沖縄に米軍基地が集中していることは、押し付けであり、沖縄の人たちからすれば本土からの差別だ。ただ、本土にも例えば岩国のような米軍基地の町が存在することも忘れてはならない。そこでの実態は、沖縄同様全く理不尽そのものだ。
神はモーセらを用いて、イスラエルの民をエジプトから脱出させるべく、王(ファラオ)の元へ交渉に出かけさせた。
民らを奴隷として使いたい王は、イスラエルの神を否定したばかりでなく、かえって民たちに苦役を強いた。
ところが民からの批判の矢面に立たされたのは、王ではなくモーセらだった。
そもそも神の召しに辞退したのだが、再三の言葉によって踏みとどまり、懸命に従って来たモーセら。それなのに結果は、かえって悪化し、思わず神様に不平を漏らすことになる。無理もない。
にも関わらず、そのモーセらに「私は主」と3度も繰り返された神様。まるで聞かない人々へ彼らを遣わされたのは、人間の愛憎をギュッと受け取った上の、神の励ましだった。
イエスも健康な人に医者はいらないと語った。岩国基地反対運動を続ける大川牧師らは、決して諦めない。私たちも同じくなお励まし用いられる神の愛に活かされたいと思う。
【メッセージ全文】
沖縄には在日米軍基地の74%が集中していることは、よく知られています。それは本当に無残な現実で、第二次大戦の沖縄戦の歴史を思えば、沖縄の人たちから「これは本土による差別だ」と言われても致し方のないことです。申し訳ないと思うばかりで、現状が変わらないことへ歯噛みをする者です。
沖縄が置かれた厳しい状況を忘れてはならないと心します。その一方で、沖縄ほど目立たないけれども、同じように米軍基地がある本土の幾つかの町のことも忘れてはならないと思っています。青森の三沢、神奈川の横須賀や厚木、長崎の佐世保など、改めて思い起こせば日本は独立国なのか、アメリカの支配下にあるのか頭をかしげてしまうのです。
中でも、山口の岩国です。何年前になりますか、沖縄にオスプレイが配備されると言う時、いったん岩国に置かれて、そこから沖縄へ運ばれるというので、大阪から岩国まで小さなバスに乗りあって反対行動に出かけたことがありました。
初めて訪れた岩国。米軍基地が川向うに見渡せる海岸近くの会場で、マイクを握ってオスプレイの反対を叫んでいた女子高生がおりました。何百人と詰めかけた人々を前に、堂々たる演説で、感心しました。一女子高生がこんなことをしているくらい、地元にとっては大問題なのだと感じました。そして後に、彼女が岩国教会の大川清牧師の娘であるIさんだと知らされたことでした。
残念ながら、米軍基地を容認する市長が誕生し、10年経つうちに岩国では一層米軍基地が拡大拡充される一方でした。空母艦載機の部隊が移駐されることが決まり、沖合に基地を移設する。その埋め立て用の土砂を、岩国でも環境の良い場所だった愛宕山を崩して運ぶことになりました。更にはその跡地が米軍の将校用の住宅と関連の運動施設へ変えられることにもなりました。
その愛宕山には一戸当たり245㎡の将校用住宅が、計262戸作られました。1戸当たりの費用が1億円でした。そこにはキズナスタジアムと呼ばれる野球場も建設中です。10年で6000億円がつぎ込まれました。言うまでもなく税金によります。岩国だけでも、こんな思いやり予算で湯水のように血税が使われているのです。本当に理不尽で、腹立たしくてなりません。その上に、市民には、騒音や墜落などの事故リスクなどの危険性が降りかかって行く訳です。心ある人々は、沖縄のことを筆頭に反対を叫びますし、それは当然のことと思いますが、岩国などの本土内の基地問題も大変重いものがあります。一体どうしたら良いのでしょうか?
さて今日与えられたテキストは出エジプト記。まさに神様がエジプトからイスラエルの民を救い出された出来事が記された箇所です。神は、エジプトにおいて奴隷とされ、苦しんでいたイスラエルの民の嘆きを聴かれました。そして彼らを哀れんで、救う計画を立てられたのです。それが出エジプトの出来事でした。
その計画を実行するに当たって、モーセとアロンがリーダーとして選ばれました。二人は神の召しに従って、エジプトの王様ファラオの元へ出かけ、神がなさろうとしている計画について伝えたのです。
そもそも何ゆえ、イスラエル民族がエジプトにいたのか、いつしかエジプトから恐れられるほどの大きな存在になり、結果、奴隷とされてしまったのか、もちろんそこには歴史経過がありました。
しかし、時を隔ててその歴史を顧みない時代を迎え、ファラオは単純に奴隷としてのイスラエル民族の価値だけを望んだのです。ですから、モーセらの訴えを聞くようなフリをしながら、聞く耳など毛頭持ち合わせてはおりませんでした。イスラエルの神などは知らないと拒みました。すんなりエジプトを去らせるなど考えられなかったのです。それどころか、かえってそれまで以上の苦役を強いて、イスラエル民族の苦しみを倍加させることになりました。
そして民たちの不満がモーセとアロンに怒りとなって直接ぶつけられたのです。モーセからすれば、ものすごく頑張った訳です。エジプトの王にじかに会って交渉するなどという事一つとっても、奴隷の身分のイスラエルの民からすれば、本来あり得ないことでしょう。それだけでも、命がけの交渉だったと言えます。
もともと、イスラエルの民を率いるよう命じられた時、自分はとてもそんな事はできないと再三辞退したモーセでした。何万人ものイスラエルの民を連れてエジプトを出ること、それは恐ろしく困難で大変な仕事ですが、出るのはいいとしてどこへ行けば良いか分からないのです。あて先のない旅を続けなければならない、そしてそれがいつまでなのかも示されない(これはご承知のように結果的に40年もの長旅になるのです)、己の技量を思えば、余りにも無理な命令でした。引き受けられないと固辞する方が当たり前でした。
それを補助者としてアロンをつけるから、助けるからなどと繰り返し神に言われて、まぁ敢えて言えば、しぶしぶ引き受けたモーセなのでした。
その上で、自分にできる事、命じられた事を一生懸命受けてきたのです。それなのに、結果何が起ったかというと、ファラオの怒りを買っただけでなく、肝心のイスラエルの民たちから、自分たちを救うどころか、更に危険に陥れ、苦境を引き込んだ張本人として、彼らの憎しみの矢面に立たされてしまったのでした。ついでに言うと、この事は40年の旅路の中で、この後何度も何度も繰り返されることなのです。
いかがでしょうか?こんな目に遭わされたら、皆さんはいかがされますか?理不尽だし、不条理ですよね。モーセと言う人は通常の評価をするならば、十分にリーダーとしての資質を持っていた人でした。恐らく腕っ節は強かったと思われますし、強い正義感も持っていた。それまでの経験から推測すれば、少々の難題にも負けない人だったと想像されます。もちろん、エジプトからイスラエルの民を救おうとされる神の思いもよく分かっていたと思います。
しかしそのような人物であっても、懸命に向き合った事が全く報われない。それどころか、状況は一層悪くなって、皆からは批判の嵐です。いつ平安が訪れるのか全く先が知れないのです。「もう、知らん。いったい何やねん!やめた、やめた」と投げ出し放り出してしまったとして、全く無理もなかったと思うのです。一つ前の5章22節では思わず「私を遣わされたのは、一体なぜですか?」と神に不満の思いを漏らしたことが記されております。そこには「あなたは分かっていない」という疑いが込められています。
この当然のモーセの訴えに、神様は不思議な応答をなさるのです。それが2節の言葉です。「わたしは主である」と。この主と訳されているのが、ヘブライ語のヤーゥエという言葉です。不満の思いを漏らすモーセに向って、神様はここで都合3回も繰り返し「私は主である。ヤーゥエである」と語り聞かせられたのです。それは「わたしはある」という思いが込められた力強い宣言でした。望みの結果が得られない、ばかりではなく、かえって悪化する状況の中で、自信を失い、右往左往するモーセに向けて、「わたしはあるものであり、救い主である」という事を断固伝えられた神であったのです。
先ほども言いましたように、イスラエルの民たちはこの出来事の後、何度も繰り返してモーセやアロンに不平を言い募り、悪口さえも浴びせます。裏切りの行動にも走ります。その度にモーセたちはつらい、しんどい思いを抱いたことでしょう。どうして自分たちはこの何も聞かない、聞こうとしない、何かあればすぐにくずおれてしまう弱い者たちに向かって神の思いを伝えねばならないのか、深いため息をついたに違いありません。
全く神は、モーセらに途方もなく理不尽な命令を下されたものです。でも、モーセたちは自らの弱さを抱えつつも、なお聞き従って行くのです。なぜなら、なお用いられたのは他でもない神であるからでした。その事を知ったからでした。神でなければ、こんなに聞かない者に向かって、諦めずに繰り返し思いを伝えるなど、とてもできないこと、続かないことであったでしょう。実は、モーセらを用いて懸命に思いを伝えようとされた神は、理不尽な現状をなお超えて救いの愛に満たされる方であったのです。モーセたちが内に抱えていた諸々の思い。愛もあれば憎悪もある。怒りもあれば不満もある。行き場のないそれら数々の思いを一番知り、ギュッと受け取られたのは神自身でした。つまり、すべて分かっている。知っている、という思い。それが、「私はある」という意味であり、「私は主である」という意味でした。
私たちが大きな課題に苦しみ、上手くゆかなくてつまづき、必死の思いで誰かに相談する時、しばしば分かっているから、あなたも清濁併せ飲んで何とか頑張ろうじゃないか、などと言いがちですし、そう聞かされるものです。でも神は違う。私があなたの愛憎すべて知っている、それをギュッと抱いて忘れてはない、そうモーセに語ったのです。
イエスも言いました。「健康な人に医者はいらない」。その通りなのであって、信仰があるならば、誰もそこへ遣わされる必要などないのです。不信仰な者たちをどうにかしたい一心、この一点によって神はモーセらを遣わされた、なかんずく一人子イエスを遣わされたのです。
岩国においても、勝ち目の見えない反対運動を懸命に闘い続けている人々がいます。その一人の大川清牧師。最近書かれた「意義あり!艦載機部隊移駐容認」という文章の中で、こう綴られています。
「昨年5月、沖縄で20歳の女性が元海兵隊員の米軍属に暴行されたあげく殺害されるという残忍な事件が起きました。私も年ごろの娘がいますが、もし被害者が私たちの娘だったら、家族だったら、友人だったら、そう思うと胸が張り裂けそうになります。」
そう綴られ、「緊張を増す世界情勢の中で戦闘機の訓練はますます激しくなっていくでしょうし、米兵達も緊張状態の中で事件・事故を起こすリスクが高まってくるでしょう。世界で何かが起こると基地の街はそれに直結して米兵がらみの事件・事故が増えてきます。今後、ますますひどくなるやもしれないそんな岩国の状況に、「こんなはずではなかった」という市民の怒りが爆発する時が必ず来るでしょう。もう私たちは騙されません。これからも私たちは岩国の未来を諦めずに沖縄はじめ全国の人々と連帯して声をあげ続けていきます」と結んでおられます。
10年前まで岩国には基地に反対する市長がおりました。国は彼が当選したら交付金を出さないなどの嫌らしい揺さぶりをかけ続けました。結果、基地容認派の市長が当選したのです。その時、大川牧師は、選挙で負けたとは言え、たくさんの人々から励ましの言葉を贈られたのです。小田実さんからはこう言われました。「市民は微力だけれども、決して無力ではない」。そしてキング牧師の演説を思い出しました。「私には夢がある」。そうして、こんな一時の結果で圧力に屈したり、いのちや平和や未来に決して諦めたりしない、と決意を新たにしたのです。私はその話を聞きながら、泣きました。そしてそこにこそ神が立っておられることを確信しました。「私は主である」。モーセに語られた励ましが、大川牧師にも語られている。そして私たちにも、そう信じます。
信仰とは神様の愛を知ることです。どのような理不尽さにあっても、なお愛を伝えるために、およそ足りない者をも用いられる方が神様です。神は排他的でも、独善的な方でもありません。むしろ切らずに皆をつなぎ、結ばれる方であるのです。理不尽な出来事の渦中に、しかし神が愛を持って私たちを生かされるのだとするなら、私たちは喜んでそれを受け取って歩みたいと思うのです。その地平線のかなたに真の平和が待っていることでしょう。
天の神様、あなたはあきらめられない方です。例えたりなくても、課題を負うていても、あなたが愛する人間のために、愛によって用いられるのです。感謝します。あなたの思いを汲み、信じて、受けるものとならせて下さい。平和のために働く者とならせて下さい。