しい友人が、マラソンを完走した直後に亡くなるという出来事がありました。周りに医師もいて、本人も医師で、医療の限りを尽くされたにも関わらず、一度止まった心臓は再び動くことなく、突然死という形で亡くなりました。若い命がこんな形で、あっさりとなくなってしまう事実が受け入れられませんでした。まさか生き返るわけもないのですが、できるなら奇跡が起こって、なかったことにしてほしいと何度も思いました。これも神様の計画だとしたら、なんてひどいことだと思いました。奇跡って、都合良くは起こらない。奇跡って起こらない、、、
神様って本当にいるのだろうか。そう感じ始めたのです。

それから30代、両親・家族の中に問題が起き八方ふさがりになりました。どうしようもなく、自分の感情も混乱の中、新たな人生を東北で踏み出しました。そのままの状態が続き3〜4年が経ったころ、仕事の関係で神戸へ戻ってきました。そこで心にひっかかる家族のこと、自分ではどうしようもない壁でした。

色んな思いを抱えて足が向いたのが、結局、教会だったのです。
東神戸教会を選んで訪れた理由は家から近かったから。ホームページの牧師の肖像画をみて、ほっこりしたから。そして何度か通ううちに、横山牧師に話を聞いてもらい、ホッとしたのです。
神様と繋がっていれば恐れることはないと、思い煩うことはないと、大丈夫だと話して頂きました。礼拝にでると、色んな言葉を自分に置き換え心を強く持てました。そうするうちに、なんとか家族と通じることができるようになったのです、話せば長くなりますが。奇跡とは、劇的なものではではなかったんだ。人間が期待して起こるものではなく、全て、神の計画のなかで起こることなんだと。物事の1つ1つがそうやって起きているのかと。期待に反することも、苦しみや悲しみさえも、何かにつながる奇跡の1つということを感じました。そしてその時にはわからない。ぶつかったときは越えられない壁と思っても、神は乗り越えられない試練はお与えにならないということを、身をもって感じ理解し始めました。
そうこうして、1年教会に通い続けた時に、洗礼を受けませんかと背中を押してもらったのです。クリスマスに子ども達と夫と、母に来てもらって受洗しようと決意ができその日を迎えたのです。

置かれた場所で咲きなさい、、、
渡辺和子さんのこの本はクリスチャンではない夫の母に勧められて読みました。家族のことも、仕事のことも、、、今のこの状況を受け入れて、そこで頑張っていこうと、励ましてくれるような内容です。東北から神戸に帰って来られたこと、子供を二人も授かって毎日目まぐるしいですがワイワイ楽しく過ごせていること、この地で与えられた仕事があるということ、東神戸教会に招かれたこと、ここで洗礼を受けたこと

この小さな奇跡の中で、今の場所で私なりに花を咲かせられるように、生きていきたいと思っています。