USJ、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに対抗してる訳ではないのですが、あちらさんのコピーがいつも優れているので、時々そこに知恵を拝借します。少し前に「一番大切な人と、一番クリスマスな場所へ」というのがありました。一番クリスマスな場所とは、USJということなんでしょう。私は、決して、ねたんでもおりませんし、やっかんでもおりません。そこは今やディズニーランドと並ぶ夢の国です。さぞかしファンタジックでファンタスティックな時間が流れていることでしょう。
ただ、今宵そんなところとは、はるかかけ離れた場所に私たちは集って参りました。ある牧師が、こんな事を述べておられます。
「イエス様が今年生まれたとしたら、どこで生まれたと思うか皆で話し合ってはどうでしょうか。そして今日○○で、あなたがたのために救い主がお生まれになった、と、○○に入るところを考えてみたい。そうしたら、そのいくつかを礼拝の中で語ることができます」と。
そして具体的に次のように言われるのです。
「イエス様が生まれた家畜小屋は、ある人にとっては病室かもしれません。社会には居場所がなく、カーテンで仕切られた狭い空間が自分の居場所となりました。その不安と恐れに満ちた場所にキリストがお生まれになりました。
またある人にとっては、課題が山積し片付けられていない自分の仕事机かもしれません。自分の現実、時にはそこから逃避したい現実の中にキリストがお生まれになりました。
またある人にとっては、学校の保健室かもしれません。教室には居場所がないけれど、保健室には安らぎを覚える。そこにいていいと言われる場所にキリストがお生まれになりました。職安、ネットカフェ、深夜のコンビニ、決して居心地がいいわけではないけれど、そこにいなければならないところにキリストはお生まれになりました。もしくは、愛と憎しみが入り混じり、子ども時代から様々に傷を負い、混沌としている自分の内面の中にキリストはお生まれになりました・・・」。
こう述べているのです。皆さん、いかが感じられますでしょうか?それらの場所を具体的に思い浮かべると涙が出そうになりませんか。悲しいのと同時に、そこに救い主がいて下さるなら不思議に暖かく感じるからです。本当は冷たく寂しい場所なのに、もしそこに救い主が来て下さったら、居場所になる。そこにいていいという居場所。そこにいなければならないという居場所。そしてそこは心温まる居場所・・・。
皆さん、あなたの居場所はどこですか?あなたの居場所に隣人の居場所がありますか?隣人の居場所はどこですか?とりわけ、傷ついている人の居場所はありますか?
もちろん私たちは、どこの誰よりも救い主イエスの誕生を覚え、お祝いするために教会に集まって来ました。その思いは決して偽りではありません。その思いがないなら、クリスマスは全く無意味だとさえ思います。その意味でUSJなどではなく、教会こそはクリスマスの中心でありたいと願っています。
けれども、だからと言って、ここ教会がすべて、絶対だという訳ではないのです。それは、残念ですけどイエスが教会にお生まれになったのではなかったことが表しています。救い主は貧しい馬小屋のかいばおけの中にお生まれになったのでした!
ジョゼッペ・ペッレグリーノというイタリアの神父が書いた詩を紹介します。
「光が地上を見下ろすと」という詩です。
光が地上を見下ろすと
あたり一面闇だった
「あそこに行こう」と光は言った
平和が地上を見下ろすと
戦争が目に留まった
「あそこに行こう」と平和は言った
愛が地上を見下ろすと
憎しみが目に映った
「あそこに行こう」と愛は言った
こうして光は地上に降りて
暗闇を追い払った
こうして平和は地上に降りて
戦争を終わらせた
こうして愛は地上に降りて
命がもたらされた
言葉は肉となって私たちに宿られた
私たちにとって教会はやっぱり居場所です。少なくとも居場所になって欲しい、居場所であって欲しいと切望します。だから何とかしてこの建物を維持したいですし、良い環境であるよう整えたいと思っています。豪華ではありませんが、充分恵まれていると感じています。
でもクリスマスの出来事を通して、私たちは必ずしも、建物や環境が第一ではないことを学ぶのです。設備でもないし道具でもないのです。豪華さや便利さが問われるのではないのです。それゆえに、教会こそが一番だと思いたいけれど、絶対ではないのだと知らされます。大切なのは命の居場所なのです。
あなたの居場所はどこでしょうか?そこに隣人の居場所はありますか?
そんな問いかけをしながら、今宵これだけはこうでありたいと願っていることが一つあります。それはイエスが貧しい馬小屋の飼い葉おけの中に誕生され、直ちに駆けつけたのが羊飼いたちであったように、神さまがどのような人々のところへ、どのような思いを持って寄り添われる方であるのか、その愛の表し方を心から知って、それを証し伝える私たちでありたい、そういう願いです。
クリスマスを通して命の居場所が問われています。クリスマスはファンタジーではないのです。まことにリアルな、現実の出来事です。
もう一度申し上げます。
あなたの命の居場所はどこですか?
隣人の命の居場所はどこですか?
その命の居場所に、私たちの只中にきっとイエスが宿って下さいます。そしてその暖かい居場所をこの世の中に一つでも増やし、少しでも満たしていけるよう、そんな働きのために私たちは神さまから招かれ用いられるのです。
一番大切な人と、一番クリスマスな場所で。暖かな命の居場所で。そこに思いを巡らせ、祈り合わせ、求めたいと思います。
天の神様、クリスマスをありがとうございます。いよいよこの世の暗闇を照らして下さい。そしていつか片隅に泣く人が一人もいなくなり、共に笑顔であなたの恵みに感謝するものへと変えて下さい。主のみ名によってお祈りします。