20140406 着任説教 『 ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』
 
 関西労働者伝道委員会というところに属して、釜ヶ崎の問題に関わって来ました。
一昨年のクリスマスのこと。寒い中並んでいる人の中に本田神父を発見しました。その瞬間、イエスを見た思いがしました。配る側ではなく、もらう側、並ぶしかない側にイエスは立たれるのだ。自分は何も分かっておりませんでした。

 さて、私は神学校が同志社でしたから京都の体験が少しあります。京都の常識として、よく知られた話。「まぁ、ぶぶ漬けでも食べていきなはれ」と言われたら、それはもう早くお帰りという意味だそうですね。私は京都時代、実際にそんな目に遭った事はないんですが、友人から「お菓子でもおあがりやす」と言われて、食べたら、「いやぁ、この人ほんまに食べはった」と大笑いされたことがあるという話を聞いたことがあります。
 いずれもホンマかどうか分かりません。ただ、こういう話を通して、京都人にしか通用しない世界があることは、多分関西の人間なら誰でも知っている話だと思います。あ、京都の方がいらしたら、済みません。決してバカにして言ってるのではありません。
 それと今日のテキストを一緒くたにするつもりもありません。でも私たちにはピンと来ない話でも、ご当地なら誰でも知っている、分かっているという事情が当時のイスラエルにはありました。その場所とは、ティルスとシドンの地方のことです。ティルスもシドンも、地図で見ると、イスラエルの北部、地中海に面したフェニキアと呼ばれた地域の町です。イスラエルの伝統の外にあって、異邦人の町、異教の地の代表格でした。
 イエス一行がどうしてそこへ行かれたのか、よく分かりません。新共同訳では「行かれた」と訳されていますが、岩波書店版聖書では、「退かれた」とありますので、何かトラブル、或いは危険性があって、或いは致し方なくそこへ行かれたのではないか、そう想像されます。
ともかく、その地で、その地方の一人の女性と出会われたのです。女性には精神的な病を患っている娘がいて、癒しを求めてやって来た訳です。その事自体は、どの町に行かれても多々あった出来事の一つに過ぎませんでした。ですからイエスが直ちに癒しを行われても全くおかしくはなかったのです。しかしそこはあくまでも異邦の地、異教の地フェニキアでした。イエスは女性の願いや求めをぴしゃりとはねつけられたのです。それもよく読んで見ると、繰り返しの拒否をなさっておられるのです。
 女性が、まずは「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんで下さい。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と最初のお願いに来た時、23節にあるように「しかし、イエスは何もお答えにならなかった」と、無言の拒否をなさったのです。これは、考えて見れば、冷たいとしか言いようのない、一番きつい対応です。
 そして次は弟子たちがこの女性の扱いに困り果てて「この女を追い払って下さい」と求めたのに応じて、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と明言なさったことです。更には、その言葉を聞いても「主よ、どうかお助け下さい」と願う女性に対して、もっと厳しい言葉を返された。26節の「子どもたちのパンを取って子犬にやってはいけない」という返答です。子どもたちのパンとは、イエス様の癒しのことで、それはイスラエルの人々のためにあるのであって、フェニキアの人たちのためではない、ということを表している訳です。そのことはこの女性も、またこの話を聞いた当地の人たちなら、当然の返答として理解できたことでしょう。
 こうして、イエスは都合三度に渡って女性の願いを拒否なさった。しかも三度目は、子犬にやってはいけないという犬扱いです。めちゃくちゃきつい表現であるのです。それは幾ら、当時のイスラエルとフェニキアの仲たがいの関係があり、当地の人たちなら誰でもよく分かった内容であったとしても、私たちには理解しがたい、と言うより、心優しいイエス様の言動とはとても思えない冷徹な印象を受けずにはおれない出来事でした。
 ましてや、イスラエルまで女性がやって来てお願いしたのではありません。どんな事情があったのであれ、イエスたちの方がフェニキアに足を踏み入れたのです。それでいて、こんなきつい冷たい対応かと少々憤慨しそうになります。普通に読むならば。
 ところが、私はこの箇所を山浦玄嗣先生の「ガリラヤのイエシュー」を読んで、目が覚めました。イエスが最初の女性の願いに無言だったのは、言葉が分からなくてよく聞き取れなかったのだというのです。もちろんそれは弟子たちにとっても同じで、よく分からない事を懸命に訴えて来られても、それはうるさくて面倒なだけなのです。だからこそ、弟子たちは追い払って下さい、叫びながらついて来ますので、とイエスにお願いしたのでした。
 今からガリラヤのイエシューより同じ箇所を読んで見ます。
いかがでしょうか?ガラリと印象が変えられると思います。異邦、異教の地であれば、言葉も違って当然でした。この地方の人たちは基本ギリシャ語を話していた人たちでした。女性がそうだったかどうかは分かりません。でも少なくともイエスたちと相当違う言葉だった。ですから意味が分からないのは当然でした。にも関わらず女性は、懸命に苦境を訴え続けたのです。たとえ意味が分からなくても、その態度、表情、しぐさすべてに思いは表されるのです。弟子たちにそれは伝わりませんでした。実は言葉ではなく聞こうとする心が欠けておりました。しかしイエスはその切実さ、ひたむきさを受け入れる人でした。
 後輩の牧師が、今日のこの同じテキストを使った説教題に「おばちゃんの粘り腰」という題を付けていました。確かに粘り腰です。簡単に諦めない。そして実際見事な返答をなした。でもその粘って諦めなかった切実さと見知らぬ自分を頼り、言葉も厭わず委ねようとしたひたむきさに主は心を打たれたのです。当初、一見ギャーギャーとうるさくて、しつこい、面倒だと思われた女性でしたが、実は弟子たちの方がイエスのごく近くにいながら、この世的常識に捕らわれて、大事な事を見忘れていた、ずっと遠くにいたのです。この女性こそがイエス様のまどなりにおりました。
 京都人の常識は、もちろん京都に住んでみなければ分かりません。しかし命の常識は、どこに住もうと同じです。イエスは「子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」という女性の見事な答えに感心されたのでは多分ないのです。それをもって「あなたの信仰は立派だ」と誉められたのではないのです。そうではなく、娘のために懸命となってお願いするその必死さ、母として切ないまでの娘への真心や愛、それこそが当たり前のものとして受け入れられた。言葉を超えて心を汲み取ろうとされた。そこにイスラエルもフェニキアもない、京都も神戸もないのでした。
 私たち必死になると周囲からうざいと思われるような状態になるものです。それに関心を持たなければ余計に面倒に感じます。でももし、気づいたなら、一瞬でその必死さの内訳に同感し、共感するのです。私たちの救い主、イエスはそのような方でした。必死になって懸命に訴え続けないとならない課題が私たちにはあります。懸命に訴え続けた女性にも、それを受け入れられたイエスにも、双方その心を私たち倣いたいと思うのです。


 天の神さま、訴え続けねばならない課題を訴え続けるひたむきさを与えて下さい。それを聞こうとする心と受け入れる心も与えて下さい。私たちを共に手をつなぐ者へと変えて下さい。

 
 
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